日英同盟締結100周年を迎えて


英国を見た日本人、日本を見た英国人

先ほどのチャーチル氏のお話で、日本が英国から技術を借用したというお話がありました。英国は1800年前後に世界初の産業革命を経験します。そして1830年に世界最初の鉄道を敷設します。1871年から1873年にかけて岩倉具視率いる日本人の使節がアメリカそして英国に渡ります。英国には1872(明治5)年の7月から11月まで使節団が滞在しました。英国の文化の高さを目の当たりにして、日本人は大変なショックを受けます。しかしよくこの繁栄の実態を調べてみると、最近40年あまり前の事でしかなく、それ以前、英国においてもほとんど工場というものは手工業的であったことがわかり、40年ならば自分の父か、祖父の年代であるのだから、これは追いつけるのではないかと、英国で確信して日本に帰ってくるのです。

このように日本の使節団は英国が経済力、そして軍事力が極めて高いという印象を持って帰ってきますが、その後、殖産興業、富国強兵のスローガンをのもとに、英国の経済力に次第にタッチアップし、アジアにおける最初の工業国家となるのです。

その日本の姿を最も身近に見ていた西洋人は、数でいうと一番多いのは英国人でした。日本における最初の英国大使オールコック、トラベル・エージェンシーの世界的指導者トマス・クック、東北・北海道を旅したイザベラ・バード、そしてサー・ウィンストン・チャーチルの祖母にあたるレディ・ランドルフ・チャーチル・・・など日本を訪れた英国人は多くいます。

一番最初にしっかりとした日本の記録を残した一人にオールコックがいます。彼は「日本は農業が園芸として営まれている。即ち、種を蒔くだけで放っておく粗放農業ではなく、農書に基づいたしっかりとしたケアをしている。これは庭のごとき農業、ホーティカルチャーだ」と言っています。

明治5年、トーマス・クックが日本に旅した際、五島列島から瀬戸内海へと入りその両側の景色を見ながら、なぜこのような美しい景色をこんな安い切符で見ることが出来るのかという感動を残し、それ以降世界一周旅行に必ず日本を入れました。

また幕末にキュー・ガーデンから派遣された、プラント・ハンターの一人、ロバート・フォーチュンは「もし花を愛することがその国の文化の高さを示す基準となるのならば、イギリスの大衆と日本の大衆を較べてみると、日本の大衆の方がより花を愛する」という言葉を残しています。

1878(明治11)年、東北を旅したイザベラ・バードは「これは東洋のアルカディア、あるいはエデンの園といってもいい」と、農村、里山、農業景観を彼女の妹に書き送っています。彼らの言葉を考えてみますと日本はヨーロッパから来た客人達の目に、強い国と映ったわけではないけれども、美しい国として映ったと思います。

これら英国人の言葉を思い出したのは、ブレナム・パレスのランドスケープ・ガーデンを見た時です。このブレナム・パレスは造られたのは18世紀、英国で日本についての記録が、初めて英訳されたちょうどその頃にあたります。ケンペルというドイツ医師が日本に足を伸ばし、彼が3年ほど滞在した時の記録「History of Japan」が発刊されたのは1727年の事でした。「そこには自然の景観を模して庭を造っている」と日本の庭の記述があります。つまりブレナム・パレスのランド・スケープ・ガーデンはまさにこの日本風の「景観式庭園」なのです。さらに「このような庭園で、日本人はお茶を飲んでいる」ということが、お茶についての一つの独立した章の中に書いてあります。この本が出版された前後にイギリスはコーヒーを飲む文化からお茶を飲む文化へと移っている・・・こうしてみるとそれとは知れず、英国に小さいながらも着実に文化的影響を及ぼしていた日本の存在が見えてくるのではないでしょうか。


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1. 辞書より始まった100年の歴史  2. 日英同盟の変遷と世界大戦  3. 英国を見た日本人、日本を見た英国人 
4. 歴史から学ぶ対等関係  5. アメリカとの意外な共通点  6. 第三段階の対等関係にむけて