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雑誌にこそ潜む作品解読の鍵

(日本近代文学館理事長)中村 稔


 早稲田大学図書館編、紅野敏郎同大名誉教授を編集顧問とする、マイクロフィッシュ版『精選近代文芸雑誌集』の刊行に敬意を表し、ひろく推薦したい。
 日本の近・現代文学の研究にとって雑誌の探索・調査は必須である。雑誌でしか読むことのできない作品はもちろん、単行本に収録された作品でも初出誌の発表形態に推敲が加えられている場合が多く、その異同に作品解読の鍵が秘められているからであり、また雑誌から作者の交友関係や作品を生んだ文学的風土を知ることができるからである。ところが、近・現代文学の研究に不可欠な雑誌の多くは、探索したり、入手したり、閲覧したりすることがきわめて難しい。これらの雑誌の収録を予定しているマイクロフィッシュ版『精選近代文芸雑誌集』は、これまでに刊行された『明治期刊行物集成』『大正文芸書集成』を補完し、これらとあわせて、近・現代文学の基礎をなす貴重な資料の網羅的かつ包括的な集大成をなすものといってよい。
 そういう意味で本マイクロ版の刊行は誠に意義ふかく、近・現代文学の研究に資すること甚大であることは疑いない。
 本マイクロ版がひろく活用されることを私は心から期待している。



二人だ、三人だ、五人だ!

(現代詩作家)荒川 洋治


 マイクロフィッシュ版『精選近代文芸雑誌集』には、大正終わりから昭和はじめにかけて発行されたものも収められる。たとえばそれは高見順の「昭和文学盛衰史」が「源流行」として振り返る時期で、多くの個性的な同人雑誌が次々に誕生した。北川冬彦、梶井基次郎らの「麺麭」、田畑修一郎、中山省三郎らの「街」、木村庄三郎らの「青銅時代」、中河与一、伊藤整、十和田操らの「新科学的文芸」、萩原恭次郎、小野十三郎らの「ダムダム」などはいずれも昭和の詩と散文の「源流」であるが、後年芥川賞を受ける三人の大学生(多田裕計、八木義徳、辻亮一)や上野俊介がいた「黙示」にもこのたび出会えることになる。うれしいことだ。
 もとより同人雑誌には特別な魅力がある。「こんな人がこんなものを書いてる」「この人は、こういう人でね」「これは誰だろう」「あの人だ!」というように、雑誌の話を通して文学の話をすると、不思議なことに若い人たちの目も輝くもの。雑誌は異なる時代の人にとってもおもしろい。そこはいつも「新しい世界」なのである。特にこの時期の文芸雑誌は、青々として魅力的なものが多い。文学はひとりではない。二人だ。三人だ。四人だ。五人だ。多くの人が集まり、競い合う誌面を見ること、感じることができるのはとてもしあわせなことだ。この『精選近代文芸雑誌集』は読むこと、知ることの楽しみを鮮やかに描き出す。文学のためにも大きなことだ。


稀覯雑誌のマイクロ化に大きな期待

(日本大学教授・日本近代文学館常務理事)曾根 博義


 紅野敏郎氏の指揮の下に早稲田大学図書館と雄松堂書店が協力し、『明治期刊行物集成』『大正文芸書集成』に続いて、『精選近代文芸雑誌集』を刊行するという。明治・大正の単行本・全集・叢書の大規模なマイクロフィッシュ化を実現した前の二つのシリーズにも吃驚したが、収録の対象を明治後期から昭和戦前までの雑誌に拡げた今度のシリーズは、それ以上の、まさに夢のような企画である。とくに『文芸都市』『新科学的文芸』『翰林』『近代生活』『文学風景』『葡萄園』『文芸レビユー』『文芸汎論』等、揃いを見ることが極めて困難な昭和初年のモダニズム系の重要な同人雑誌が目白押しに並んでいるのに私は注目した。文芸雑誌だけではない。さすが紅野敏郎氏の編集だけあって、文学と関係の深い美術、演劇、海外文学、少年、婦人雑誌まで入っている。どれもこれまで復刻・マイクロ化されていない稀覯雑誌ばかりである。計130誌、3500冊という収録予定雑誌のリストを見て、果して実現可能なものなのかどうか、率直に言って私はいささか危惧を抱いたので、失礼とは思いながら、ほんとにこの通りのことをやるつもりなのか制作担当者に確かめてみた。やるという。欠号は他の図書館・文学館・個人蔵のもので埋める努力をすれば不可能ではないというのだ。となれば、完結までに多少時日がかかっても、その実現を期待して興奮するのは、おそらく私一人ではあるまい。



子供心の宝探し

(関西大学名誉教授・評論家)谷沢 永一


 文藝時評の存在理由に言及して、「文学はこれに流され作家はこれに浮き沈みさせられる」と喝破したのは川端康成である。
 文藝時評という命名は、明治33年12月、大町桂月により公表されたが、高山樗牛の厭うところとなり、名称はお蔵入りとなる。6年後、田山花袋が明治39年4月15日の『文章世界』第2号から『時評』欄を設けた。踵を接して正宗白鳥は、明治39年5月6日から、読売新聞に文藝時評の連載を始めている。以後は『文章世界』に限り匿名で、他の雑誌の場合は花袋名義で縦横に論じている。大正期を通じて花袋は最高の評論家であった。白鳥と花袋によって文藝時評の型が出来る。
 そして強調したいのは、この文藝時評という形式が、単行本をも扱いはするものの、主として雑誌の作品に傾いていった成り行きである。すなわち書評と時評の分業が進む。当然のこと雑誌の存在が重く見られる。大正昭和の文学は雑誌が中心、という現象は常識であるが、その雑誌を盛り立てたのは専ら文藝時評であった。
 日本近代文学の扱い方が評論と研究とに分離している今日、片方の研究を旨とする姿勢では、雑誌の現物を見なければわからぬことが非常に多い。戦争中の陰惨な密告時代を知るためには、是非とも『文藝世紀』の揃いを検討せねばならぬ。今回の収録でも『早稲田学報』『東大陸』などはいかにも興味ぶかい。神戸の震災で崩壊するまで『新潮』『中央公論』を持っていた頃が懐かしい。古い雑誌をなんとなく見ていると思わぬ記事が見つかり、それがヒントになる場合が多い。コラムを書く私の場合とくにそうだった。



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