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「野宮(ののみや)」より
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楽しむために大事なことは・・・?
私共、能に携わる者として多くの方に能を見ていただきたいと思っているのですが、「能は難しいので」と敬遠されてしまうことが多々あるようです。先入観で決めてしまわないで一度で良いですからご覧になっていただきたいと思うのですが…。そこで、初めての能鑑賞を失敗しないために、能を楽しく見る方法について書きたいと思います。
まず、見る前に最低限知っていてほしいのはストーリーです。ストーリーを調べるためには能のガイドブックがいくつも出ていますので、そういった本を参考にしていただきたいと思います。あとは余計な勉強をしないことです。能鑑賞はお勉強ではなく娯楽なのですから。
さあいよいよ鑑賞ですが、一番大切なことはわかろうとしないことです。たとえば言葉ですが能のセリフは英語より難しいのです。実は室町時代の書き言葉なのです。そのうえ、掛詞や修飾語がたくさん付いています。ですから全部聞いているとかえってわからなくなってしまいます。はなしの流れがつかめれば十分です。後は何か気になるところがあれば注目してみてください。能の独特な動き・お囃子の音色・能装束の美しさ・面(おもて)の豊かな表情など、興味を持ったところから入っていくのが一番だと思います。
これで十分能は楽しめると思うのですが、不安な方のために少し知識をお教えしましょう。
筋書きの進行について
能は、主にシテとワキの二人が中心になり進行されます。多くの曲目でシテはだいたい人間ではありません。あの世からやってきた者です。草木の精、源平の武者、あるいは化け物、鬼が化けている美人などです。ワキはお坊さんや役人といった人たちで、この世の人です。そしてワキの大事な役割は、ストーリーの案内役です。ある意味では観客の代表者でもあるわけです。
さて、能はどのようにストーリー展開されるのでしょうか。一般的パターンでご説明しましょう。例えばお坊さんであるワキの前に、正体の知れぬシテが登場します。観客が誰?と思っていると、ワキはシテに「あなたは誰ですか?」と尋ねてくれます。最初はなかなか正体を明かしません。古い和歌を引用したりして、色々な問答になります。そしてだんだん正体を明かします。この姿は仮の姿で、実は山の中に住んでいる鬼の化身なのだけれども、「悪業のせいで心が苦しいので、ぜひお経を読んでほしい、そうしたら自分の本性を現しましょう」と言って、またあの世に戻ってしまいます。
ワキは不思議に思い、誰かこの辺りに住んでいる人に話を聞いてみようと、里人(狂言)を呼び出します。「間(あい)狂言」といいます。この里人が、「実はこの辺りに昔こういう物語があった」と心当たりを話します。そして「お坊さんに弔ってほしいと思って出てきたのではないですか」と言います。狂言の言葉は、室町時代の口語ですので、8割ぐらいはわかると思います。里人の話を聞いていると、ある程度ストーリーが理解できるはずです。
里人の話が終わると、シテの登場を待つ「待ち謡」をワキが謡います。そうするとシテが囃子のリズムにのって、またあの世からこの世に出てきます。今度は本性の姿になって出てきます。本性が鬼であったら、鬼の姿で出てきます。そして自分が犯した悪業や今の苦しみの有様を舞って見せます。最後は、ワキの祈りによって成仏します。大概の曲目はこのようにハッピーエンドで終わります。
能のことはじめ
最後に能の歴史と起源について少し書きましょう。
能が演劇として確立されたのはそれまでの中国から伝わったとされる散楽や日本古来の田楽などが融合して、南北朝から室町初期(14世紀末頃〜15世紀初頭)にかけて猿楽として認識されたことによります。猿楽は「翁面」という呪具を用いて寺院や神社の宗教行事の中で次第に大衆のもとめる芸能的な色彩を持つようになりました。ですから能の起源はそれらが発展した「翁(おきな)」から発足したものだといわれています。その後足利義満に見出された観阿弥・世阿弥親子によって歌舞劇として確立されました。その頃より公家や武家のいわゆる貴人を対象とする芸能として発展し、江戸時代には武家の式楽として幕藩体制に組み込まれ、能役者は士分としての扱いを受けることとなります。その頃に現在の五流となり、シテ方・ワキ方・囃子方・狂言方と、分業制となりました。現在演能されている形式も江戸中期頃には、ほぼ完成されました。
この能の起源である「翁(おきな)」を我々は非常に大事にしています。「翁」という曲目は神事とされ、シテは神である翁になります。ですから「翁」を勤める者は、今日でも不浄を避け別火(注)します。また「翁」だけは舞台の上で面をつけます。翁の面をつけた瞬間、神様になるのです。シテは舞台の上で、天下泰平、五穀豊穣を願い言祝ぎ(ことほぎ)の言葉を述べ、舞いながら天・地・人を和合するために「ドン」と拍子を踏みます。そうすると、その年は非常に豊かに実り、天下泰平の世の中になると考えられました。能舞台正面に描かれている松、四方に立っている柱は、昔神を降ろす清浄な場所を作るため、常緑樹を植え四方に柱を立てたその名残だと思われます。
では舞台でお会いしましょう。
(注)別火 神事を行う者などが、他や自身の穢れを忌んで煮炊きする火を別にする事。