私が奉職する拓殖大学は明治三十三年に設立された台湾協会学校がその淵源です。台湾は日清戦争の勝利によって日本が清国から割譲を受けた日本初の海外領土でした。この地を開発、経営する若い人材養成のために設立された教育機関が台湾協会学校であり、開学の祖は第二代台湾総督を務めた桂太郎。第三代の学長が後藤新平でした。
後藤の台湾経営の哲学は「生物学的植民地論」として知られます。個々の生物の生育にはそれぞれ固有の生態的条件が必要であるから、一国の生物をそのまま他国に移植しようとしてもうまくいくはずがない。他国への移植のためには、その地の生態に見合うよう改良を加えなければならない。本国日本の慣行、組織、制度を台湾のそれに適応するよう工夫しながら植民地経営がなされるべきだ、概略そういう主旨です。武断型の植民地支配とは一線を画する経営思想でした。
台湾に古くから存在している慣行制度を究め、このいわゆる「旧慣」に見合うような制度的工夫をしなければ優れた海外領土経営など不可能だというまっとうな思想の持ち主が後藤でした。
この後藤の考え方が生かされた興味深い例を二つ簡単に述べてみましょう。一つは、台湾人の長い悪習であった阿片吸引の禁止に際して後藤が採った政策です。阿片吸引はオランダ支配時代から台湾に広まった悪習です。下関講和会議でも李鴻章は伊藤博文に対し、”貴国は台湾で土匪(ゲリラ)と阿片で手を焼きますぞ”と捨て台詞を吐いたというエピソードが残っているほどです。後藤は「厳禁論」でも「非禁論」でもなく、「漸禁論」を採用し、阿片専売制度を設けたのです。阿片吸引者から阿片を一挙に取り上げるわけにはいかない。阿片販売者を指定特定業者に限定し、すでに阿片中毒にかかっている者のみにその購入を許す通帳を保持させ、新たな吸引者には通帳は絶対に交付しないことにしました。阿片価格は旧来に比して高価に設定し、これにより阿片吸引者は漸減し、加えて専売収入の増加にも寄与したという次第です。
もう一例は、台湾統治のために後藤がこの島に古い来歴をもつ「保甲」を利用した密度の濃い警察制度を確立したことです。保甲とは一○戸一甲、一○甲を一保として甲長と保長をおき、保甲内の相互監視と連座制を徹底した制度です。戸籍調査、出入者管理、伝染病予防、道路・橋梁建設、義務労働動員などがすべてこの保甲を通じてなされました。保甲は日本の台湾統治のためのきわめて効率的な住民組織として機能したのです。
「生物学的植民論」は、私が専門としている開発経済学においては決定的に重要な思想です。開発の「初期条件」を徹底的に究明せずして開発途上国の開発などおよそ不可能だからです。後藤の実績を証す後藤自身の文献はいまだ不十分にしか整理されていません。今回、雄松堂による「DVD版 後藤新平書翰集」から私は上述した後藤の思想を一層深く読み取りたいと待ち望んでいます。