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Net Pinus 64号

新・古書への扉

2006/06/26

新・古書への扉

新古書への扉-古書の愉しみは十人十色-
専門知識がないと・・・そんなイメージを古書に持っていませんか?
実は古書の愉しみ方は100人100通りなのです。もっと気楽に、自由に古書を眺めてみましょう!

文字を読んで先人の知識を探求するのはもちろんですが、本はそれだけではありません。精巧な皮装幀から職人のこだわりに感銘をうけたり、写本のタイポグラフィーに斬新さを発見したり、一枚の美しい挿絵をぼんやりとながめてみたり・・・。ちょっと手ののばしにくい古書の世界に通じる扉・・・どの扉から入っても結構です。是非一度、古書の奥深さを覗いてみませんか?


■装丁を眺めよう

ビアボーム全集


\630,000 (税込み)

8vo. 10 vols. First collected edition. Limited to 750 numbered sets, signed by Max Beerbohm in the first volume; half morocco, gilt paneled spines, top edge gilt, others untrimmed. Bound harlequin style matching as closely as possible the original buckram colors by Sangorski & Sutcliffe in 1963.

 イギリスの随筆家・風刺画家ビアボーム(Sir Max Beerbohm, 1872-1956)(*1)の全集を初めて見たときの印象には、ちょっとした驚きが含まれていました。なぜなら、全10巻の全集なのに1巻ごとに装丁の色が全部異なっていたから。そして各巻の色が、はっきりとは形容し難いすてきな色で揃っていたからです。赤は単なる「赤」ではなく、青も一言で表せる「青」ではありません[写真1]

ビアボーム1巻 ビアボーム2巻 ビアボーム3巻 ビアボーム4巻 ビアボーム5巻
ビアボーム6巻 ビアボーム7巻 ビアボーム8巻 ビアボーム9巻 ビアボーム10巻

[写真1]

 「全集」と名のつくものは、全部同じ装丁で色も揃っており、一目で「仲間」というのがわかるようになっているものなのだと、ずっと思っていました。だからビアボームの全集を見たときに、その固い考え方をパコンと割られたような、そんな気さえしました。調べてみたところ、この全集はもともと多彩な色のクロス装で出版されており、現在、在庫であるものはその装丁に倣って再製本されたものだと思われます。

[写真2]

 現在の装丁は、イギリスの有名な製本工房サンゴルスキー&サトクリフ社(Sangorski & Sutcliffe)で1963年に施されたものです。[写真2]この工房は1901年にサンゴルスキー(Francis Sangorski, 1875-1912)とサトクリフ(George Sutcliffe, 1878-1943)によって創立されました。二人は、その5年前の1896年に著名な製本家ダグラス・コッカレル (Douglas Cockerell, 1870-1945) が教えていたロンドンの工芸学校で、製本を学ぶ生徒として出会いました。共に優秀な成績で、揃って奨学金を手にしています。

 二人の工房は、金箔と豪華な宝石を使った精巧な製本で有名になりました。特に有名なのは、ペルシアのウマル・ハイヤームによる四行詩を、イギリスの詩人フィッツジェラルド(E. FitzGerald, 1809-1883)が英訳した「ルバイヤート」(Rubaiyat of Omar Khayyam)で、表紙に黄金の羽を持つ孔雀や数々の宝石をあしらった優美な製本です。完成するまでに2年を要したそうです。この作品はアメリカの顧客の目にとまり、タイタニック号でアメリカへ送ったため、タイタニック号の沈没で行方がわからなくなってしまったということです。そして、その悲劇の起こった同じ年(1912年)にサンゴルスキーは事故で亡くなりました。

 サンゴルスキーの没後も、サトクリフは工房を続けました。1943年にサトクリフが亡くなると、サトクリフの甥が後継者となり、1985年まで工房で働き続けました。1988年には、19世紀の有名な製本家ツェーンスドルフ(Joseph Zaehnsdorf, 1816-1886 )が設立した工房と合併をし、その工房は今日もロンドンにあります。

 さて、今私の目の前にあるビアボームの全集には、天金が施され、背は金で文字が入れられています。[写真3、4]きれいな装丁ですが、先に述べた「ルバイヤート」のような豪華な製本ではありません。この製本は1963年に施されたものですから、サンゴルスキーとサトクリフが自ら装丁したものではありません。彼らの跡を継いだ工房の職人によって装丁されたものです。10巻の色をすべて違うものにしながら全体の調和を保つ、というのは素人目にもなかなか大変なことのように思えます。

装丁1 装丁2

[写真3]

[写真4]

 時の経過によるものか、背の色は薄くなっていて、本の表紙を眺めてようやく本当の革の色がわかります。元々はもっと鮮やかな色をしていたのです。この全集の装丁は全てが革ではなく、背と、背とは接していない角の部分が革で、残りはクロス(布)で覆われています。このような装丁を「半革装」(half bound)と言います。[写真5](*2)

「半革装」

[写真5]

背牛革装

[写真6]

 この全集の色彩をなんと表現してよいのやら、(自分の)言葉の限界を感じます。見方によっては、元の鮮やかさを失ってしまったとも言えるのでしょうが、背の色はとても優しい色をしていて、人の心を捉えます。それは、製本職人が心を込めて作ったものである、という時を経ても褪せることのない情熱の証が、この色の異なる10巻から伝わってくるからかもしれません。

 製本職人たちの作品でもある豪華な製本に酔いしれるもよし、歴史の重みを感じる装丁を見ながら感慨にふけるもよし、何気なく施されている細やかな製本技術に見入ってもよし、はたまた、本棚にズラッと並んでいる様々な装丁の古書を前に、ただただ圧倒されるもよし。 − 洋古書を見る愉しみは、表紙をめくる前から始まっているのです。


*1
ビアボームはオックスフォード在学中から、19世紀末の文芸・美術雑誌として有名なYellow Book誌上で活躍していた人物で、機知と皮肉と軽妙さに富む社会・文芸批評に長じ、世紀末的な雰囲気をもった文人として文壇で独自の地位を占めていました。

*2
実際に古書目録の中に出てくる表記は、使われている材料が明記されていることがほとんどです。モロッコ革が使われている場合にはhalf morocco(半モロッコ革装)、子牛革の場合はhalf calf(半子牛革装)と表記されています。また、背だけが革の装丁は quarter bound (背革装) と呼び、この場合にも、目録の中ではquarter calf(背牛革装)とかquarter morocco(背モロッコ革装)と表記されます。[写真6]

64号 2006/06/26
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