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雄松堂Net Pinus 67>アメリカ文学ライブラリー「エッセイ」我流パソコン翻訳法
Net Pinus 67号

「アメリカ文学ライブラリー」リレーエッセイ

2006/3/30
アメリカ文学ライブラリー 「ナサニエル・ホーソーン事典」訳者のエッセイ!
高尾直知氏略歴: 1962年生まれ。東京外国語大学卒業。東京大学大学院英米文学専攻博士課程満期退学。ニューヨーク州立大学バッファロー校英文科博士課程修了。現在中央大学教授。
主な著訳書:
『緋文字の断層』 (開文社出版、2001年)
『ネイティヴ・アメリカンの文学』(ミネルヴァ書房、2002年)
『ホーソーンの軌跡』(開文社出版、2005年)
ナサニエル・ホーソーン事典』(雄松堂出版)

高尾肖像
高尾直知氏
 このリレーエッセイを読むと、執筆陣の先生がたは、実に精力的に各地を回られていてうらやましいかぎり。ひきかえ僕はといえば、ここ数年国外へ出ることもなかったし、そもそもこじゃれた旅行記をものする人柄も文章力もない。せっかくだから『ナサニエル・ホーソーン事典』翻訳にまつわる話をと思うのだが、いかにこれに呻吟したかということをセツセツとつづっても、陰鬱なばかりで読むひとはいないだろう。ナイナイづくしで情けないかぎりだが、それでも少しは世のためになろうかと、今回の翻訳に使った辞書のたぐいの話をしようと思う。
 僕が大学院生のころは、やっとこさパソコンが普及しはじめたばかりで、辞書といえば、当然紙媒体。日々、ウェブスター英語辞典(第三版)やオックスフォード英語辞典(OED)はいうにおよばず、クレーギーのアメリカ英語辞典、マシューズのアメリカニズム辞典、まだ出版途中だったアメリカ方言辞典、そのほか英語ことわざ辞典、引用句辞典、さまざまのコンコーダンスなどなどを、英文大学院の薄暗い炭坑のごとき「辞書室」(そんな一室があったんですね)で縦横無尽に引きまくったものだ。あれから20年。時代は変わって、いまでは見知らぬ単語はまずググる。でもそれだけじゃあ、ショートショートエッセイになってしまうので、もう少し詳しく舞台裏をお話ししておこう。
 いまどきの学生さんは、たぶん辞書を引けといわれると、カパッと開いて、ポツポツポツとキーを叩くことだと考えていることだろう。先生がたも、予習といえばたいてい電子辞書というかたが増えている。僕も世の中の流れに押されて、いちおう持ってはいるものの、使うのは授業中板書しながら漢字をド忘れしたときぐらいで、どうもこいつになじめない。こんなふうにいうと、あの辞書室のトラウマから抜けだせないで、辞書というとバタンバタンとおまじないのような音をたてて引かないと気が済まないのかと思われるかもしれないが、さにあらず。確かにちょっとした単語を引くときには、座右の書リーダーズ英和辞典(研究社)を開くのだが、授業の予習となると、僕はパソコンの画面の前に座らないと落ちつかないのだ。
 『ホーソーン事典』翻訳でも、やっぱり使ったのはパソコンの辞書。原稿そのものもパソコンで書くわけだから、このほうがよっぽど便利なのだ。23インチディスプレー上の左側に翻訳原稿、真ん中にデジカメで撮った原書のページ映像、そして右側に辞書プログラムというのが、僕の翻訳スタイル。『事典』の原書は重くてかさばるし、最初はコピーを持ち歩いていたのだけど、デジカメで撮って翻訳原稿ともどもUSBメモリに入れておけば、実に身軽に自宅でも研究室でも翻訳に(文字通り)打ちこむことができる。自転車通勤者にはまことにありがたい。デジカメでの撮影も、文字が読めればいい。明るい日の窓際でやればコピーより簡単。便利な時代だ。

オックスフォード英語辞典

(注1)オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)。イギリスのオックスフォード大学出版局から出されている。総収録語数は約62万語で英語に限らず、あらゆる言語の辞書の中でも世界最大級の辞典。本にすると20巻にもおよぶがオックスフォード大学出版局KKよりCD-ROM版が出ている。

(注2)異なる規格の電子辞書を規格の垣根を越えて統合し、あたかも1冊の巨大な電子辞書のように扱える電子辞書ブラウザ。
Jammingホームページ


(注3)
電子出版の共通フォーマット。統合辞書、国語・漢和、英和・和英、外国語、新語、法律、専門辞書など代表的な辞書やデータベースが60種類以上出版されている。
EPWINGホームページ

