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雄松堂Net Pinus 71>後期の<国字キリシタン版>について

Net Pinus 71号
2008/4/10
活版印刷ことはじめ

近畿大学日本文化研究所 研究員 森上 修

 西欧伝来の活版印刷機を使用して1591年から九州の各地で印刷された<キリシタン版>は、その前期にあたる加津佐版や天草版の国字本においてはもっぱら大型の金属活字が用いられた。
 ところが、1598年にはじまる後期の長崎版からは、別に新たな小型の金属活字が大量に鋳造され、これによりコレジオにおいて国字小字本が次々と刊行されることになった。
1598年に『サルバトール・ムンヂ』・『落葉集』、1599年には『ぎや・ど・ぺかどる』、1600年に『倭漢朗詠集』が印行されたが、これらはイエズス会版と呼ばれている。
 そして、このあとは長崎の富裕なキリシタンとして知られる後藤登明宗印がイエズス会の委託を受けて、この種の国字本の刊行を担当することになった。
 その後藤版としては『おらしょの翻訳』(1600〈慶長5〉年3月刊)・『どちりな・きりしたん』(慶長5年6月刊)、『ひですの経』(1611〈慶長16〉年5月刊、所在不明)が確認されている。(注1)
 1599年のはじめ、コレジオの人たちが長崎の<岬の教会>に移ってしばらくたったころ、そこには40人ほどの印刷関係者もいたことが1599年2月20日付のフランシスコ・ロドリゲス書翰にみえる(注2)が、1600年の時点で国字本用の印刷機が後藤印刷所へ移設された際には、そのうちどれほどの印刷者がそこへ配属されたのかはわかっていない。
 そして、それから11年を経過した1611年に『ひですの経』が後藤印刷所から刊行されているのであるが、実際にはそれは長崎のサンチャゴ病院において日本印刷器で印刷されたようであり(注3)、このことから、後藤登明宗印は国書刊行の責任者として該書の出版に深くかかわり、一般信徒への販売窓口の役割を果たしていたものと解される。
復刻版『キリシタン版精選』

雄松堂出版刊
復刻版『キリシタン版精選』

 ところで、そのサンチャゴ病院で使用された日本印刷器とは、1600年に後藤印刷所へ移譲された印刷機そのものなのか、それともまた、別の新規に開発された簡易印刷器であるのかが、気にかかるところであるが、その『ひですの経』が百年にわたり所在不明であるため、刊本の印刷面などから、そのことを考究できないのが残念である。
 この後藤版のうち『おらしょの翻訳』については中根 勝氏による印字調査がなされている。(注4)
 そして、『どちりな・きりしたん』(ローマ・カサナテンセ図書館蔵)に関しては、新井トシ氏が早くに版面調査を実施された(注1)のであるが、残念にも詳しい印字データは今日まで公表されていない。
 筆者もまた平成3年春、本書の複製本(雄松堂書店刊)を用いて連鋳活字の調査を行ったことがあるが、複写規定の制限があるため、その作業は一冊の前半部にとどまったままであった。
 しかし、幸いにも長崎純心大学での研究会(平成19年11月25日)の発表にあたって出版元の雄松堂出版(株)より後半部分の複写について特別の許可をいただき二字連鋳活字に関する1冊全丁の精査を完了することができた。
 これにより、『どちりな・きりしたん』に出現する二字連鋳活字の字母数は257種にのぼることが確認できたのであるが、このほど抽出した印出字の整理が終了したのでとり急ぎここにその印字様(五十音順)を掲載させていただくことにした。
 この『どちりな・きりしたん』<印出字一覧>からは連鋳活字の<父型と字母型>の関係など活字製作にかかわる興味深いいくつかの事柄がよみとれるのであり、<図1・2>を参照していただければ幸甚である。

<図1>清音字母(左)に、濁点(中)・半濁点(右)を打刻した字母例

<図1>

<図2>後藤版『どちりな・きりしたん』の<印出字一覧>(<図1>6例を含まず)
<図2>の画像をクリックすると大きな画像がご覧になれます。

<図2-1> スケール <図2-3>


<図2-2>

スケール <図2-4>



[参考]長崎版国字小字本の<二字連鋳活字>の使用例

長崎純心大学での古典籍研究会報告資料 H.19.11.27(補)

<図1>


 なお、長崎で刊行された<イエズス会版>と<後藤版>の諸本に出現する二字連鋳活字の字母総数は一体どれほどなのかという点であるが、これまでの調査では『倭漢朗詠集』に出現する2種を加算して計317種の字母型を確認している。また、『太平記抜書』(天理図書館蔵)には、これらのほかに別に24種の字母型が存在する。従って、後期キリシタン版に出現する国字小活字の二字連鋳活字の字母型は総計341種にのぼることがわかる。

