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メディチ家のロレンツォはフィレンツエの実質的な支配者として君臨した銀行家であり政治家でもありました。それと同時に多数のの芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たした事で知られています。今回はそうした彼の芸術的な才能と洗練された嗜好に魅了され、共感をいだいた200年前の人物、ロスコーという人が残した私家版の古書を所蔵の根占献一氏よりご紹介いただきました。 |
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ご多分に洩れず、私も古書探索にインターネットを活用しながら、そのお陰を蒙ることが多くなった。高価とはいえ、珍しい書籍も、極東アジアの地で欧米の収集家と時間的に劣ることなく蒐集できるようになった。怖いのは、支払い金額だけである。今回はそのうちの一冊を紹介しよう。それは、スイスはバーゼルの某古書店から入手した、1791年の小オッターヴォ(8つ折)版『ロレンツォ詩集』(Poesie del Magnifico Lorenzo de' Medici, tratte da testi a penna della libreria mediceo-laurenziana e finora inedite, in Liverpool, stampato nell'anno MDCCICI) である。
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小オッターヴォ(8つ折)版『ロレンツォ詩集』
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ロスコー肖像
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根占献一著
「ロレンツォ・デ・
メディチ」
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発行年が分かり、出版地がリヴァプール、そしてロレンツォ・デ・メディチ(1449−1492)詩集の編者とくれば、即座に、ウィリアム・ロスコー(1753-1831年)の名を思い起こしてくれる人は今でもいるであろう。このロスコーは、メディチ家の二人の人物、ロレンツォとジョヴァンニの親子の伝記を、それぞれ執筆した高名な詩人・文学者である。ジョヴァンニは後に、メディチ家出身の初のローマ教皇、レオ10世となる。ロスコーによれば、ローマに文化の黄金時代をもたらしたのはこの教皇であった。こうした解釈に立った上で、英国人はイタリアのメディチ家史家となった。しかしロスコーは一度もフィレンツェはおろか、イタリアのいかなる場所も訪れることなく、現地に派遣した代理人を介して、必要な資料を集めて麗筆を振るったのである。
一代にして財を成したこの作者ロスコーが、芸術を愛好するパトロンとして時代の寵児であったように、彼が描くメディチ家は文化後援者の模範だった。またロスコーは啓蒙の世紀の光に照らされて、理性を重んじ、奴隷制を容認することのできない進歩的知識人でもあった。ロレンツォとジョヴァンニもまた洗練された嗜好の持ち主であり、良識ある先達であったのでこうした点でも親しみを覚えたに違いない。ただロレンツォはロスコーと同様に詩人でもあっただけに、この父親のほうにいっそう強く親近感を覚えてロレンツォの伝記の筆を執ったことであろう。イル・マニーフィコと呼ばれるロレンツォを描いた伝記は数多くあるものの、ロスコー作は堂々と古典の位置を占めている。ロレンツォの伝記は同時代人の手になるものもあれば、近・現代人の手がけたものも多い。私もその一冊(『ロレンツォ・デ・メディチ』 南窓社 1997年刊)を上梓したひとりである。時間が経過するのはほんとうに早く、10年、一昔前のこととなる。まだ、20世紀のことであった。日本語をオリジナルとする彼の伝記はほかにはまだ現われていない。
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だが、傑作は18世紀末から19世紀末にかけて現れ、ロスコー作「The Life of Lorenzo De' Medici」はその先陣を切った。この伝記は版を重ねた点でも傑出していた。私自身は古い版を二種類、所有している。ともにロスコーの生前に18世紀の終わりと19世紀初めに出た本で、かたや一巻本の大型、フォリオ(2つ折)版、かたや三巻からなるオッターヴォ(8つ折)版である。18世紀末の本は初版――1796年とされるが、1795年の可能性も残っている――ではなく、1797年の第3版であるが、訂正版でもある。別種は1806年の第5版で、ともに見事な皮装丁の豪華本である。序言のあとにともに後書がついていて、第3版には「リヴァプール、1795年12月」と記載があるが、第5版にはない。
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1806年版 ロスコー作「The Life of Lorenzo De' Medici」
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扉[拡大]
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ロレンツォ肖像[拡大]
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前書き[拡大]
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ロスコーのロレンツォに関してはもう一冊、大事な書(Illustrations, Historical and critical of the Life of Lorenzo de' Medici called the Magnificent; with an Appedix of Original and Other Documents,1822)がある。挿し絵を含む多くの史料からなるが、同時代の自由主義者で著名な古典派経済学者シモンド・ドゥ・シスモンディ(1773−1842)への反論となっている点が注目される。メディチ家の歴史的位置づけでは両者の解釈はまったく異なり、シスモンディによれば、メディチ家は自由を抑圧する専制的な一族であり、開明的ではなかった。この書はなかなか取得できず、長い間私には珍書同然であったものの、インターネット時代に入ってから入手に成功した。やはり立派な皮装の本で、こちらは初版である。初版といっても、それは繰り返し印刷されることはなく、1823年のイタリア語訳版が存在しているのみである。現代フランスの研究者アンドレ・ロションはその『ロレンツォ・デ・メディチの青春』(La jeunesse de Laurent de Médicis (1449-1478), Paris, 1963)の文献目録には、このイタリア語訳版を挙げている。大著のロレンツォ伝と違い、ドイツ語訳やフランス語訳はないと思われる。
