私が現在、おもに研究対象にしている作家は、ヘンリー・ジェイムズとラフカディオ・ハーンである。ジェイムズが1843年生まれであるのに対して、ハーンは1850年生まれで、ジェイムズのほうが7歳ほど年上である。兄弟といってもおかしくない年齢差だ。ジェイムズもハーンも同時代を生き、世界の多くの国々を訪れて異文化を体験し、その体験を作品化していったという共通項を持つ。
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ギリシアにあるハーン像
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ハーン像の台座のプレート
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年上のジェイムズはアメリカのニューヨークに生まれ、大西洋を横断してヨーロッパへ行くという、いわば地球上を東回りのコースを辿った。これに対してハーンは、ギリシアのレフカダ島に生まれて、やがてアイルランドへ行き、イギリス(およびフランス)で教育を受けたのちアメリカへ渡って20年経過した後、やがて太平洋を渡って日本へやってくるという、西回りのコースを辿った。どちらともその過程で、多くの異文化や異世界を体験している。その結果、ジェイムズはおもに白人上流社会にスポットライトを当てて、異文化の衝突や国民性の相違を扱って、人間ドラマを展開した。片やハーンは、社会の中の弱者やマイノリティ、世界の中の弱小国に関心を示して、異文化世界を描いていった。さらに、祖先を辿れば両者ともに、アイリッシュの家系であった。ジェイムズの家庭は裕福であったが、マイノリティの世界を描いていったハーンの父親もアイルランドの軍医で、決して裕福でないことはなかった。ただ、両者が描いていった世界は対照的である。作品世界は対照的で、かつ地球上を逆のコースを辿っていったジェイムズとハーンではあるが、両者の間にはちょっとした接点があったのである。
結論を先取りすれば、ジェイムズは年下のハーンのことは知らなかったが、ハーンはジェイムズのことはよく知っていた。それでは、ハーンはどのようなことをきっかけにしてジェイムズのことを知り始めたかというと、フランス文学に対する興味からである。そういえばジェイムズも若かりし頃フランス文学に魅了されて文学の道を歩み始めたというような経緯がある。実はハーンも同じであった。イギリスにいる十代の頃からフランス語やフランス文学には熱心で、ゴーチエやモーパッサン、ロチなどに魅了されて、アメリカ時代は彼らの作品の翻訳なども精力的に手がけていたのであった。そのような、フランス文学に興味を持つハーンはアメリカ時代に、ジェイムズによって書かれたフランス文学論を目にする。1888年10月頃までに『フォートナイトリー・レヴュー』に次から次へと掲載されていったジェイムズのモーパッサン論やド・ゴンクール論、ロチ論を、ハーンは実際に読み、賞賛したのである。ハーンに言わせると、それらは、当時フランスで活躍していた批評家ジュール・ルメートルのフランス文学論よりもすばらしいということになる。このときジェイムズは、まだ劇作に本格的に取り組む前の段階にあり、引き続き異文化の衝突を描いては、フランス文学に対する批評をも書いているところであった。このような接点から、優れた批評家としてのジェイムズをアメリカにおいて知ったハーンは、機会あるごとに彼に注目していくことになるのである。
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46歳の誕生日前
のハーン
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およそ20年間暮らしたアメリカを後にして、やがてハーンは1890年に40歳にして日本にやってくる。松江に1年、熊本に3年、神戸に2年弱を暮らしたあと、東京帝国大学で英文学を講じることになる。この間も精力的に異文化を体験しては、それを活字にまとめて、欧米に発信し続けていたが、帝国大学で英文学を講じることになると、おのずと過去の欧米の大作家から現在活躍している作家までを視野に入れて準備することになるが、現在活躍する欧米作家に関してハーンがまず注目したのは、やはりジェイムズであった。1898年の秋に帝国大学で行われた特別講義「アメリカ文学覚書」の中に、次のような一節がある。
「私の見解では、ヘンリー・ジェイムズは今活躍するアメリカ作家の中では最も偉大な作家であると思う。しかし彼の偉大さは人気で推し量ることはできない。彼の作品はあまりに洗練されすぎていて、人気が伴わないのだ。彼はイギリスやアメリカそしてイタリアの非常に複雑な社会の描写に専念する。人生の大半をイギリスで暮らし、アメリカよりもイギリスで多くのすばらしい作品を書いている。ドーデやブールジェのような現代フランス作家の心理小説と同じ特徴を持つ唯一の英語圏作家である。しかも彼は驚くほど多岐に亘る作品を書くことができる。『ボストンの人々』のように、アメリカにおける精神世界の諸事を活写するかと思えば、われわれをイタリアへと導き、審美的情熱の最高の形式を見せてくれる。はたまたロンドンにおいては貴族社会の心理面を知ることになり、さらにパリにおいては目に見える世界から目に見えぬ心理の世界に連れて行かれる。ジェイムズは道徳的な寓話作家としても偉大だ。彼の著作は読む価値がある。だが一言いっておくが、彼の作品は大変難しい。日本人学生にとって最も難しい現代作家ではないかと思う。」(筆者訳)
アメリカにおいて批評家としてのジェイムズには注目していたが、それから10年経った後の日本においてハーンは、小説家としてのジェイムズに今度は注目したのである。上記の記述にもあるように、この間ジェイムズの作品にハーンが目を通し続けていたことも判明する。実は、この特別講義のあとも注目し続けていくことになる。1900年9月から1903年3月にかけて行われる英文学講義において言及するのである。具体的には、「ヴィクトリア時代の小説」というテーマで心理小説を扱った時に、ハーンは「今日、興味が持てる真の意味での心理小説家はヘンリー・ジェイムズである。彼はアメリカ人で、今イギリスに住んでいる。短篇は取り分けすばらしく、どれも心理を描いている。」というように、アメリカ人作家であるにもかかわらず、ジェイムズを取り上げて賞賛する。このあとハーンは没年の1904年に向かって、混乱した晩年を迎えることになり、したがってジェイムズの後期の三大傑作を読むゆとりはなかったと思われるが、もし読んだとしたら、どのような批評を行ってくれたであろうか、と架空の世界を興味津津に想像してみるのである。
さて、異文化世界を次から次へと旅して、その体験を記録に残してきたジェイムズとハーンであるが、今回その二人を取り上げて、特にハーンからみたジェイムズ観の一端に触れてみたが、私は、このような体験をした作家たちに興味を持ち、研究を続けているところなのです。