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雄松堂Net Pinus 62>芥川龍之介の生誕地をめぐって

Net Pinus 62号

雄松堂出版刊『築地外国人居留地』補遺

2005/12/27

愛知大学国際問題研究所 客員研究員 川崎晴朗
築地外国人居留地

路加看護大学の校地に沿って、「芥川龍之介生誕の地」の説明板が立っている。この説明板は昭和52年度に東京都中央区教育委員会の手で建てられたものである。1996(平成8)年3月に更新されたが、設置場所に変更はない。すぐ隣に浅野内匠頭の邸跡を示す説明板があるが、これは昭和50年度に中央区明石町12番の区道花壇内に建てられ、1992(平成4)年4月、現在の位置に移設されたものである。

 芥川龍之介は1892(明治25)年3月1日、東京市京橋区入船町八丁目の北東隅で誕生した。現在の住居表示では東京都中央区明石町10番である(1)。父は新原敏三(にいはらとしぞう)といい、1883(明治16)年からここで耕牧舎を経営し、乳牛を飼い、牛乳やバターを製造・販売していた。

 筆者は、2002年10月、『築地外国人居留地』を世に問うたが(雄松堂出版)、ここで耕牧舎についてふれた(128頁、注3:PDFファイル)。これに先だって筆者は東京都港区麻布台にある外務省外交史料館で1888(明治21)年当時の耕牧舎、すなわち芥川龍之介の生家の建物を示す図面を発見し、是非紹介しようと考えたのであるが、岩波書店『文学』に記事が載ったのは2004年、3・4月号となった(186-197頁)。興味のある方は参照して頂きたい。入船町八丁目の東隣は新栄町七丁目で、この二つの町は築地外国人居留地の予備地とされていたが、1893(明治26)年10月から12月にかけて居留地に組み込まれた。

路加看護大学は明石町10番にあり、校地は約12,910平方メートルである。耕牧舎は大小二つの建物で構成されていたが、これは大学の現在の校地のどのあたりにあったか。

 付図は聖路加看護大学の校地にある建物を示すもので、Aが大学Bが聖路加国際病院1号館、またCがトイスラー記念館である。病院の10階建ての本館は東側に隣接する明石町9番にあり、2階に1号館との連絡通路がある。明石町9番は明治初期から築地居留地の一部であった。

聖路加看護際学の校図
付図 聖路加看護大学の校図
Aは大学、Bは聖路加国際病院第1号、Cはトイスラー記念館。
黒塗りの建物は耕牧舎の跡地。(黒塗りの建物は筆者が書き加えたもの)
出典 聖路加看護大学。

 さて、耕牧舎の建物を黒塗りにして大学校地に投影すると、この建物が校地の北辺を占め、B、すなわち聖路加国際病院1号館の一部が耕牧舎の跡地の上に建っていることわかる。

 現在の聖路加国際病院、聖路加看護大学などは1998(平成10)年5月に完成した明石町再開発事業の一環として建設されたが、病院1号館は旧病院建物の一部が取りこわされず、ほぼそのまま保存されたものである。旧病院建物は1928(昭和3)年1月に基礎工事をはじめ、1933(昭和8)年6月に完成した。その一部が現在でも残されている訳であるが、ここには高さ45メートルの礼拝堂がある。建物Bが現在も保存されている病院1号館で、北側にある棟が礼拝堂であるが、心なしか耕牧舎の小さい方の建物が礼拝堂の一部と重なっている。『文学』の拙稿で述べたように、この建物が新原敏三の住居(すなわち芥川竜之介の生家)で、彼は大きい方の建物で乳牛を飼い、牛乳、バターなどを製造していたと考えられる。

述したように、旧病院建物は1933年6月に完成した。6階建て、地下1階の建物である。設計は当初レイモンド建築事務所が担当したが、のちバーガミニ(J. Van Bergamini)の手で進められた。とくに礼拝堂の部分は最初の計画案を破棄して設計をやり直し、近代ゴシック様式としたばかりでなく、病棟の各階から礼拝に参加できるよう、ギャラリーを設けた。礼拝堂の建設の開始は1935(昭和10)年8月で、完成は1936(昭和11)年11月30日であった(2)。工事を請負った合資会社清水組(現在の清水建設株式会社)が1932(昭和7)年11月に出版した資料(3)によると、塔屋の十字架は9尺5寸の高さで、「純金ノ金箔ヲ置ケリ」とある。

 1990年代に明石町再開発事業が実施されるまで、十字架がこの付近では一番高さがあった(4)

芥川龍之介は1927(昭和2)年に死んだが、その翌年、旧病院建物の建設がはじまり、さらに1935(昭和10)年、礼拝堂の建設が開始された。芥川の死と聖路加国際病院の礼拝堂建設との間にはもちろん何の関係もない。以上は、築地外国人居留地の歴史にかかわる一つのエピソードとして書いた。

  1. 耕牧舎があった位置を1966(昭和41)年7月に実施された住居表示で示すのは実は簡単ではない。聖路加国際病院の正式なアドレスは明石町9番1号、聖路加看護大学のそれは明石町10番1号である。筆者は、耕牧舎の跡地を表示するとすれば明石町10番とするほかないと考えているが、病院の一部になっており、明石町9番とすべきであるという主張もあり得よう。
  2. 東京都中央区教育委員会社会教育課文化財係編・刊『築地の外国人住宅』(1992年)、17-22、111頁。
  3. 『聖路加国際病院建設概要』と題する小冊子で、筆者は東京都中央区立京橋図書館で閲覧した。
  4. 聖路加国際病院の日野原重明理事長が2005年9月の『文芸春秋』に寄せた稿によると、第二次大戦中、「月夜に空襲の目標になるから」として十字架を外すよう命ぜられたという(298頁)

川崎晴朗氏プロフィール

昭和8(1933)年生まれ。昭和31(1956)年、外交官・領事官採用試験合格。昭和32(1957)年国際基督教大学教養学部卒業。同年より平成9(1997)年まで外務省に勤務。平成10(1998)年より平成16年(2004)年まで東京家政学院筑波女子大学国際学部教授。同年より愛知大学国際問題研究所客員研究員現職。法学博士

著書:『幕末の駐日外交官・領事官(東西交流叢書4)』雄松堂出版 1988年
   『築地外国人居留地』雄松堂出版 1988年

62号 2005/12/26
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