screen1
 で、具体的にパソコン辞書としてどんなものを使っているかといえば、まずはやっぱりOED(注1)。でも、これは最新の検索ソフトが愛用OSをサポートしてないので、ちょっと使い勝手が悪い。最終兵器として、普段は抑止効果(?)のためだけに秘匿しておく。
 普段使いのプログラムは、Jamming(注2)というシェアウェア。ご存じのかたも多いと思うけど、世の中に数ある電子媒体の辞書を、一元的に扱うことのできるスグレものだ。『ホーソーン辞典』翻訳の事典では、これに研究社のリーダーズ+プラスと英和活用大辞典、それから広辞苑を入れて使っていた。現在これに新しく出た新英和大辞典・新和英大辞典を加えて、最強の組合せで使っている。実はミーハーにも英辞郎も入れてあるのだが、検索結果があまりに煩雑になるので普段使いの辞書セットからは外してある。
 Jammingのいいところは、瞬時に単語を横断検索できるところ。普通CD-ROMなどの電子媒体辞書は、付属の検索ソフトウェアで検索するわけだけど、発売元が同じでも辞書によって検索ソフトが違ったりして、複数を横断して検索するのはまことにもってめんどくさい。Jammingを使えば、電子ブックもEPWING(注3)も、まるで一つのデータベースのように検索できる。これでOEDにも対応してくれたら極楽なのだけど。
 たとえば、dictionaryと入れると、辞書の見出しにdictionaryが入っているものが一網打尽に表示される。見出しは辞書ごとに色分けもできるから、目当ての辞書を見失うこともない。大きいディスプレーだと、紙媒体の辞書の1ページ分ぐらいは表示できるから、前後の単語も見渡すことができるし、辞書間の行き来もワンクリックだから、これを使い始めるとディスプレーの小さい電子辞書は使えなくなってしまう。(翻訳には直接関係ないが、いろいろなワイルドカード検索もできるので、クロスワード・パズルを解くときにも無敵艦隊アルマダか最新イージスシステム搭載艦のごとき味方となってくれる。翻訳疲れの気休めにはもってこいだ。)
 翻訳の現場では、とにかくリーダーズをこまめに引いて、うっかりの思い違いを極力避けながら進んだ。ことに前置詞と動詞・名詞の組合せには注意。念のため活用事典を引いてつぶしていく。19世紀以前の英文についてはことに用心して、OEDをときおりぶっ放す。OEDのいいところはとにかく例文が多いところで、疑問に思ったところはムリヤリ全文検索をかけて万全を期す。基本的に、翻訳というのはこんな感じで、まさに炭坑掘削に似た作業だなあと思う。

 ただ、翻訳の場合は、単なる英文解釈とは違って、当然のことながら日本語の辞書も多用する。Jammingに広辞苑が入っているのはそういうわけだ。主に漢字の確認や、例文によって和文の使い回しをチェックする。でも、ぴったりの訳語を見つけるためには、やっぱり類語辞書のたぐいが必要だ。今回の翻訳でも、普段から使っていた角川の類語新辞典と東京堂出版の類語辞典は手放せなかった。後者は半世紀以上前の編集だが、たとえば「字引」で調べると「辞書、字書、辞典、字典、字彙、語彙、字解、語典、ディクショナリー」などと載っていて、なかなか充実している。英文によく出てくる言葉のいいかえに対応するのに重宝した。でもこれは紙媒体。
 対する角川の類語新辞典のほうは、紙媒体でも出ているが、僕の使っている有名な日本語変換入力プログラム(インプット・メソッド)では、オプションで、入力候補に連動して類語候補が表示される「連想変換用辞書」としても販売されている。「じしょ」と入力すると、辞書→字書→地所→自署‥‥と同じ読みの単語が変換候補として表示されるのが普通の日本語変換。でもこのオプションを使って、類語変換候補用のキーを押すと、「辞書、字引、辞典、字典、事典、字書、百科事典‥‥」といった類語が出てくる。つまり、角川の類語辞典で「辞書」を引いて出てくる類語と同じものが候補として出てきて、略解も表示されるわけだ。これにもとてもお世話になった。

screen2

 よく似た辞書オプションとして、共同通信社の記者ハンドブック辞書というのもある。僕みたいに誰も読まないような論文ばかり書いている人間にはあまりなじみがないのだけど、今回の翻訳は、なるべく一般の人にも読みやすいようにという編集方針で、漢字の使用についても注意があった。この辞書を導入しておくと、難解な単語や誤解を招きやすい表現には、変換のたびにチェックが入り、別のいいまわしを推薦してくれる。必ずしもいつもその通りにしたというわけではないけど、大いに参考にさせていただいた。
 しかし、こんなふうに書いていると、おまえの翻訳はみんな機械仕掛けかと叱責の声が聞こえてきそうだ。そんなことは決してない。英語の辞書が炭坑掘削の道具、類語辞典のたぐいはできた炭坑をひとが通れるようになめらかにしてくれる道具と考えると、でもやっぱりどのように穴を掘っていくか計画し、実際に穴を掘るのはひとの手作業以外のなにものでもない。ちまたでは自動翻訳機械(プログラム)なんてのが話題になるみたいだが、僕自身はまったく信用していないし、今後数百年は完全な万能翻訳機などは出てこないと確信している。ことばの意味は、決して完全には定義できないし、だからこそ翻訳が可能になるのだから。

