アーネスト・サトウとケンブリッジ大学アストン文庫


文化的人格をもった来日研究家達

 最後にひとつ、ある美談を申しあげたいんですけれど。アストンが亡くなります時に、アストンは病弱な人で、自分はもう余命幾ばくもないということを悟って、自分の死後の自分の蔵書の始末についてサトウに後事を託すのであります。そのときにアストンは自分の手許にあった一冊の本、これは、現在もケンブリッジ大学に所蔵されていますけれど、巌谷小波の『日本お伽話』という本であります。この『日本お伽話』という本を、おそらく小波からアストンはもらったんだと思いますが、それを自分の死後サトウにプレゼントして下さいと英語で書いてある。そして、その先にローマ字で「A Katami!」と書いてある。自分の形見としてこれをサトウ君にプレゼントして下さいというんですね。サトウは自分が貸した本を返してくれとはいわずに、かえって自らたって、これをケンブリッジ大学に売却する仲立ちをするのであります。この、文化的なものを私しないで、後学のためにこれを残すという態度、これは大変尊いものだと思います。そして、彼の死後、サトウはこのアストンからもらった形見の本『日本お伽話』をケンブリッジ大学に寄付してしまいます。これは自分が持っているよりは、アストンの蔵書と一緒に置いておいて下さいとノートにはあります。

 外交官といえども大変に文化的なかおり高い人格の人達がたくさんおられます。ウィリアム・ジョージ・アストンもそうです。また、バジル・ホール・チェンバレンも、外交官といえばいえるかもしれない。それから、シーボルトの息子なんかもそうですね。英国の外交部の一員としてやってくるわけですから。そういう伝統はずっと後々まで、これは中国へ行ったトーマス・ウェイドなんていうのもそうですね。後にケンブリッジ大学の中国語の教授になります。つまり外交官といえども、その任国の文化を研究するという伝統があって、例えば、ヒュー・コータッツィさんなんか大変立派な日本研究者だといっていい、そしてそれが、Asiatic Societyや、Anglo-Japanese Society といったものに結実していくわけです。果たしてそれに匹敵し得る日本の外交官が何人いただろうかとわたしは非常に悲しい思いにとらわれつつお話を終わります。


サー・ウインストン・チャーチル(Sir. Winston Churchill, 1874-1965)
アーネスト・メイスン・サトウ(Ernest Mason Satow, 1843-1929)
ウィリアム・ジョージ・アストン(William George Aston, 1841-1911)


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1. 文化に対する英国人の気骨  2. ケンブリッジ大学の図書館にて  3. 外交官サトウの日本文化への探求-1 
4. 外交官サトウの日本文化への探求-2  5. 「私」のない研究  6. 文化的人格をもった来日研究家達