ロスコーは蔵書家としても有名であった。その一端はアスピノル著『ロスコーの蔵書』(James Aspinall, Roscoe's Library; or, Old Books and Old Times, London and Liverpool, 1853)で知ることができる。自助精神に富んだロスコーは、同時代のアングロ・アメリカ人ベンジャミン・フランクリンに近いであろうが、趣味と知的関心では大いに異なると、作者アスピノルは書いている。ロスコーの収集書の中には、後述のアンジェロ・マリア・バンディーニ(Catalogus codicum M.SS. Biblithecae Mediceae-Laurentianae codices graecos)やアンジェロ・ポリツィアーノ(Miscellaneorum centuria ad Laurentium Medicem)の各労作があったことが分かる。ここでは彼らの書の詳細は差し控えるが、ともに私には垂涎の大作である。バンディーニは幾種類か持っているが、これはない。いつの日にか、入手できるかもしれないが、ポリツィアーノのほうは所謂インクナブラ本であり、永遠に取得はできないだろう。高嶺の花に留まるであろう。生誕100年を祝するねらいがある『ロスコーの蔵書』は、彼の蔵書が競売に付されたという悲しい事実も教えてくれる。彼は晩年財を喪失する運命に出会うが、書もまた散逸したのである。
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アスピノル著『ロスコーの蔵書』
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アンブラ―冬の描写
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『ロレンツォ詩集』の
ロスコーの署名
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ロレンツォの別荘
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さて、ロレンツォの詩集となると、単なる研究者であれば、冒頭で紹介した古書を求める必要性はない。なぜなら、問題の書に含まれている詩篇「アンブラ」は、私蔵のロレンツォ伝のいずれにも収録されているし、詩集だけの単独版にも、彼の傑作としてこの一編はたいてい収められている。また廉価版も出ていて、気軽に読むことができる。心惹かれたのは、この1791年版がわずか12冊しか印刷されず、しかも編集者ロスコー自身の署名入りで、偉大な文献学者だった、ラウレンツィアーナ図書館司書バンディーニ(1726-1803年)あての献呈本であったことである。この本の価値を確認したく、詩人ロレンツォの優れた研究者、前述のロションなどの蔵書を引っ張り出して時間をかけて調査した。決定的に役に立った情報は、ロッセッラ・ベッシ編の『アンブラ――冬の描写』(Ambra. Descriptio hiemis, Firenze 1986)――これはまさに廉価版!――から得られた。「アンブラ」は初めてロスコーにより、ここに私家版として同部数で印行されたものに含まれたのである。廉価本とはいえ、大半が序論と学術的註から成っていて、大量の情報が含まれており、これにより12冊しか印行されていないことを知った。
バーゼルの古書店主もたいへん親切で、念のため何度か認めた私の電子メールにもぶっきらぼうながら、的確な返信をよこした。また、肝心の、自署名のところの電子写真も送ってくれた。この版でしかロレンツォの詩が読めないわけではないので、やや迷った面もあるが、購入することにした。それでも、この稀書を店主がどうして入手できたかは、顧客から、というだけで、それ以上は詳らかにしてくれなかった。ベッシ版には、現在行方不明、と徒ならぬことが記されているだけにどうしても訊ねたかったのである。だが、私もそれ以上の追及はやめた。
ところで、「アンブラ」の舞台は、フィレンツェ市内から小都市ピストイアに向かっておよそ17キロメートルの距離にある町、ポッジョ・ア・カイアーノである。そこにはロレンツォが精魂傾けた、見事な別荘が建っている。私はこの別荘に格段の関心があり、幾冊か重要な書籍を有している。設計者は忘れ難い建築家ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(1443頃−1516)で、サンガッロ風をこよなく愛好し、評価したロレンツォの着想が生きている。ロレンツォは建築の才も光っていた。
その界隈には、アルノ川に注ぐオンブローネ川が流れている。本流アルノ一筋に、幾つかの支流が存在する。アルノはフィレンツェ市内を貫流しながら、下流のピサに辿り着く。中途にはピストイアを始め、多くの市町村がある。「アンブラ」では、オンブローネ川はニンフのアンブラに激しい恋心を抱く急流として描かれる。これを疎ましく感じるアンブラは、オンブローネがアルノにニンフの行き先を鎖すよう求めるのに対し、処女神ディアナに助けを求める。女神により岩に変身したアンブラに、オンブローネは久遠に白波となっては砕け散る。この岩の丘にその別荘は建っている。詩集の主題は、これまたロレンツォがこよなく慈しみ、後援した、傑出した詩人にして文献学者ポリツィアーノ(1454−1494)の詩集とともに考察されなければならないであろう。
ロレンツォとメディチ家への関心は書の公刊後10年経った今も薄れることなく、私のなかで持続している。珍しい私家版を入手しようとしたのも、その意欲の現われであった。ロスコーの私家版は小さな書とはいえ、その数年後の大作ロレンツォ伝につながるきわめて貴重な書であることはまちがいない。
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【根占献一氏略歴】
1949年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。学習院女子大学国際文化交流学部教授。専門はイタリア・ルネサンス時代の文化・思想の研究だが、同時代のキリシタン史やイエズス会の活動にも注目を寄せている。また、幕末の薩摩藩家老小松帯刀など、19世紀の歴史にも少なからぬ関心を有している。
【主な著書】
『ロレンツォ・デ・メディチ―ルネサンス期フィレンツェ社会における個人の形成』(南窓社)
『東西ルネサンスの邂逅―南蛮と禰寝氏の歴史的世界を求めて』(東信堂)、
『フィレンツェ共和国のヒューマニスト―イタリア・ルネサンス研究(正)』(創文社)
『共和国のプラトン的世界―イタリア・ルネサンス研究(続)』(創文社)など。共著・訳書多数。 |
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