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雄松堂Net Pinus 62>荒俣 宏 氏講演録「発見された古代エジプト」

Net Pinus 62号

雄松堂フォーラム2005

2005/12/27
「発見された古代エジプト」

2005年12月2日、パシフィコ横浜において開催されました雄松堂フォーラム2005。
第一部は荒俣宏氏によるナポレオン「エジプト誌」を紹介する講演でした。
本記事はその講演録を省略の形で掲載させていただいています。

七不思議にも劣らないワンダーブック

小学校1年に近所の古本屋で漫画をはじめ、様々な書物の存在を知ってから50年以上、書物への関心をずっと持ち続けているのですが、その中で何回か非常に驚いたことがあります。最も大きな驚きのひとつに洋書の世界を初めて見た時のことが挙げられます。それまで日本の書物には親しんできたのですが、洋書の世界を知ったとき質もランクも全く違うと思いました。そこに投入された人々のエネルギーや、情熱といったものが、世界レベルになると桁が違うとつくづく感じたのです。

そういった書物のうちの一冊が今回ご紹介するナポレオンの「エジプト誌」です。この本を初めて見たのは、私が大学生だった頃、慶應大学日吉校舎の日吉図書館でした。但し実物ではなく、確か複刻本のようなものだったと思います。ただ単純にエジプトがとても好きだったので、エジプト七不思議の一つである大ピラミッドの絵が載っていたから借り出してみたところ、エジプトはピラミッドだけではないことを知りました。今でも一番覚えているのは獅子座、蟹座といった星占いに使われている天文図を見たことです。何千年も前に、我々が今親しんでいる星占いの源があったのだと思い、すごい調査報告だと思いました。

大学を卒業してサラリーマンになり、「エジプト誌」の実物を見るチャンスが訪れました。当時、日本は高度成長期にあたり、サラリーマンは非常に楽な商売でした。贅沢をいわなければどこへでも行くことができたので、ゴールデンウィークなどがあると様々な所へとでかけて行きました。そうしたなか、「エジプト誌」のオリジナルがあるというので天理図書館に赴いたのです。図書館の方に、「エジプト誌」のどの本だ?と聞かれその時はじめて図版集だけでも何冊もあることをそこで知り、とりあえずピラミッドがでているものをお願いしました。そして出てきた1メートル近くある大きな本と、そうした本が何冊もあることに非常に驚いたのです。さらに開いてみると印刷ではなく全て手刷りの版画で、しかもその一部には非常に精密な彩飾が施されており、これは人間が造ってはいけないのではないかという印象を受けたのです。私はそういう類の本を「ワンダーブック」と呼ぶようにしているのですが、まさにワンダーでした。もう勉強の為とか、資料に使うためとかいう域を超えて一種の七不思議をつくっている。出版とはピラミッドを造るのと同じ様なすごい作業なのだと感じた最初の本でした。

そして次にこの本をなんとか手に入れる方法はないかと考え始めました。そこで神田へ出向き、松村書店という洋書専門店の店主に聞いたところ、「エジプト誌」なら日本で人気があるのでパリに買い付けの際には必ず買ってくると話してくれました。日本に来る可能性があるのかと大非常に喜んだのですが、とんでもない値段を聞かされ、19世紀以前の洋書は一般の人間の手にはいるものではないという結論に至り、結局天理図書館などで実物を見る以外にないと思ったのです。

とうとう「エジプト誌」を・・・

それからしばらくして、まだサラリーマンをしていましたが、休みをとって海外へ古書の買いつけをしようと一大奮起をしました。最初に行ったのはCharing Cross Roadがまだ古本屋だらけであったイギリスのロンドンです。古書展をめぐっていくうちに、西欧ではいわゆるレア・ブックというものがいくらでも転がっていて、しかも日本で聞いた値よりはるかに安いということが段々とわかってきて非常におどろきました。さらに向こうにはオークションというものが存在し、一般の人も場合によっては
講演する荒俣氏

大変安くレア・ブックを手に入れることができ、外国人でも大抵のものは持って帰れるというのがわかったのです。オークションで落ちた値を考えると、「エジプト誌」も一般の人が買えそうな値段でした。

そしてサラリーマンをやめて3年目、とうとう「エジプト誌」を手に入れることができました。さて、家に持って返ってこの本をゆっくり眺めようと思いました・・・が、そこでとんでもないことに気が付いたのです。この本、大きすぎて家にはいらない。これには大変困りました。そこで当時平凡社で百科事典の編集助手をやっていたことから、頼み込んで平凡社においてもらいました。しかし、さらに実際所有して気がついたのですが、こんな大きな本は相当元気でないと開けない。結局、慶應に収めるまで十数年間所蔵しましたが、開いたのは2、3度でした。今日ここでご覧に入れるように、デジタル化され、はじめて隅々までゆっくり眺められるようになったのはつい最近です。

