日英同盟締結100周年を迎えて


第三段階の対等関係にむけて

さてここで1902年の日英同盟を位置付けてみると、日本人とアングロ=サクソン、つまり英国人との政治的な対等関係というものとして考えられると思います。政治的に対等ということは、軍事力があるということだけでは十分ではありません。戦後、日英同盟に匹敵するような条約が日米の間で結ばれましたが、実際上、この条約は戦争を共にするというより、経済的なものであります。経済面で、日本はアメリカと格段に差があったので、戦前期の日本が英国の軍事力に対してタッチ・アップを図ったように、戦後、アメリカの経済力に何とかタッチ・アップしようという過程を辿りました。

そしてそこから50年経ち、日米の関係はほぼ対等になったと言えるのではないでしょうか。このように我々は政治的自立から経済的自立へと発展してきました。新幹線に代表されるように、世界を凌駕する高度な技術によって、ようやく経済的自立を達成したのです。特に英国における投資の高さ、技術の交流はこうした日本の実力により、ようやく対等関係となったことを示していると思います。そのような観点から、政治的独立が第一段階、経済的独立が第二段階とするならば、今我々が直面しているのは、対等な文化の交流ではないでしょうか。

我々は政治的に力をつけるという最初の目標を達成し、次に経済的に対等の力を持とうとしています。ではその次の目標とは、お互い対等のレベルで人類の遺産について共有し、その知恵を学んで新しい未来を切り開いていくというような、真に対等の関係で文化的な交流ができるのではないかと思うのです。

ある時期、日英関係は何とか戦争を回避しようとしたものでしたが、不幸にも第二次世界大戦という結果に終わってしまいました。しかしそのようなことを除きますと、日本と英国は今から402年前の1600年、リーフデ号にのってウィリアム・アダムズというイギリス人が漂着し、家康の顧問となって日英の門を開いてくれたのことから始まり、長い歴史を築いてきました。私は日本が英国と比べても「ものづくり」において、異なる形ではあれ、力強い国になった英国と、美しい国になった日本と互いの対等の関係をその歴史に垣間見ることができると思います。ただし、明治維新以降、近代に入り、我々日本人はその美しさをうち捨て、強い国にならんとした傾向にありました。逆に英国は強い国にさらに花を添えるように美しい国も目指す、プラス・アルファを目指してきたのです。それがおそらくブレナム・パレスの美しさや、あるいはサー・ウィンストン・チャーチルの中にある、ぎすぎすした力だけの人ではない、真に偉大なる人物の資質を培ったことになんらかの形で貢献しているのではないかと思うのです。

さきほど申し上げたように、アメリカについても英国から見ると、一組の並行進化と見ることができます。先ほどのチャーチル氏の言葉に励まされ、勇気づけられ、やや誇張した面もあったかも知れませんが、そのように長い100年という単位で見ますと、日英の友好関係いうものは、もたらされるべくしてもたらされ、そしてこれからより交流が深まっていくべき運命であると思えます。ちなみにヨーロッパとの交渉をしたアメリカ・インディアンの代表であるイロコイ族が、証明はできませんが仮に日本からアジア太平洋を渡ってアメリカへ行き、東部に住みついたものだとしたら、チャーチル氏の血のどこかの一部には我々と共通のものが流れているのではないか、と想像してみたくなるのです。

このような日本の昨今の現状において、外国に排外的になるのではなく、文化の交流において国を開くべき使命があるのではないかと思うのです。


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1. 辞書より始まった100年の歴史  2. 日英同盟の変遷と世界大戦  3. 英国を見た日本人、日本を見た英国人 
4. 歴史から学ぶ対等関係  5. アメリカとの意外な共通点  6. 第三段階の対等関係にむけて