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さて、『世界をきずいた書物』について説明しておかなければならない。1963年7月ロンドンで、エリザベス女王を総裁とするPrinting and the Mind of Manという展覧会が開催された。「印刷と人間精神」とでも訳せばよいのだろうか。当時普及していたラジオが一般人から印刷本への関心を奪いとるのではないか、視覚から聴覚の世界に戻るのではないか、という危機意識から、活版印刷本がいかに西欧近代の誕生に寄与したかを示すために開かれたのである。既にテレビも存在したイギリスだが、戦後の質素な生活を強いられた一般人の間にはまだ普及していたとはいえず、ラジオから流れる音楽や講演が楽しみだったのである。展覧会の目録に見る展示本の分類や図版にも、印刷業界の宣伝臭が感じられる。 PMMに関する古書談義といっても、実際には二人による講演だった。ライアン博士が取り上げたのは、「われ思う、ゆえに我あり」で西欧に個人主義を確立したデカルトの『方法序説』(1637、PMM129)、ソ連や中国の社会主義・共産主義を生み出す元となったマルクスの『資本論』(1867、PMM359)、人の心は解明できないと言われていたのに無意識の世界を炙り出したフロイトの『夢判断』(1900、PMM389)、そしてわずか3分で民主主義を説いたリンカーンの『ゲティスバーグ演説』(1891、PMM351)だった。いずれも文字通り「世界を変えた書物」だった。
Net Pinus 70号

雄松堂書店が毎年開催してきた雄松堂フォーラムが、今年は第25回となり、ちょうど創業75年周年と重なったこともあって、10月23日に東京の印刷博物館で、24日には京都のホテルで「古書談義:日米のビブリオフィルが語る世界を変えた書物」が開催された。おめでたい限りだが、ウィークデイの昼間、こんな硬い演題の会にいったいどんな人が集まるのかと思っていたら、図書館員はじめ多くの出席者があった。東京で160名、京都で70名というからたいしたものだ。講演者はコロンビア大学バトラー図書館のマイケル・ライアン博士と私、それぞれ1時間の持ち時間で、『世界をきずいた書物』に取り上げられた西洋の古書を3,4点選び、分かりやすく説明するという趣向だった。
雄松堂の籠田古書部長がライアン博士に来日を交渉すると、高宮なら知っている、前任地ペンシルバニア大学図書館でデジタル講演を聞いたことがある、という返事で、今回の古書談義はとんとん拍子に決まった。
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展覧会の各種委員会のメンバーを見ると、John Carter, Stanley Morison, Howard Nixon, George D. Painter, John Dreyfus, Percy H. Muir, S. H. Steinberg, Nicolas Barker, Harry Carter, James Mosleyと、当時からイギリスを代表するタイポグラファー、図書館員、書誌学者、印刷出版史の研究者が綺羅星のごとく並んでいる。まだ存命中の人物もいるから、みな若く、張り切っていたことが想像できる。
展覧会から4年後の1967年、Printing and the Mind of Man: A Descriptive Catalogue が出版された。まもなくPMMと略称されるようになる本書の編者は、トマス・ワイズの偽作を見破ったカーターと、児童書書誌で知られるミュアの二人だった。グーテンベルク聖書に始まる420点の印刷本を出版年順に並べた本書は、戦後の古書業界と図書館界に大きな衝撃を与えた。PMMに掲載された初版はただちに、古書業者や収集家や垂涎のブランド物となった。
2度の世界大戦に参戦したアメリカ人の間に、自分たちが西欧文明を享受する一員だという認識が生まれるとほどなく、グレートブックス教育が声高に叫ばれるようになった。それに呼応してアメリカの大学図書館が、ギリシャ・ラテンの古典や英仏語の文学や社会科学の著作がグレートブックスのコアだったところに、科学史などの重要な著作も収蔵する必要が生まれた。潤沢になった図書館予算とPMMの出版が重なった効果は大きかった。PMMに掲載された初版なら古書業者は高値でも売りやすく、図書館は買いやすかったからだ。
よく似た状況はわが国にも現出した。雄松堂がPMMの邦訳『世界をきずいた書物』を出版した1977年といえば、日本経済が国際競争力をつけたために、蓄積された外貨は増え続け、大学図書館の収蔵予算が右肩上がりで伸び始めた時期だ。その後バブル時代に入ると、欧米から高価な貴重書が輸入されたが、PMMの番号が付いていればブランド物として珍重されるに至る。おりしも主要な私立大学が踵を接して創立100周年を迎えていた。その記念に一点豪華主義でPMM掲載書を購入する場合も、決して少なくなかったはずだ。こうして『世界をきずいた書物』は刷りを重ねていった。一方、ドイツでは英語版PMMの改訂重版が1983年に出版された。
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それに続いて私が担当したのは、グーテンベルク聖書(c.1455、PMM1)、地動説を主張したコペルニクスの『天球の回転について』(1543、PMM70)、生物進化論を唱えたダーウィンの『種の起源』(1859、PMM344b)だった。後の2点は宗教と相容れない立場の「危険な」書物だった。わたしは初版からの出版史に注目し、また書きこみに注目して、書物史的観点から解説した。講演後の質疑応答では「そんなに書き込み本は沢山あるんですか」といった質問が出た。コロンビア大学図書館にはホメロスの初期刊本にあのエラズムスが夥しい書き込みをした貴重書があるという。私は書き込みの分析が書物の受容の解明に役立つことを説明した。
どうも日本人には小学校で教員に言われた「落書きや書き込みは書物への冒涜」という思い込みがあるらしい。もちろん図書館から借りた本に書き込むのはご法度だが、自分の蔵書に書き込むメリットは歴史が証明している。私など読書とは「読んで書き入れること」と信じてやまないほどだ。
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今後PMMが改訂される機会があれば、どうなるかについても議論があった。イギリスで制作されたPMMはやはりイギリス人の西欧中心主義で編集されていることは否定できない。いまでは尋ねてもイギリス人でも知らない著作も含まれている。ましてはアジアやアラブ諸国で「世界を変えた書物」は、一顧だにされていない。1970年代からゆれ始めた正典見直しは、当然ながらPMMの編集方針にも疑問が投げかけられ、日本や中国で出版された本も含まれてしかるべきだろう。
そのとき、何を選ぶべきか。私は一例として『北斎漫画』(1814)を挙げた。シーボルトはこれを『ニッポン』(1831)で紹介している。明治維新前に薩摩藩から薩摩焼の陶器が輸出される際、衝撃よけに用いられた『北斎漫画』の反古紙が、ヨーロッパ人の目にとまり、フランスの印象派を初めとして大きな影響を与えることとなった。外国語で書かれた北斎論の嚆矢は、1863年(明治維新前!)に画家の弟ウィリアム・マイケル・ロセッティによるエッセイだった。その同じ年、薩摩藩からイギリスへの若い留学生がロンドンにやってきたのである。北斎は1997年『ライフ』誌が選んだ過去千年間の重要人物百傑にランクされていた。知らぬは日本人ばかりなり、こういう国際的な知名度をもつ北斎の漫画なら、胸を張ってPMMに推薦できるのではないだろうか。





70号 2007/12/28