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雄松堂>Net Pinus 70>江戸の阿蘭陀宿・長崎屋
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江戸に166回以上も滞在した外国使節、オランダ・カピタン。その定宿といえば、長い間北斎描く「長崎屋」の一図のみ。外国公使館の前身の役割を果した阿蘭陀宿(オランダやど)の長崎屋、これはいったいどうしたことか。
江戸長崎屋2階の図 問1:長崎屋のあったのは日本橋の本石町三丁目といいますが、三丁目のどこにあったのですか。
長崎屋跡 新日本橋駅4番出口壁面 問2:カピタン一行が、春ごとに、長崎屋に滞在した日数は“旅寝廿日(はつか)に かきる かひたん”といわれるごとく、20日前後であったようですが、これで長崎屋源右衛門は家族とともに、年間の生活が成り立ったのですか。 答:それだけではとても成り立ちません。長崎屋源右衛門は江戸の町人でしたから、町奉行の支配を受けました。同時に、長崎会所から役料と賄い料の支給を受けましたので、長崎奉行の支配も受けていました。それでも、足りるものではありません。常々は薬種問屋をしていました。鎖国以前から輸入品を扱う商人で、糸割符商人や為政者にも顔のきく商人であったようです。 問3:江戸参府のカピタン一行が滞在中の長崎屋はどんな毎日だったのですか。 答: ● 到着の2・3日まえまでに、修覆されるべきところは修覆を終えて、江戸在府の長崎奉行の用人・給人から見分してもらっておきます。 ● 到着の前夜より町奉行所から普請役2人、東・西の両町奉行組同心1人ずつ、合計4人が、長崎屋に出張、詰切りで警備に当たりました。 ● 長崎屋の門は、朝の六ッ時(午前6時)に開門、晩の五ッ時(午後8時)に閉門、夜の九ッ時(午前零時)に門に鍵がおろされました。鍵は同心に預けられました。 ● オランダ人一行、附添の日本人(検使・通詞・長崎奉行所からの役人・宰領・駕籠頭など)の名簿が作成され、訪問客・出入り商人などと共に厳重に管理されました。 ● オランダ人が土産品や入用品を買い入れるために定式出入商人が商品を持参しますが、「品書」と「断書」を提出し、普請役が書類と品物を突き合せ、改めのうえ、書類に「見届印」と「押切印」を捺して出入りさせました。だから、長崎屋は「御制禁」の品目リストを常に知っておく必要がありました。 (右)長崎屋門出入り改方鑑礼。印文「勘」[拡大](片桐一男所蔵) ● カピタンが登城・拝礼の式に臨む日の長崎屋源右衛門は、一行の先導を務めました。城中では長崎掛の坊主に従って先導、終って、幕府高官役宅へ御礼廻りである廻勤にも先導を務めました。こまかな仕来りを一番よく知っているツアー・コンダクターだったようですネ。 問4:カピタンの献上物などは、どのように保管していたのでしょうか。 答:将軍と西丸の世子への献上物、幕府高官への進物は、大切なものですから、地下蔵や耐火の蔵に保管されました。将軍や世子、高官から返礼としての下され物も出立まで保管しました。だから、長崎屋は立派な蔵や地下蔵を持っていたわけです。地上のものは度重なる類焼で、地下のものはJR新日本橋駅ができるとき、ブルドーザーでの撤去作業により、一切が烏有に帰してしまいました。 問5:どんな訪問客があったのでしょうか。
ワッペン(紋) 問6:類焼続きの長崎屋といいますが、再建資金はどうしていたのですか。
18世紀の長崎地図 この地からカピタンは江戸までやってきた
カピタン レフィスゾーンの江戸参府行程図 片桐一男氏略歴 新異国叢書 第III輯 第6巻
Net Pinus 70号

過密都市に在って、長崎屋が類焼につぐ類焼にあって、一切の記録を失ったためである。キリスト教国の人を相手としたためか、幕府の史料にも、長崎奉行所の史料にも、長崎屋に関するまとまった史料は見い出せない。オランダ側の史料にも、長崎屋に関する組織だってまとまった史料は見あたらない。

片桐一男所蔵
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長崎屋自体の史料が得られないとなれば、視点をかえ、発想をかえて、取り組まなければならない。焦ってできる仕事ではない。かれこれ45年の歳月を経てしまった。
長崎屋の同業者に目を向け、カピタンを案内してきた通訳官である阿蘭陀通詞(オランダつうじ)に目を向け、宿泊・滞在の人、警備に当たった人に目を向けて、追及の手をゆるめないできた。
近年、ようやく長崎屋の警備史料を中心に、殊に、嘉永3年(1850)頃の内・外の史料を、長・短、取り揃えることができてまとめ得たのが、雄松堂出版より刊行された『阿蘭陀宿長崎屋の史料研究』である。
内容は、I. では入手し得た史料の全てを盛り込み、II. ではその史料解説を試み、III. では史料と解説で得られた知見によって、一 長崎屋源右衛門そのものを、二 阿蘭陀宿としての長崎屋を、三 展開されたサロンとしての長崎屋を、考察してみた。
今回、永年の研究結果、『阿蘭陀宿長崎屋の史料研究』の出版を記念して、この本をもとに、皆さんからよくある質問をご紹介したいと思う。
答:古地図などの読み込みから、本石町三丁目の二丁目寄りのほぼ中央に在りました。現在の東京都中央区日本橋室町四丁目2番地にあたります。有名な「時の鐘」を背にして、本石町十軒店の方を向いていた大店であったことがわかりました。本書の257頁に地図で示してあります。宿泊のカピタンは、まさに頭上で鐘の音を大きく聞いたのです。“石町の鐘は紅毛(オランダ)まで聞こえ”が実感されます。

