立教学校の生誕地がどこであったかを知る上で、次の2点に留意する必要がある。
(1)幕府は1867年11月26日(慶應3年11月1日)、諸外国の駐日公使と「外国人江戸ニ居留スル取極」を締結したが、これにより本来の意味の居留地(筆者は「狭義の居留地」と呼ぶ)および相対借り地域の二つを築地に設定した。そして、「狭義の居留地」については日本側がすでにある家屋を撤去して地所を造成し、外国人にこれら地所を貸与する、また「相対借り地域」では外国人が日本人から家屋を借りて住むことができるとした。すなわち、外国人が住宅、事務所、学校、教会などの建物を新築する場合は、「狭義の居留地」で地所を入手するより他はなかったのである。
(2)『エヴァンジェリン』などの作品で高名な米国の詩人ロングフェロー(Henry W. Longfellow)の長男チャールズ(Charles A. Longfellow)は1871年6月25日(明治4年8月11日)に来日、1873(明治6)年2月21日に横浜を離れたが、彼はその間、築地に武家屋敷風の家屋を構えていた。そして約一年後、この家屋で立教学校が開校した。つまり、チャールズの住居が判れば立教学校の発祥地が判るのである(注1)。
(注1)1998年、Christine Wallace Laidlaw 編のCharles Appleton Longellow: Twenty Months in Japan 1871-1873 (Cambridge, Mass.; Friends of the Longfellow House) が刊行された。拙著でも、版元の許可を得て写真を1葉転載したが(160頁)、これに先立ち、立教大学の鈴木範久教授が『立教大学コミュニティ福祉学部紀要』の創刊号(1993年3月刊)でLaidlaw の書物を紹介された。筆者も立教史学会『史苑』の第60巻第2号(2000年3月刊)で若干のフォロー・アップをさせて頂いた。つづいて山田教授の前掲の訳書が上梓の運びとなったのである。
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