「エジプト誌」は現在日本には20セットほどありあますが、なかなか実物を見る機会がありません。殆どの図書館で公開されていない理由として、まずこの本の大きさがあげられます。第二に、なにせ200年も昔の本なので、アスワンハイダムの建設をはじめとし、当時の調査から全く状況が異なってしまい、調査報告として役に立たないということです。第三に、エジプト学研究自体が大きく進歩し、専門家でもほとんど見る機会というか必要がない代物であることがいえると思います。ただ、我々の観点からいうと、先程言いましたようにワンダーブックと言う言葉どおり、よくここまでやったという類のすごい本なのです。こうしてデジタル化されたものをじっくり見てみるとあらためてこの本のすごさを感じます。

「エジプト誌」の歴史的背景とその影響

ご存じのようにナポレオンは百何十人の学者を連れてエジプトに来ましたが、主たる目的は研究ではなくイギリスやオスマントルコと領地を奪い合う戦争でした。「エジプト誌」に関わった研究者達は戦争の最中に発掘し、大砲が飛び交う中でスケッチをしました。イギリスが海上封鎖してフランス本国とのつながりを断たれたにも関わらず、学者達はあちらこちらに研究所を建て、全く本国がどうなったかもわからず研究してできた歴史的に考えてもとてつもない本なのです。戦争なので領地を奪うことがメインなのですが、戦争に全く役に立たない考古学の研究を中心に内容のフィールドの大きさも大変なものです。

エジプト遠征時のフランスはフリーメイソンというアカデミックな結社に代表される、古代の英知や、科学的な歴史を研究する新しいセンスが流行していました。こうしたセンスはニュートンに事を発していると思われます。ニュートンは大変エジプトに関心がありました。彼は万有引力の法則を見つけたのと同じように、西暦をベースにおき、あらゆる国々の歴史を比較検討して万有歴史の法則を見つけようと考えていたのです。もう一つの関心の理由は文明の一番の基本である建築土木の基本である度量衡、つまり重さ・長さの単位を世界で統一的なものにしようとしたためでした。ニュートンはそこで万有引力の法則と同じように、人間が決める以外の基本的な尺度があるのではないかと考え、それを古代の遺物から発見しようと実測が可能なピラミッドの調査を開始しました。オックスフォードの学者を派遣し、色々と測量をしたところ、エジプトではユニバーサルな尺度が存在し、どうもそれが天文の単位に繋がっているのではないかという結論に至りました。これがエジプトの科学的研究のはじまりです。その後、エジプトのピラミッドの石段はカレンダーであるとか、ピラミッドは巨大な天文台のシステムを兼ねていたとか、様々な仮説がでてきますが、こうした科学的関心をまとめたものがナポレオンの「エジプト誌」でした。
講演する荒俣氏2

エジプト誌の時代は落ちているものを拾ってくるだけで充分価値のある遺物を手に入れられた時代でした。ですから、博物学、鉱物学等々様々な分野にわたり、とてつもない図版が並んでいます。しかしこれだけ多くの発掘・研究がなされながら、フランス軍はネルソンが率いるイギリス軍に敗れたため、その殆どのものがイギリスのものになってしまい、これほどの研究をしたのに、フランスに唯一残ったものはこれからご覧に入れる「エジプト誌」だけとなりました。しかし、このナポレオンのエジプト遠征により、空前のエジプトブームがおこります。ロゼッタストーンを研究したシャンポリオンはナポレオンの遠征から30年後にエジプトに赴きますが、その僅かな間に遺物の殆どが持って行かれたり盗まれたりして、かなり状況が変わってしまっているという記録を残しています。

それほどエジプトブームは白熱し、建築から音楽・美術などの芸術的なに非常に影響を与えました。例えば当時、はやり始めたオペラにモーツアルトの魔笛と言う作品がありますが、ベルリン劇場で行われたときの舞台装置はすべて「エジプト誌」の図版をそのまま使ったようなものでした。こうして「エジプト誌」によって伝えられたエジプトの神秘的、ロマンティックな要素は人々の関心を集め、エジプトは当時の人々の観光の名所となったのです。

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近畿大学所蔵 
DVD版 ナポレオン エジプト誌
(雄松堂出版刊)2006年1月刊行予定

62号 2005/12/26
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