人文主義は哲学たる以前に文献学の運動(A・シャステル『ルネサンスの神話』より)
ルネサンスは文芸復興とも訳されるように、その本義はギリシア・ローマの文芸を復興することにありました。人文主義というのは、シャステルの言うように哲学である以前は文献学の運動でありました。この時代、愛書家たちは各地にブックハンターを送りこみ、ギリシア・ローマの珍しい写本を求めたのです。代表的な人物を3名挙げてみます。
教皇ニコラウス五世。この人は駆け出しのお坊さんだった時から借金をして古本屋から本を買い、やがて教皇になるとヴァチカンのなかにアレキサンドリア図書館以来といわれる図書館を作りました。今日のヴァチカン図書館です。
コジモ・デ・メディチ。メディチ家の当主で、フィレンツェの学芸を庇護した偉大なパトロンでもありました。ヨーロッパ中から写本を集め、ミケランジェロが廊下を設計したので有名なラウレンティーナ図書館を作りました。当時貴族は立派な写本で古典古代の文献を集めて書架に揃えるのを誇りとしたのです。
もう一人はフェデリコ・ダ・モンテフェルトロ。この人はウルビーノ公です。傭兵隊長でしたが、人文主義的な教養の持ち主で、コジモと同様、芸術家たちのパトロンでもありました。中部イタリアの山の上に今でもウルビーノ公が造った城郭都市が残っており、その図書館(現在はウルビーノ美術館のなか)を見ることが出来ます。蔵書は17世紀にヴァチカン図書館に寄贈されています。
いずれもアルドゥスの2世代くらい前、1400年代中葉に活躍した人たちです。こうした愛書家達の情熱的な文献蒐集のなかからルネサンスが生まれたという側面を忘れてはならないでしょう。
今挙げた3名をはじめ、当時の愛書家たちに本を提供していたヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチという写本商がいました。この人は貴族の求めに応じ、写本を作っていた人です。『列伝』(邦訳『ルネッサンスを彩った人びと』)という回想録を残しております。これは当時の愛書家列伝みたいなもので、貴重な文献を発掘した経緯や、メディチやウルビーノ公に納めた本の話が語られていて、日本でいえば反町茂雄さんの『一古書肆の思い出』みたいな本です。その中に、当時の豪華本の装丁についてちょっと面白い記述があります。
「書物の王である聖書はこれを金襴で装丁させ、続いて教会博士たち(の著作)は銀糸を織り交ぜた赤い絹で装幀させた・・・」
これはウルビーノ公に納めた写本について述べられた箇所です。ここで「書物の王である聖書」というのは、現在ウルビーノ聖書と呼ばれ、ヴァチカン図書館の一番美しい本に数えられている聖書です。興味深いのは、当時、一番豪華な本は布装であったということです。金糸、銀糸を織り交ぜた布で装丁されている。
もう一箇所は
「蔵書はすべて最高の品質を誇る手写本ばかりで、印刷本は一冊も含まれていなかったから、もしそのなかに印刷本が迷い込んだなら、その本は恥じ入ってしまったことだろう。」
ビスティッチは印刷本よりも写本のほうを格上に見ているのですね。写本業者ですから当然のことかもしれませんが、この時代、写本商がどんどん印刷業に鞍替えしていく中で、最高品質の写本を作っていたビスティッチだけは最後まで写本業者であり、いわば写本に殉じた出版人といえましょう。写本の文化から活字の文化へ移行する端境期を象徴する人物でした。
ルネサンス期、本というメディアの体裁がどのように変化したのか、簡単に振り返っておきましょう。まず今お話したように、写本から活版印刷本に変わっていきました。そしてゴシック体の読みにくい字が誰でも読めるローマン体に変わっていく。判型を見ますと、おおよその傾向として大型本から小型本へと移行している。本文の素材はパーチメントやベラムなどの獣皮から紙へと変化していく。装丁スタイルは布、木、革、金工細工を用いた中世のスタイルから、革を用い金箔で装飾を施すスタイルに変わる。革装に金箔という装丁のスタイルは15世紀くらいから始まっています。
つまり全体的にみると明解なスタイルに変わった。携帯性に優れたスッキリした形になった。威圧的な形態から親しみやすい形態に変わったということになります。いってみれば本が神の領域から人間の領域に降りてきたということでしょうか。神を中心に作られた中世の世界観から、人間中心のルネサンスへの移行が、本の意味にも変化を及ぼし、その意味の変化が形態に反映しているわけです。時代思潮と同じように、本の体裁が人文主義的なスタイルへと変化していったということになります。
話をアルドゥスに戻しますと、ギリシア・ローマの文献蒐集に寄せる情熱、それにともなう本というものの意味の変化が、アルドゥス文庫が誕生した文化的背景と考えられます。