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アメリカ日系人社会
戦後から現在までの激動の歩み

【発  行】

シカゴ新報社(シカゴ市)

【フィルム】
35ミリ ポジティヴロール 39リール 2010年刊
【価  格】 ¥652,050
(分売リール価格)

1945年〜1969年 ¥21,000
1970年〜2003年 ¥18,900

(記載の価格は税込みです。)

※1950年4月1日〜6月28日は休刊
※ 原紙のコンディションにより一部判読しにくい部分があります。ご了承下さい。

強制収容所からの再出発―日系人はシカゴを目指した

1945年11月15日にシカゴ市で創刊された邦字紙。創刊時の社長・主筆の藤井寮一が、主として戦時強制収容所を出所した同志の支援を得て創刊。戦中戦後日系人が急増したシカゴで彼らの生活援護の役割を担った。一方で藤井は同志社出身の論客であり、初期の紙面は急進的な論調が目立った。やがて世情の変化、日系二世の台頭につれ、2ページの英文紙面が設けられ、内容も日系社会や故国日本の情報が中心となっていく。当初は週刊であったが、1947年から水・金の週2回年間約100号を発行、現在は週刊に戻っている。記事はもとより文芸欄・広告欄などからも戦後の在米日系人の足跡がうかがえる貴重な資料である。

リール番号 リール番号 リール番号 リール番号
1 1945〜1947 11 1966〜1967 21 1985 31 1995
2 1948〜1949 12 1968〜1969 22 1986 32 1996
3 1950〜1951 13 1970〜1971 23 1987 33 1997
4 1952〜1953 14 1972〜1973 24 1988 34 1998
5 1954〜1955 15 1974〜1975 25 1989 35 1999
6 1956〜1957 16 1976〜1977 26 1990 36 2000
7 1958〜1959 17 1978〜1979 27 1991 37 2001
8 1960〜1961 18 1980〜1981 28 1992 38 2002
9 1962〜1963 19 1982〜1983 29 1993 39 2003
10 1964〜1965 20 1984 30 1994

欠号:第2455号(1972年12月20日)第2554号(1973年12月14日)第2558号(1974年1月4日)第2560号(1974年1月11日)第2563号(1974年1月23日)第2564号(1974年1月25日)第2566号(1974年2月1日)第2568号(1974年2月8日)第2574号(1974年3月1日)第2576号(1974年3月8日)第2579号(1974年3月20日)第2580号(1974年3月22日)第2590号(1974年4月26日)第2601号(1974年6月5日)第2606号(1974年6月21日)第2621号(1974年8月21日)第2623号(1974年8月28日)第2855号(1976年12月22日)第2940号(1977年10月28日)第2963号(1978年2月22日)第2964号(1978年2月24日)第2985号(1978年5月10日)第3042号(1978年12月1日)
第2780号(1976年3月26日)は、第1頁ページのみの撮影


アメリカ中西部に転住した日本人移民・日系人に関する基礎資料
日本移民学会会長 吉田 亮

画像をクリックすると大きな画像が表示されます。
【創刊号】
1945年11月15日の創刊号。この活字はかつて対日本軍宣伝ビラに使用されていたとの説がある。

【著名人】
政治学者・政論家・政治家として知られる大山郁夫(1880-1955)は、1932-1947までアメリカに亡命しており、イリノイ州ノースウェスタン大学に在籍していた。藤井はたびたび大山を訪れ記事を発表、また大山本人の寄稿を受けている。(大山郁夫に関してはマイクロフィルム版「大山郁夫関係資料」が当社より発売中)

【要求欄】
要求欄は求人・貸家など生活に密着したコーナーである。英文欄にも「Your Classified Ads」として掲載。他にも個人の消息や葬儀の告知、県人会関連の記事が並び、当時の日系人の生活が偲ばれる。

【転住相談部】
創刊号より掲載されており、子弟の養育や自身の老後など、在米日系人の切実な悩みに向山清子が丁寧に答えている。

【広告欄】
戸栗商事は「東京ローズ」として知られる戸栗アイバの実家が経営していたという商事会社。創業者戸栗遵は創刊号にも名刺広告を出している。

【文芸欄】
創刊初期より読者投稿の文芸欄が設けられ、以後長く続いている。「鹿子川柳」(シカゴ川柳)の中には「久し振り日本活字を見て晴れる」など創刊を喜ぶ句や、「会うだけの名を進駐の子に持たせ」など、在米日系人ならではの創作が並ぶ。

【英文欄】
1947年5月1日より二世の読者を獲得するため、英文欄を設ける。初代担当は児島正盛。JACL(日系市民協会)関連の記事や告知も多い。



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