さまよえるグーテンベルク聖書:
ペルプリン本の劇的な歴史

二巻本の聖書はもとルバーヴァのフランシスコ会にあったもので、同会が世俗化された後、1833年にペルプリン神学校の図書館に移された。1897年にケーニヒスベルク大学図書館長のパウル・シュヴェンケ博士がこの聖書がまさしくグーテンベルクの42行聖書であることを確定した。
その後、第二次大戦勃発時にこの聖書は数奇な運命をたどることになる。1939年8月、ポーランド全土にナチ侵略の恐怖が増していく緊迫した状況の中、ペルプリン神学校図書館長のアントーニ・リートケ博士は、ひそかに馬具工につくらせた革製の丈夫なスーツケースにグーテンベルク聖書と詩篇書の彩飾写本を隠してペルプリンを発った。聖書はいったんワルシャワで国立商業銀行に預けられた後、他のポーランドの財宝とともにパリに移された。しかしパリもまもなくドイツ軍の手に落ちたため、聖書はさらに小さな船でポーランド亡命政府がおかれていたロンドンに移され、その後、カナダに運ばれた。カナダ政府の好意により聖書は他の財宝とともにオタワ近郊の試験農場に保管された。
大戦終了後にポーランドに共産主義政権が樹立されると、亡命政府の管轄下におかれていた財宝はふたたび危機にさらされることになった。その後、新政府側による執拗な追跡と圧力から奇跡的に守られた聖書がふたたびペルプリンに帰還したのは、じつに20年後の1959年2月のことであった。
聖書はペルプリン神学校内の特別に設計された金庫に展示され、1988年に教区博物館の新館が落成してからは同館をかざる最高の宝となった。

ペルプリン本を持ち出す際に使われたスーツケース

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