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雄松堂Net Pinus 68>アメリカ文学ライブラリー「ラム・ハウスのヘンリー・ジェイムズ」
Net Pinus 68号

「アメリカ文学ライブラリー」リレーエッセイ

2007/06/25
アメリカ文学ライブラリー 「ヘンリー・ジェイムズ事典」訳者のエッセイ!
別府惠子氏略歴: 1936年生まれ。1973年米国州立ミシガン大学大学院文学研究科博士課程修了。博士号取得(アメリカ文学)。神戸女学院大学名誉教授、松山東雲女子大学(前学長)
主な著訳書:
The Educated Sensibility in Henry James and Walter Pater (Shohaku-sha, 1979)
『ヘンリー・ジェイムズ作品集』第7巻。工藤好美監修、行方昭夫編(国書刊行会、1983)共訳
As Others Read Us: International Perspectives on American Literature. Ed. Huck Gutman (U of Massachusetts P, 1984) 共著
『イーディス・ウォートンの世界』編著(鷹書房弓プレス、1997) 
『アメリカ文学史』(ミネルヴァ書房、1989)共編著
『新版アメリカ文学史』共編著(ミネルヴァ書房、2000)
『ヘンリー・ジェイムズと華麗な仲間たち』(英宝社、2004)共編著

IT時代の文筆業

別府 惠子氏
別府 惠子氏

 高尾直知氏のリレー・エッセイ、電子辞書を駆使しての「我流パソコン翻訳法」を読むと、タイプライターに代わるパソコン時代の文筆業、出版業そのものが大変革したのを再認識する。19世紀に創作活動したホーソーン、メルヴィル、ディキンスン、ジェイムズの手書き執筆はいうに及ばず、ヘミングウェイ、フォークナー、20世紀後半のソール・ベロー、ジョン・アップダイク、ジョイス・キャロル・オーツでさえ、手動・電動タイプライター時代の小説家たちだ。さらに、いまは、ビジネスや私的なコミュニケーションもe-mailで瞬時にことが済む。いつの時代でも、技術革新の過渡期に私たちは生活し、有形無形の恩恵を受け、また不便を蒙る。

 このリレー・エッセイでは、アメリカ、ヨーロッパ各地を往来しながら、新旧大陸(アメリカ・ヨーロッパ)の異文化の狭間で起こるドラマを小説化したアメリカ作家、ヴィクトリア朝イギリス社会に安住することなく、流動し始めた20世紀世界と対峙したヘンリー・ジェイムズを、晩年、彼が生活の拠点とした、イギリス東南部サセックス、ライにあるラム・ハウスに訪ねてみたい。

サセックス、ライ

 1066年の古戦場ヘイスティングに近いライは、かつて海に囲まれた要塞堅固な港町。地の利もあって、古くから文人や芸術家に人気があった歴史的な町。ブリティッシュ・(いまなら、ユーロ)レイルで、ロンドンから日帰りできる観光地のひとつである。
歴史の古いライの町の建物は多くがエリザベス朝の建造物。ライの住人だったジョン・フレッチャー(1579-1625)に因んで名づけられた、飛び切り甘いケーキを食べさせるコーヒーハウスも1610年代築。店の看板にバーモント・アンド・フレッチャーで鳴らしたジャコビアンの戯曲家、ジョン・フレッチャーの肖像画がみえる。

 円熟期のジェイムズが執筆活動したラム・ハウスを初めて訪れたのは、1973年9月。ラム・ハウスへの道を尋ねたレストランの店主が、「ああ!チャールズ・ラムね」と言ったのを、笑うに笑えなかったのを懐かしく思い出す。というのも、他国の文化、文学は熟知していても自国の文学者について案外不勉強なことが多々あるからだ。ジェイムズが(つい)の住み家としたラム・ハウスは、1723年に建てられ、一世紀にわたりライの市長を務めたラム一族が所有していたと聞く。周知のとおり、ロマン主義時代のイギリス文壇で活躍した随筆家で、『エリア随想』やシェイクスピアの戯曲を少年少女向けに書き換えた『シェイクスピア物語』で知られるチャールズ・ラムは、ラムはラムでもラム・ハウスの持ち主とは別人物である。

 折角、訪ねたラム・ハウスだったが、運悪く休館日(水曜日)で、赤褐色のレンガ造りの建物のなかには入れなかった。そのかわりに、石畳の坂を登った丘の上にある町の名所のひとつ、古いセント・メアリー教会のタワーの見晴らし台から、遠くヘイスティングまでの広がりを一望におさめて、ロンドンに戻った次第。現在のように、「観光案内」の類などなかった30年前のことである。

現在、ナショナル・トラストの管理下にあるラム・ハウス。近くの学校から見学にやってきた生徒たちが「ヘンリー・ジェイムズ、アメリカの小説家[1843-1916]」と銘板の文章をノートに記している。

