アルドゥスは小型本を出版するにあたり、何も考えないで作った訳ではありません。ちゃんとした意図がありました。1501年に出た最初の小型本、ウェルギリウスの作品集の序文にこんなことが書いてあります。
「この洗練された本文は御覧のとおりの姿で提供される。われわれは卑小な詩作品を小型本に収めようとは思わない。すべての名作をこの同じ形式で出版するのがわれわれの意図なのである」
この「洗練された本文」というのは、テキスト・クリティークを厳密にやっているということです。例えば『神曲』だとピエトロ・ベンボという人文学者がテキスト・クリティークをやっている。同じ『神曲』でも写本時代に作られたテキストはみな異なっているわけで、その複数のテキストのなかから、厳密な校合によって最も正しいと思われるテキストを作っているわけです。さらに「卑小な詩作品を小型本に収めようとは思わない」というのは、つまりクラシックだけをここに収めるということです。そして「すべての名作をこの同じ形式で出版するのがわれわれの意図なのである」とあります。「同じ形式」とあるのは、アルダイン・イタリックの活字を用いた同じフォーマットで提供する、とうことです。それが我々の意図なのだということを謳っています。岩波文庫や角川文庫を見ますと、文庫本の巻末に文庫発刊の辞が謳われておりますが、このアルドゥスの文章はそれにあたるでしょう。岩波文庫には「真理は万人によって求められることを自ら欲し・・・」といった有名な発刊の辞が添えられていますが、500年前に書かれたアルドゥスのこの文章も、それに劣らず格調が高い。アルドゥスが十分に考えて、この小型本のシリーズ、私が仮称するところのアルドゥス文庫を発刊したことがうかがえます。
アルドゥス文庫のラインナップを見ますと、1501年にウェルギリウスが出版されてから翌年にかけて、最初の2年間に随分と数が出ています。あらかじめ時間をかけて想を練り、一気に出したかの感があります。今日でもそうですね、新しい新書などが創刊されると、最初にまとまった数が出て、それから継続的に毎月2,3点が出る。規模は違いますが、現代の出版スタイルと非常に似ています。
タイトルを見ますと、今日のラテン文学の入門書などにも必ず採りあげられている、しっかりした作品が並んでいます。例えば黄金期の三大詩人ウェルギリウス、ホラティウス、オウィディウス、これらがちゃんと入っている。ちょっとマイナーですがよく読まれるカトルス、ティブルスも入っています。ローマの白銀期といわれている時代の典型的なルーカーヌス、スタティウス。諷刺詩人ですとマルティアリス、ユウェナリスなどもラインナップされているし、散文の代表といわれるキケロの『親近書簡集』も入っています。
小型判携帯本(アルドゥス出版目録1503年)
和文著者名タイトル名仮名表記
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出版年
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| 『ウェルギリウス作品集』 |
1501
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| 『ホラティウス作品集』 |
| 『ペトラルカ詩集』 |
| 『ユウェナリス,ペルシウス作品集』 |
| 『マルティアリス作品集』 |
| 『カトルス,ティブルス,プロペルティウス作品集』 |
1502 |
| キケロ『親近書簡集』 |
| 『ルーカーヌス作品集』 |
| ダンテ『神曲』 |
| 『スタティウス作品集』 |
| ウァレニウス・マクシムス『著名言行録』 |
| オウィディウス『変身物語』 |
| 同 『著名婦人への書簡集』 |
同 『祭暦』
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ラテン文学の名作集を出そうとなると大体こういうラインアップになるのではないかというものを、まず最初に打ち出しているわけで、非常によく考えられているのではないかと思います。オイディウスの『変身物語』などは、今でも文化史や美術史を学ぶ人には欠かせない書物ですね。そういったラテン語の作品のほかに、イタリア語で書かれたペトラルカとダンテが入っています。イタリア・ルネサンスの誇りとも言うべき名作、ペトラルカの『詩集』とダンテの『神曲』が採られています。たいへん優れたラインナップだと思います。
アルドゥスは生前に3回、自分の出版社の出版目録を出しています。2回目に出した1503年の出版目録のなかに、「LIBELLI PORTATILES IN FORMAN ENCHIRIDII=小型判携帯本」というセクションがあり、そこにこの小型本のラインンナップが記されています。同じころにアルドゥスが出版した八折判の小型本には、他にギリシア語のものや宗教書もあるのですが、ここには含まれていません。アルドゥスが小型判携帯本の叢書、ここでいうアルドゥス文庫として認めていたのは、このラインナップだということになります。今日、本のサイズだけを規準に、ギリシア語のものなどもアルドゥスの小型本に含めた記述を見かけることがありますが、そこは厳密にしておきたい点ですね。
