この友人とは、私よりも10歳若い日本人女性で、アメリカの大学でアメリカ人学生にアメリカ文学を教えるというちょっと珍しい職に就き、最近終身在職権も取得した人物であり、長年にわたる仕事の協力者でもあれば、親友でもある。
「完全に怠惰に徹する」日々の開始の前に、煩わしさの関門が待ち構えていた。出発の矢先である8月半ばに、ロンドンでアメリカ行きの航空機を狙った爆弾テロの計画が発覚したこともあって、ましてテロの標的になりやすいとされるアメリカの航空会社のアメリカ往復の便であることもあり、成田でもアメリカでもセキュリティ・チェックは極めて厳しかった。まず、搭乗のチェックインの際に、預けるトランクは「中身を検査しますので、鍵を全部外しておいてください。外してない場合は、強制的に鍵を壊して検査します」と言われ、私は鍵を外して渡したものの、荒っぽく扱われることは必定のトランクが途中で開いて中身があふれ出しては困ると思い、チェックインの係りの人に、検査後に鍵の部分に厳重にガムテープを貼ってくれるよう依頼した。その結果トランクは、かろうじてガムテープで分解を防いでいるかのような無様極まりない姿になった。もっとも実際に開けて詳細に検査するトランクは、一部のものだけであるらしいが、「幾つかのトランクは開けて中を詳しく検査します。あなたのトランクは検査するものに選ばれました」との断り状が入れられるグループに行きも帰りも選ばれたのは、私がかなり「怪しい」人物と映ったからかもしれない。またアメリカの空港では、セキュリティ・チェックのところに、「検査の過程で、爆弾や脅迫に関する冗談ないしは発言をした場合は、刑事罰と民事罰の両方の根拠と見なされます」との掲示があった。これほど神経質になっているところに、ふざけて「爆弾だぞ」と脅かそうとする輩がいては邪魔になるということであろう。手荷物検査では、靴も脱ぎ、時計もベルトも外し、ハンドバッグの中身もいちいち調べられるという厳密さであったが、「爆破されるよりはまし」と思ってか、誰も皆、時間がかかる検査を辛抱強く待っていた。
また搭乗前に、「免税店で買った酒や化粧品や香水は、今すぐ返品するなり、搭乗前に全部消費するなりしなければならない。さもなければ、それらは没収される」というアナウンスも繰り返し流されていた。このような買い物をした人はおそらく返品に走ったであろう。買ったばかりの高級ウィスキーや香水を搭乗前の待合室で全部消費するなどということは考えられないが、もし仮にそういう人がいて、私の座席のそばに座ったとすれば、これ自体がひどい「テロリズム」であろう。また機内の免税品販売も一切行なわれなかったが、これは、機内販売用の免税品の中に爆発物が紛れ込むのを防止する措置なのだろうと推測している。私は免税品にはほとんど用がない人間であり、個人的にはこのような措置になっても困ることはないが、免税品の業者にとっては極めて深刻な打撃だと、他人事ながら心配になった。しかし、どの空港でも免税品店が開いているところを見るならば、このような措置は、テロリストの標的になりがちな便に限っているのかもしれない。
航空機を標的にしたテロリズムがなくならない以上、こうした免税品や荷物検査の措置は続くであろうし、このことは旅行に関する慣習を、望むと望まぬとに関わらず変えることになるであろう。例えばトランク一つをとっても、検査官が中身を調べた後でもしっかりしまっていることが確認されるような新しい型のものに変わっていくであろうし、またトランクに貴重品は入れないという風潮にもなっていくであろう。帰国後、デパートの鞄売り場に問い合わせたところ、「特にアメリカ方面ではトランクの鍵を開けて預けることに備え、アメリカ税関が合鍵を持っているTSA(Transportation Security Administration)対応の鍵の鞄に買い換えていただければ、鍵をかけたまま預けられる」との回答があった。この点も含め、具体的に今後どのような変化が起きていくのか、私は非常に興味がある。
シカゴから40人乗りの小さな飛行機で1時間ほど飛んだ先にあるウィスコンシン州スティーヴンス・ポイントを訪れるのは今回が3回目であるが、これまでの訪問はいつも冬であったため、夏のウィスコンシンは初めてで、新鮮であった。また当然ながら、この田舎町はテロ騒ぎとは隔絶したのんびりとした日常の世界であった。当地の8月下旬の気候は涼しく、到着直後から、「仕事を忘れ、怠惰に徹する」快適な避暑地気分にどっぷり浸っていた。
「大学と近辺の住宅地と40メートルほどのメイン・ストリートを除けば、何もないド田舎」と、これまで友人をからかってきた私であるが、夏の町には、雪に埋もれていた冬には見えなかった活気があった。アメリカ文学の中のウィスコンシンというと、まず思い浮かぶのが、ウィスコンシンの田舎町の知的・精神的な偏狭さを徹底的に揶揄したシンクレア・ルイスの『メイン・ストリート』(1920)であり、次いで搾取される農民の極限的な苦しさを描いたウィスコンシン生まれの作家ハムリン・ガーランド(1860−1940)であるが――それ以外は、勉強不足ゆえに思いつかない――21世紀の大学町の雰囲気は、これらの作家たちが描いた19世紀後半や20世紀初頭の状況とは全く異なる、のどかで、それなりの知的洗練さを漂わせる世界であった。