ジェイムズ記念館:ラム・ハウス

 二度目にライを訪れたのは1980年夏。7年振りの訪問だったが、エリザベス朝時代の趣きある堅固な建造物が石畳の坂道に並ぶ、静かなライと変わってないのにホットした。1898年、ジェイムズが手に入れたラム・ハウスのなかにも、今回は入ることができた。ジェイムズはラム・ハウスを甥のヘンリー・ジェイムズ3世に遺したが、彼の死後1948年に未亡人は、ブリティッシュ・ナショナル・トラストにラム・ハウスを譲り、現在、歴史建造物としてナショナル・トラストが管理している。

 ジョージア朝の重い玄関扉を開けると、(写真でお馴染みの)大きな時計とその横のジェイムズ愛用のステッキが何本も入った傘立てがまず目に入る。玄関右手はジェイムズ・ルームといっていわゆる控えの間、左側は庭園からも出入りできる広い客間となっている。2階には4室の寝室とバス・ルームがあり、3階には使用人のための部屋4室ある、手広い住いである。ガーデン・ハウス(またガーデン・ルーム)と呼ばれた離れを仕事場としていたジェイムズは、そこで、『鳩の翼』(1997年、映画化)、『使者たち』、『黄金の盃』(2000年、映画化)などの傑作を口述筆記させた。幸運にも、ラム・ハウス自体は2度の戦火を逃れたが、お気に入りだったガーデン・ルームは第二次大戦中(1940年)に空爆を受け消失し、再築されないままになっている。ジェイムズ自らも手を入れたという庭の木々や、いまも、色とりどりの花を咲かせている庭園に座っていると、第一次世界大戦中、兵士たちを戦場に慰問した年老いたジェイムズ、ヨーロッパ文化の破壊を憂い、当時のアメリカ大統領ウッドロー・ウィルスンがヨーロッパ派兵を躊躇するのに業を煮やしたジェイムズを想って複雑な気持ちになったのを記憶している。そのジェイムズは死の前年イギリス国籍を取得した。

ラム・ハウスの購入

 幼少の頃から、家族とともにヨーロッパ各地を移動しながら、ユニークな教育を受けたジェイムズは、26歳の時、一人でイギリス、スイス、ドイツ、フランス、イタリア各地を歴訪する。訪れた土地の紀行文、スケッチを雑誌に掲載して作家活動を始めたジェイムズは、ヨーロッパの作家・芸術家たち―ジョージ・エリオット、モーパッサン、フロベール、ブールジェ、ツルゲーネフなど―との交遊を得、「デイジー・ミラー」(1878年)、『ある婦人の肖像』(1881年、ジェーン・カンピオン監督で映画化され1996年日本公開)を発表して、作家としての地位を確立していった。また、「ひと冬170回も会食に招待される」ロンドン社交界の名士となり、著名人の別荘の客人として過ごす優雅な生活は、皮肉にも、『ある婦人の肖像』に登場する「社交界のパラサイト」マール夫人の男性版を想起させる。

 一方で、ジェイムズは、1882年に母を、続いて父を喪い、1890年代には、期待した戯曲の舞台化に無残に失敗する。さらに、同業者の友人コンスタンス・フェニモア・ウルスンの自死(1894年)と直ぐには対峙できなかったジェイムズが、「人のつながりの儚さ」を感じ、心の安らぎだけでなく、物理的にも落ち着く場所を求めるようになったとしても不思議ではない。そして、「わが家」に兄ウィリアム/アリス・ジェイムズ夫妻その子どもたちや友人たちを迎えたいとの念願がやっとかなって手に入れたのが、ラム・ハウスだった。

アメリカ再訪

 60歳を迎え、アメリカ再訪(1904-1905)を決意したのも、生涯独身をとおし、「家族」を持たなかったジェイムズが、「わが家」とよべる和みの空間と、召使、料理人、メイド2人と庭師をかかえ、一家の(あるじ)として、それまで友人の邸宅や彼らのフローレンスやヴェニスの別荘の客として何度となく受けた歓待を、同じ形で返礼する余裕ができたからといえる。20余年ぶりの「帰郷」を果たしたジェイムズは、みずからを「長年の不在を悔いた帰国者」、「年老いた瞑想的な人物」、「不安な分析家」と様々に視点を変えて、近代技術革命の洗礼を受け変容した20世紀初頭のニューヨークを皮切りに、ニューイングランド、ボルチモア、フロリダ、カリフォルニア各地を10ヶ月にわたって、「走るホテル」プルマン寝台車で精力的に移動する。ニューヨークで生まれ、ボストン、ニューポートと東部しか知らなかったジェイムズは、初めて南部、フロリダ、極西部カリフォルニアの風物・風土に接したのだ。そして、摩天楼が林立するニューヨークをはじめ、土地開発が進行するフロリダやカリフォルニアを目にした旅人は、商業主義が蔓延した消費社会に漠然とした不安を禁じ得なかったといえよう。

 そうしたアメリカ再訪の「ザ・マスター」をイメージして、詩人ドナルド・ジャスティス(1925-2004)は、次のように素描する。「海辺のホテルの一室で、マスターは/ 横断してきた大陸を想って物思いにふける/いま、緊迫した惨事を察知してではない。/ただ、広大な大地が色褪せてみえる/・・・/ウィルダネス(豊かな荒野)はウォール・ストリートの意のまま。/・・・/書かれなければならない壮大な物語―/でも、それはマスターの仕事でない/・・・/いま、彼が懐かしく想い描くのは、/懐かしいラム・ハウスのぬくもり、/・・・ページにおちる柔らかな灯りがともる書斎」と。