アルドゥスが出した出版目録は、19世紀初頭にルヌアールが編んだアルドゥス版のカタログ・レゾネに掲載されています。ルヌアールはフランスの古書籍商です。西洋の美術商や古書籍商のなかには学術的に優れた仕事を遺した人がたくさんいますが、このカタログもそうした優れた仕事の一例に数えられます。
小型判携帯本(アルドゥス出版目録1513年)
注:1514〜15年の2点は気谷氏による追記
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出版年
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『ポンターノ詩集』
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1505
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| 『エウリピデス悲劇集』(エラスムスによるラテン語訳) |
1507 |
| 『小プリニウス書簡集』 |
1508
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| 『サルスティウス作品集』 |
1509
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| 『ストロッツィ父子詩集』 |
1513 |
| キケロ『アッティックス書簡集』 |
| カエサル『ガリア戦記』 |
| サンナザーロ『アルカディア』 |
1514
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| ルクレティウス『事物の本質について』 |
1515
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アルドゥスは1513年に三回目の出版目録を出しています。「LIBELLI FORMA ENCHIRIDII=小型本」と銘打ったセクションに文庫のラインナップが載っています。それを補ったものがこの表です。ヴェニスで政変があり、出版が途切れた時代もあったのですが、アルドゥスが亡くなる1515年まで、ほぼ継続して出版されていることが分かります。サルスティウスの著作やカエサルの『ガリア戦記』など、新たに歴史物が加わり、さらに充実した品揃えになっています。二番目に挙げられている『エウリピデスの悲劇集』は、エラスムスがギリシア語からラテン語に訳したものです。今日いうところの翻訳文学です。これはエラスムスからの依頼で出版されました。エラスムスはアルドゥスに宛てた手紙のなかで「世界で最も優美なあの小さな文字」、これはイタリック体の活字のことですが、その活字で自分の訳稿が印刷されたならどれほど名誉あることでしょう、と書いてエウリピデスの出版を懇願しています。アルドゥス文庫のラインナップに加わることが、著者として非常に誇らしいことであったことが伺えましょう。
図に挙げたのは、この時代のアルドゥス文庫に添えられた挿絵です。ひとつはダンテの『神曲』 第2版に添えられた地獄の断面図です。(第7回図書館総合展で、雄松堂のブースに展示されました)。もうひとつは『ガリア戦記』の挿絵。ガリアに進出したローマの勢力図でしょう。こうした挿絵は別にアルドゥス版の創意ではありませんが、見開きに二つ折りの図版を挿しこみ、簡便な形で挿絵を入れています。
アルドゥス生前の出版目録は1513年版が最後になります。その後の1514年、15年に挙げた2点のタイトルは私が追加したものです。アルドゥスがその後も存命し、もし小型本の出版目録を作ったら、これも入れたのではないかということで加えてみました。サンナザーロの『アルカディア』は同時代のイタリア語で書かれた文学作品で、この当時ベストセラーになったものです。アルカディアで羊飼いが恋をするという筋で、現在あまり読まれてはいませんが、ルネサンス音楽にはこの著作に基づく作品がたくさん残されていて、今日でもよく演奏されています。
アルドゥスの生前に出た一連の小型本、アルドゥス文庫は、ほぼここに挙げた23点になるのではないかと思います。ルネサンス期までの名作文庫として、今日でも遜色のない優れたラインナップということができます。先にお話した体裁や価格と併せて、今日の文庫の基本的な出版形態というものをこの中に見ることができます。
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気谷 誠(きたに まこと):1953年生。筑波大学附属図書館、新国立劇場、琉球大学附属図書館、三重大学附属図書館等を経て、現在は埼玉大学図書情報課長、聖学院大学非常勤講師。美術史、書物文化史をめぐる評論を多く執筆。著書は『愛書家のベル・エポック―アンリ・ベラルディとその時代』(図書出版社)、『風景画の病跡学―メリヨンとパリの銅版画』(平凡社)他。「芸術新潮」「銀花」等にも文章を寄せている。 |