 今回の翻訳でいちばん苦しんだのは、固有名詞の発音の確認だった。ホーソーンは英国領事の時代にイングランドのみならず、スコットランドなども回ってバーンズやスコットのゆかりの地を訪れているし、大陸にも長く滞在して各地で知己を得ている。アメリカ本土だけでも読めない地名や人名があるというのに、ヨーロッパまで加わって実に煩雑な確認が必要となった。
 まず、各種固有名詞事典(たとえば定松正ほか編『イギリス文学地名事典』、ミルズ編『イギリス歴史地名辞典』)や百科事典のたぐいを調べて、主なものをつぶしていく。僕はとくにバーンハート編のニューセンチュ
イラスト

(注4) (バートルビー ドットコム) 辞書、百科事典、語法事典、引用句辞典、古典的な詩からフィクション/ノンフィクションの電子テキスト・アーカイブなどを集めた、総合的レファレンス・サイト。

リー固有名詞百科を愛用している。発音記号も出ていてるし、英米のみならず全世界の固有名詞が網羅されていて、これであらかた決着がつく。もちろんホーソーンやそのほかの作家の作品の翻訳は、できるかぎり目を通して、細かい人名や地名をチェックする。ことにホーソーンの『大理石の牧神』の翻訳(島田太郎ほか)や『ナサニエル・ホーソーン短編全集』(國重純二)には、大いにお世話になった。今回の翻訳が可能だったのも、こういう研究者たちの積みかさねがあったからだと、ガラにもなく感じいった次第。
 しかし、どうしてもつかまらない発音には、やっぱりネットにお世話になるしかない。普段は上述の辞典をひき、bartleby.com(注4)を百科事典がわりに使いながら、何とかこなしていたが、それでもわからないものが出ると、結局ググるしかなくなってしまう。ところがそれでよけい混乱してしまうのだ。
 一例をあげよう。実際の『ホーソーン事典』では割愛されてしまったが、実は原書には謝辞として多くの個人名があげられた部分がある。その中に有名なホーソーン学者であるEdward Wagenknecht氏の名前があった。この姓を本当はどう読むのかで、僕は七転八倒してしまったのだ。てっきり「ワゲンネクト」だろうと思って、念のためとネットで検索すると、「ワゲンクネヒト」なんていう英独ちゃんぽん読みがズラズラと出てくる。結局アメリカ留学中の友人に聞いてまわってもらって、「ワゲンネクト」でいいらしいと教えてもらい、ことなきをえた(この友人からはカーネギー・メロン大学の発音辞典Carnegie Mellon University Pronouncing Dictionaryなるものも教えていただき感謝している)。
 ともかく、こういう強固な岩盤があちこちに隠れている、そんな翻訳だった。時間の制約もあり、パソコンやインターネットがない時代では決してなし遂げられなかっただろうと、今さらながら思う。曲がりなりにも、坑道の向こう側に出てくることができた。あとは、できるだけ多くのひとに、この鉱山を訪れてもらって、いろいろな宝を発見していただきたいと願う次第。

アメリカ文学ライブラリー リレーエッセイ
(1)亡霊がひしめくアメリカ南部を巡って:前田絢子 氏(早稲田大学教授)「 F・S・フィッツジェラルド事典」訳者
(2)マルコムXの精神的遺産:荒このみ 氏(東京外国語大学教授)「トニ・モリスン事典」訳者
(3)カリフォルニア州カーメルのラングストン・ヒューズ:木内徹 氏(日本大学教授)「ラングストン・ヒューズ事典」訳者
(4)ウィスコンシンの休日:寺沢みづほ 氏(早稲田大学教授)「ウィリアム・フォークナー事典」訳者
(5)北の夢―シアトルからオリンガーまで:鈴江 璋子氏(実践女子大学名誉教授)「ジョン・アップダイク事典」訳者
(6)市場経済とエズラ・パウンド:江田 孝臣氏(早稲田大学教授)「エズラ・パウンド事典」訳者
(7)我流パソコン翻訳法:高尾 直知氏(中央大学大学教授)「ナサニエル・ホーソーン事典」訳者
(8)ラム・ハウスのヘンリー・ジェイムズ:別府 惠子氏(神戸女学院大学名誉教授)「ヘンリー・ジェイムズ事典」訳者
(9)エミリ・ディキンスン国際会議:鵜野 ひろ子氏(神戸女学院大学教授)「エミリ・ディキンスン事典」訳者
(10)ドライサー事典翻訳余聞―ポーの墓:村山 淳彦氏(東洋大学文学部教授)「セオドア・ドライサー事典」訳者
(11)異文化体験作家:ジェイムズとハーン:里見繁美氏(大東文化大学教授)「ヘンリー・ジェイムズ事典」訳者
(12)零度のエスニシティ?ロバート・L・ゲイル『ハーマン・メルヴィル事典』の余白に:巽孝之氏(慶應義塾大学教授)
(13)メルヴィル作品の中の実在した二人のインディアン:福士久夫氏(中央大学経済学部教授)「ハーマン・メルヴィル事典」訳者
アメリカ文学ライブラリー 雄松堂出版刊 好評刊行中!!
アメリカ文学に必要な基礎的知識から、アメリカ文学の代表的な作家16人の各作家・作品をめぐる個別の問題を包括。それぞれの専門の研究家の翻訳によるA−Zの事典形式のレファレンス。
67号 2007/3/30
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