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輸入薬を扱う実績が認められたからでしょう、享保期に「唐人参座」(幕府が薬用人参を専売するために設置した座)を、明和期には「和製龍脳売弘取次所」を命ぜられています。お墨付きを得た商売といえるでしょう。人参がひろく頼りにされたことはもちろん、龍脳は芳香剤、虫除けだけでなく、閨房秘薬の紅毛(オランダ)長命丸や喜契紙(きけいし)の製法にまで加味されましたので、長崎屋の商いは結構、繁昌したものだったと思いますヨ。
(左)普請役が長崎屋出入り断書へ捺印した「見届印鑑」(印文「万里通」)と「押切印鑑」[拡大](片桐一男所蔵)


(右)長崎屋の娘(つる・みの)のカピタンに宛てた手紙[拡大](オランダ語文に訳されたもの オランダ国立文書館所蔵)
(下)長崎屋の娘(つる・みの)のカピタンに宛てた手紙[拡大](オランダ国立文書館所蔵)
カピタンからの贈り物の御礼とその返礼としての品を贈った旨がしるされている。長崎屋の家族はカピタンとも贈り物をしあうほど親交があったことが窺える。

答:オランダ東インド会社の紋章であるNVOCを組み合せたワッペン(紋)付きの赤白青三色の幕の張られた長崎屋には、桜花爛漫の頃、オランダ人一行、長崎奉行所からの役人、通詞たち、幕府の天文方や訳員たち、お忍びの諸侯たち、江戸の蘭学者たち、町奉行所からは警備の役人たちが詰切りで出張し、越後屋をはじめとする定式出入商人(出入りを認可された商人)も売り込みにきました。また江戸城からは、なんと長崎掛りの御坊主までもやってきました。おびただしい人名は、ぜひ、本書を御覧下さい。

シーボルトが泊ったときなど、窓からピアノの音まで聞えたんですヨ。
長崎屋の二階座敷は、商談の場、歓談の場、蘭学研究の場、オランダ料理会食の宴会場、はては密談の場と、まさに多目的ホールだったのですね。
答:毎度、長崎屋源右衛門は幕府に役料を担保に拝借金を申請、オランダ商館にも助成金を申し出ました。幕府は対外的な重要業務と認めて拝借金を許可、オランダ商館は「白砂糖」で助成しました。

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毎度はやばやと、砂糖で再建を果したというと、甘い話のように聞えます。しかし、拝借額は嵩んでいく一方で、とても永年賦でまかなえるなどという限界をこえていったようです。
幕末に、カピタンの江戸参府も廃止となり、維新にかけて激動の世に激震を受け、廃業に追い込まれていきました。
幕府の隆盛とともに大きくなっていった長崎屋、11代250年余、働き続けた源右衛門(代々長崎屋の主人は源右衛門を襲名)、幕府の倒壊とともに、その幕を閉じました。
以上で終わりにさせていただきます。長崎屋についてもっと知りたいとお思いの方は『阿蘭陀宿長崎屋の史料研究』をご覧になって下さい。

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1934年新潟県に生まれる。1967年、法政大学大学院人文科学研究科日本史学専攻博士課程単位収得済み。現在、青山学院大学名誉教授。文学博士。専攻、蘭学史・洋学史・日蘭文化交渉史。
主要著書
『阿蘭陀宿通詞の研究』(吉川弘文館・角川源義賞)
『杉田玄白』(吉川弘文館・人物叢書)
『開かれた鎖国─長崎出島の人・物・情報』(講談社現代新書)
『阿蘭陀宿海老屋の研究、I研究篇、II史料篇』(思文閣出版)
『京のオランダ人』(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)
『蘭学、その江戸と北陸』(思文閣出版)
『蘭学事始とその時代』(日本放送出版協会)
『全訳注 蘭学事始』(講談社学術文庫)
『阿蘭陀通詞今村源右衛門英生』(丸善ライブラリー)
『江戸のオランダ人─カピタンの江戸参府』(中公新書)
『出島─異文化交流の舞台─』(集英社新書)
『レフィスゾーン 江戸参府日記』(雄松堂出版 新異国叢書 第III輯6)
『未刊蘭学史料の書誌的研究、I、II』(ゆまに書房)
『平成蘭学事始─江戸・長崎の日蘭交流史話─』(智書房)他
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片桐一男(青山学院大学名誉教授 文学博士) 著
A5判 上製 350pp. 2007年11月刊行 ISBN 978-4-8419-0451-2
定価12,600円(本体12,000円+税5%)[詳細・ご注文]
長崎屋を訪れさえすれば、蘭学界の顔触れに会うことができる、海外情報と珍奇な蛮品の入手が可能である。禁教・鎖国下の江戸において、そこ長崎屋は、唯一、異国スペースだった。
本書は「I. 史料」「II. 史料解説」「III. 長崎屋をめぐる諸問題」と三章に分け、史料をていねいに読み解いていく中で、長崎屋の実態を解明していく。

レフィスゾーン 江戸参府日記
片桐 一男 訳
菊判 上製 函入 410pp. 2003年刊
ISBN 978-4-8419-0298-3
定価5,775円(本体5,500円+税5%)[詳細・ご注文]
1850(嘉永3)年に行われたオランダ商館長レフィスゾーンによる江戸参府および出島への帰路の日記。121日に及ぶ出島から江戸への一大イベントの記録。
70号 2007/12/28