しかし、現在でも、19世紀や20世紀とは別の形で、階級分けが強化されていることも事実である。同じウィスコンシン大学でも(ウィスコンシン大学のキャンパスは州の各地に20箇所以上存在するのだが)、圧倒的にレベルが高い――というよりも、世界でも一流レベルである――マディソン校と、このスティーヴンス・ポイント校では全く風景が違うという。例えば、寮に入る新入生を親が荷物を積んだ車で送ってくるのだが、象徴的な風景で言うならば、マディソン校では、洒落た身なりをした両親がボルボなどの高級車に子供の荷物を積んで送ってくるのに対して、スティーヴンス・ポイント校では、肥満した父親とパーマがいささか伸びきった垢抜けない母親が、トラックに子供の荷物を積んで送ってくるという違いである。裕福なエリート家庭の子供は、教育レベルも高いためにエリート校に入学し、さらに輪をかけたエリートになっていくという階級制度の強化は、こうして進んでいるのだろう。
仕事のことを忘れて怠惰に徹する日々とは、目新しいことをするのではなく、ひたすら平凡な日常を楽しむことであった。食べて、歩き回って、おしゃべりしての日々の一端を述べてみよう。
まず食材に関してであるが、決まった曜日にのみ開かれるファーマーズ・マーケットに行くと、農村地帯であるため、朝収穫したばかりの新鮮な野菜を生産農家の人が直接売っているし、もっと新鮮なものを手に入れたいならば、大学の農園に行けばいい。この大学には農学部はないが、自然資源学を専攻する学生たちに、今年から大学がキャンパスに近い小さな畑を提供し、そこで学生たちが有機野菜栽培を行なっており、夏の決まった時間にその畑に行けば、お客が欲しい野菜を、学生が畑から取って売ってくれる。私もこうした取れたてのトマトやキュウリにそのままかぶりついて、新鮮野菜の味を楽しんだ。
また、友人は毎日、愛犬と私を車に乗せ(そして時には、彼女の友人から、散歩に連れて行ってくれるように頼まれた別の犬も一緒に)、自宅から30分ほどの州立公園ウォウパカや町を取り巻く森につれて行き、そこで私たちは犬を散歩させながら、1時間半から2時間の散策を楽しんだ。そこに行くまでのドライヴで見かける景色は、どこまでもうねりながら広がる畑や牧場であり、北海道旅行で見た「異国風」の景色と全く同じであった。ウォウパカはシカゴの金持ちたちの避暑地でもあり、垢抜けたブティックや洒落たレストランや画廊がある数十メートルのメイン・ストリートと、広大な森と幾つものきれいな湖がある場所であるが、避暑のピーク時は過ぎていたため静かであった。
レストランでしっかり腹ごしらえした後で、鬱蒼とした森の中を犬と一緒に散策していると、蛇が出てきたり、鷺や、名も知らぬ鳥の群れが飛び立ったりしていて、さながらヘンリー・デイヴィッド・ソローの世界であった。人影をほとんど見ない森の中を歩き続け、時折木々の間から見える湖の美しさに驚嘆の声を上げ、蛇や馬糞にキャーキャー悲鳴を上げていると、東京の仕事の世界も年齢も完全に忘れ去っていた。13年前にサウス・ダコタの空港に降り立ち、水も緑もない赤っ茶けた乾燥大地だけが果てしなく広がるのを目にした時、「水と緑があることはいかに心が癒されるものであるか」を、それがない世界に直面して初めて強烈に実感したが、その水と緑がふんだんにある世界を心ゆくまで歩き回ると、自分の心の枠が取り払われ、新たな力がわいてくるような感覚を味わえた。雪に閉ざされた冬のウィスコンシンでは経験しなかった「おおらかな自然の恩恵」を味わいつくしていた。
こうした長い散策から帰ると、友人は毎日、しっかり手の込んだ料理を何時間もかけて作ってくれる。私は徹底的に何もせずに、キッチンに椅子を持ち込んで、料理している友人とずっとおしゃべりをするのだが、それに飽きれば、友人の家の裏庭の「タンポポ除去」の仕事を申し出て、遊び半分にこなしていた。友人が飼っている犬と猫たちを裏庭で遊ばせながら、仕事半分遊び半分でタンポポを抜くのは楽しい時間であった。日本とは違い、アメリカではタンポポは除去すべき有害雑草と見なされているのだが、友人が言うように「これだけ抜いてくれても、すぐにまたはびこってくる」という雑草タンポポの強さに、その一端が自分の中に宿っていて欲しいとも感じた。そして、タンポポに関する日米の違いを、トイレに関する日米の思想の違いなどの別の現象と重ね合わせたりして、思いつき遊びをも楽しんでいた。
そうこうしているうちに夕方になると、友人は数時間かけて作った料理を車に乗せて、親しい友人の家に私を連れて行ってくれる。友人の同僚で、仲良し仲間である人々――演劇、ピアノ、イギリス文学を教えている男性教員たち――は、彼女が作る、レストランのものよりおいしく、また栄養のバランスも良い料理を楽しみにしており、彼らは酒やデザートやサラダを準備して待っていてくれる。その訪問先の家の芝生では、夕方の涼風に吹かれながら、また酒を手にしながら、クローケーのゲームをにぎやかに行っていた。私はクローケーなるゲームは、『不思議の国のアリス』か何かで読んだだけで、実は目にするのは初めてでルールも勿論知らなかったが、ゲームに加わるように誘ってもらい、木のボールをうまく槌で叩いてゲートを越せたといっては騒ぎ、失敗したといっては騒ぎ、大いに楽しんだ。ゲームの後は友人が作った料理を皆で食べ、大学のゴシップなど、にぎやかに繰り広げられる話題を楽しんだ。彼らとは何回も食事を一緒にした。ちなみに、この仲良し仲間の集合場所が私の友人の家にならない理由は、男性の一人が重症の猫アレルギーであり、3匹の雌猫が女王として君臨している我が友人の家には近寄れないからだそうである。