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この頃の状況について少しお話ししたいと思います。もちろんみなさんは明治維新の時代についてはよくご存じだと思いますが、130年を経た今、当時どのような変化や困難があり、それらが現在のわれわれにとってどのような意味を持ちうるのかを考え直すことは有意義だと思います。
日本アジア協会が発足した1872年は、横浜〜新橋間に初の鉄道が開通した年でした。最初の列車が走ったのは同年の10月でした。アジア協会の最初の講演会が開かれたのも10月です。当時、日本社会はとてつもない変革期を迎えていました。電報線が引かれ、港がつくられ、灯台が建てられ、関西や他の地方でも鉄道建設が急速に進んでいました。
コミュニケーションがとても重要でした。日本が成功をするためには、西欧との接触が欠かせない要素でした。当時のコミュニケーションは蒸気機関と蒸気船が主流でした。船が港につくと、人々は駆け寄って、半日から一日がかりで郵便物を仕分けに行きました。コンピュータや電子メール、電話などの通信機器がある今日からすると、その当時、西欧との接触が最も速い蒸気船を使っても何週間もかかったことを想像するのは困難です。
当時は急激な技術革新の時代でした。技術革新の背景は何よりも貿易でした。言いかえれば、当時、日本と西欧との接近を推進していたのは、技術と貿易でした。また、日本の産業・技術・教育・社会に革命的な変化をもたらす外国人が大勢、来日していました。彼らの中には、学者ではないものの、日本に深い興味をいだき、日本の言葉、文化史、宗教、文学などを研究するために時間と労力を惜しみなく費やした人たちがいました。そのような研究には意見交換の場が必要でした。日本アジア協会が発足したのはそのためです。彼らはよく「学識あるアマチュアたち」などと呼ばれます。本職は医者であったり、技術者であったりしましたが、それにもかかわらず長期にわたり徹底的に、自らが住む国について理解しようと務め、またそれを成し遂げた人々でした。
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| 1. 講演にあたって |
2. 日本アジア協会設立 |
3. 日本アジア協会発足当時の時代背景 |
| 4. 言語とコミュニケーションの障壁 |
5. 言語能力の個人差 |
6. コミュニケーションの落とし穴 |