ラム・ハウスに戻ったジェイムズ

 ライに戻り、ラム・ハウスの書斎に落ち着いたジェイムズは、『ニューヨーク版ヘンリー・ジェイムズ作品集』全26巻のために全作品の改訂を行い、「作品集」の額縁となる前書きを執筆。アメリカ再訪の記録『アメリカの風景』(1907)、『イタリア紀行』(1909)、『自叙伝』(1913)を出版する。すでに、1897年頃から、手に不自由を感じたジェイムズには自筆かなわず、3人目のタイピスト(セオドラ・ボサンクエット)に口述筆記を依頼しての執筆だった。

 最後に、このたび『ヘンリー・ジェイムズ事典』の訳出に関わって再認識したことがある。ジェイムズが無類の書簡家だったこと、芸術家の「宿命」でもある孤独の深淵を埋め、生の証を残そうと、両親、妹アリス、兄ウィリアム・ジェイムズの家族をはじめ多くの知人、友人に気の遠くなるような数の手紙(ある学者の推測では4万通)を書き綴っていること。そして、作家ジェイムズの仕事の全貌を理解するには小説、評論、旅行記、ノンフィクション作品だけでなく、彼の書簡を併読することが必要だということである。

ヘンリー・ジェイムズ国際学会
2005年7月12-15日
ヴェニスで開催されたヘンリー・ジェイムズ国際学会:

「ヘンリー・ジェイムズの軌跡」= "Tracing Henry James" での打ち上げパーティの光景。緋色のシャツを着たのがグレッグ・ザカリアス(クレイトン大学教授、『ヘンリー・ジェイムズ全書簡集』(ネブラスカ大学出版)の編者のひとり。隣の黄色のネクタイの人物は、Henry James Reviewの元編集長で、アメリカ文学ライブラリー『ヘンリー・ジェイムズ事典』のまえがきの筆者ダニエル・マーク・フォーゲル。左手前は、同学会に参加した "Three Faces of Venice" のパネリスト(海老根静江、難波江仁美、別府惠子)のひとり筆者。

注:
 ジェイムズ「書簡集」にはパーシー・ラボック編全2巻の『書簡集』(1920)、レオン・エデルが10年の歳月をかけ編纂した全4巻の『ヘンリー・ジェイムズ:書簡集』(1974-1984)。その後、ジェイムズ生誕150周年を期に企画された全30巻からなる『ヘンリー・ジェイムズ全書簡集』(ネブラスカ大学出版)が現在、進行中(第1-2巻はすでに刊行)。

 他にフィリップ・ホーン編『手紙にみるヘンリー・ジェイムズの生涯』(1999)、スーザン・ガンター編『4人の若い男性に宛てたジェイムズの書簡』(2001)と『4人の寛大な女性に宛てたジェイムズの書簡』(1999)などが、研究者の関心を集めている。

アメリカ文学ライブラリー リレーエッセイ
(1)亡霊がひしめくアメリカ南部を巡って:前田絢子 氏(早稲田大学教授)「 F・S・フィッツジェラルド事典」訳者
(2)マルコムXの精神的遺産:荒このみ 氏(東京外国語大学教授)「トニ・モリスン事典」訳者
(3)カリフォルニア州カーメルのラングストン・ヒューズ:木内徹 氏(日本大学教授)「ラングストン・ヒューズ事典」訳者
(4)ウィスコンシンの休日:寺沢みづほ 氏(早稲田大学教授)「ウィリアム・フォークナー事典」訳者
(5)北の夢―シアトルからオリンガーまで:鈴江 璋子氏(実践女子大学名誉教授)「ジョン・アップダイク事典」訳者
(6)市場経済とエズラ・パウンド:江田 孝臣氏(早稲田大学教授)「エズラ・パウンド事典」訳者
(7)我流パソコン翻訳法:高尾 直知氏(中央大学大学教授)「ナサニエル・ホーソーン事典」訳者
(8)ラム・ハウスのヘンリー・ジェイムズ:別府 惠子氏(神戸女学院大学名誉教授)「ヘンリー・ジェイムズ事典」訳者
(9)エミリ・ディキンスン国際会議:鵜野 ひろ子氏(神戸女学院大学教授)「エミリ・ディキンスン事典」訳者
(10)ドライサー事典翻訳余聞―ポーの墓:村山 淳彦氏(東洋大学文学部教授)「セオドア・ドライサー事典」訳者
(11)異文化体験作家:ジェイムズとハーン:里見繁美氏(大東文化大学教授)「ヘンリー・ジェイムズ事典」訳者
(12)零度のエスニシティ?ロバート・L・ゲイル『ハーマン・メルヴィル事典』の余白に:巽孝之氏(慶應義塾大学教授)
(13)メルヴィル作品の中の実在した二人のインディアン:福士久夫氏(中央大学経済学部教授)「ハーマン・メルヴィル事典」訳者
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68号 2007/06/25
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