「経済学」の形成はそれぞれに個性的な「三名の18世紀スコットランド人」の開拓的努力によってなされたと考えられる。デイヴィッド・ヒューム(1711−76年)の『政治論集』(1752年)は小著ながらもその後に展開される多様な経済学的思考の豊かな「水源」を形成し、そこからジェイムズ・ステュアート(1713−80年)の『経済の原理』(1767年)と、この同郷人の著作への全面的対決を秘めたアダム・スミス(1723−90年)の『国富論』(1776年)という二つの大河が、豊穣なデルタを形成しつつ流れ出ることになる。
ブリテンで最初の「経済学」の(「道徳哲学」からの)「独立講義」が19世紀初頭のエディンバラ大学の教壇で開始されたのも、これらの伝統と彼らによる三角州を踏まえたものであった。その大学の卒業生がジェイムズ・ミル(1773−1836年)で、彼の受けた大学での教養課程の成果がその子のジョン・ステュアート・ミル(1806−73年)に受け継がれて子ミルの『経済学原理』(1848年)(『国富論』の19世紀版)を生み出すことになるが、父ミルがイングランドに移住したのちに果たした最大の(経済学史上の)功績が友人のデイヴィッド・リカードゥ(1772−1823年)に『経済学および課税の原理』(1817年)を書かせたことであろう。父ミル自身の『経済学綱要』(1821年)はリカードゥ『原理』を下敷きにしたものであった。そのリカードゥの論敵となるトマス・ロバート・マルサス(1766−1834年)の『人口論』(1798年)と『経済学原理』(1820年)(とりわけ後者)の問題提起の一端はジェイムズ・ステュアートのなかに見られるものである。
関西学院大学図書館には、アダム・スミスを中心とする「スコットランド啓蒙思想」関連の著作が豊富に所蔵されており、以上の黎明期経済学の特質はこれらの原典に触れることによってその一端を垣間見ることができるであろう。
(経済学部教授 篠原 久)