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現在、われわれがアーネスト・サトウ、ウィリアム・アストン、バジル・チェンバレンなどの人々や、彼らの貢献をたたえることは簡単です。彼らは本当の意味での英雄であるといえます。しかしここで当時のコミュニケーションの難しさや言語の問題に関して、忘れられがちなもう別の視点を提示したいと思います。そのために、みなさんにコンサートに行く時のことを思い浮かべていただきたいと思います。我々がコンサートに行くのは、ピアニストやヴァイオリニスト、オーケストラの技量の高さに聴きほれるためです。このような技術の頂点をきわめた人間は、非常に稀な人間であるといえます。サトウやアストン、チェンバレンといった人たちはいわば、日本語と日本文化についての「コンサート・ピアニスト」であったといえましょう。森有礼のような日本人もまた、英語を堪能に話し、西欧社会について熟知していました。本日、客席のみなさまの中にも、そのような方々がいらっしゃるでしょう。しかし、これらの人々は、偉大な音楽家がそうであるように、例外的な人間でした。では当時の平均的な能力、日常的な語学力はどの程度のものだったのでしょうか? 語学力が高く、言葉を使いこなし、意志を自在に伝達することのできた人もいたでしょうが、その一方で、ピアノを懸命に練習する男の子や女の子のように、聞くに耐えない音を発していた人々もいたはずです。いいかえれば、当時言語を話していた人々の能力にはとてつもない個人差があったのです。アーネスト・サトウのような日本語の「コンサート・ピアニスト」、語学が堪能で、意思伝達に成功できる人々ばかりではなかったのです。これは重要な点だと思います。食料や日用品の調達、売買、取引や契約などの交渉が日々行われていた外国人社会において、資料も準備もなく、目の前の目的を達成するために持てる力を出し切って、何とか仕事をやりとげようと必死になっていた人々が大勢いたのです。
特に忘れられがちな集団が、中国人の買弁です。ヨーロッパ人、特に英国人は、神戸や横浜に多数の買弁を呼びよせました。彼らの子孫は今でも健在です。彼らこそ、当時のコミュニケーションに様々な意味で貢献した人々であるといえます。かれらは美しい英語を話しませんでした、もちろんイギリス英語は話しません。「ピジン英語」という言葉は、彼らの使っていた英語に由来し、「ピジン」というのは英語の「business」が中国風に訛ったものだという説もあるそうです。重要なことは、彼らが自分たちの目的を伝え、通商をおこなうことができたということです。
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| 1. 講演にあたって |
2. 日本アジア協会設立 |
3. 日本アジア協会発足当時の時代背景 |
| 4. 言語とコミュニケーションの障壁 |
5. 言語能力の個人差 |
6. コミュニケーションの落とし穴 |