 ところでこの『太平記抜書』についてであるが、本書は6巻6冊の大部な国字小字本である。しかし残念にも初冊の標題が欠如しているため、刊年、刊行者、刊行地などはすべて不明である。
 けれども、その第2巻以降の各冊目録第1頁の上部にはマニエル・パレド師と日本司教ルイス・デ・セルケイラのポルトガル文による出版認可文があり、新井氏はこのことから、その刊行時期は両人が署名できた1611年〜1614年の3年間に推定され(注5、6)、『ひですの経』の発刊後に彫字の粗悪な木活字を数多く補入し、日本語教科書として刊行されたものであろうとされた。
 ところで、この『太平記抜書』の翻字・校注本がごく最近、ようやく上智大学の高祖敏明氏により発刊された(注7)ことで、この刊行者不明本に対する研究は今後ますます進展するものと期待される。とは言うものの、本書に関する版本書誌学的な観点からの調査や研究はこれまで殆どなされてこなかったというのが実情ではなかろうか。
 かつて昭和末年ごろ、筆者はこの『太平記抜書』(6冊)の複製本により全冊を通検したことがあり、また近年では本書と<イエズス会版>『ぎや・ど・ぺかどる』(注8)や<後藤版>『どちりな・きりしたん』(注9)との活字の比検作業を進めているところであるが、参考のためこの機会にこれまでの版面調査などで気付いた版本学的な特異事項をいくつかここで述べてみることにしたい。
 先ごろ念願かなって上智大学キリシタン文庫所蔵の『ぎや・ど・ぺかどる』(下冊・1599年刊)を実査することができたのであるが、その上質紙(黄色系楮斐混合紙)には各丁とも全面にわたって本文の各行が頗る鮮明にむらなく印出されているのが実に印象的であった。
 それと比較して、この『太平記抜書』の印字面は各冊ともに何とも粗雑であり、インクの付き具合も均等ではなく各丁の印出字に濃淡の差がひどく現れているのが看取される。
 極端には、本文のはし数行分、あるいは中央の一部分がかすれて空摺りに近い状況を呈する箇所も見受けられる。
 このように『ぎや・ど・ぺかどる』との刷り上り具合の程度が余りにも大きすぎるのであり、これを単に組版や印出の技術的拙劣さによる差違としてとらえるべきかどうかが重要な問題となるのではなかろうか。
 本書の刊行部数は不明である。仮に500部の発行とすれば、約300面の刷版を組み上げて、15万枚の楮紙に印刷が行われたことになるのであるが、いずれにしてもこの『太平記抜書』に使用された印刷機は『ぎや・ど・ぺかどる』を印出した印刷機種とは構造的にかなり異別な簡易印刷器ではないかともおもえるのであって、今後こうした点もさらに掘り下げて考察すべきであろう。
 それから、稚拙な字体の新彫木活字が多量に混植されていると言う事実があるが、それらの木活字はどのような手法で彫造されたものなのか。
 仮に、この『太平記抜書』が後藤登明の周辺において長崎版の延長線上で印刷されていたとすれば、その印刷関係者の中には木活字用の木駒の調製や彫字にあたる素人のにわか工員がいたことになり、従ってその木活字の彫造は日本伝統の彫字職人が行う薬研彫り法とはおよそ異なる西欧流の突き彫り法によってなされていたと言うことになるのであろうか。
 それにしても、何故もう少し金属活字の字体に近い能筆の版下書きが用いられなかったのか、この点がいささか気にかかるところである。
 そして、さらには印刷面の四周の匡郭に注目して各部を丹念に通検すると、ある種の特異な損傷を伴う部材が使用されていて、それが偶然にも全6冊の毎丁下部に繰り返し連続して出現することが確認できる。
 このように一本の匡郭部材が毎丁に連続して繰り返し使用されるような事例はきわめて珍しく、キリシタン版中では全く異例のことに属するわけであり、このことから少なくともこの『太平記抜書』だけは、一丁ごとに活字の組版と解版を繰り返す京都の古活字版と全く共通した組版・印刷方式であったという点を指摘することができるであろう。『太平記抜書』に使用された印刷機は、明らかに二丁掛けのものではなく、それは一丁掛けの簡易印刷器であったと推察されるのである。
 それでは、刷版の印出法に関しては確かに押圧式であったのか、それとも摺刷式であったのか。印字面を詳しく調べてみると金属活字の上面の肩にあたる部分がいくつか連続した状態でインクの汚れとなって印出されている箇所があり、どうしてこのような現象がみられるのか、はなはだ疑問であるが、このことは刊本に基づく今後の精査結果を俟つことにしたい。
 また、『太平記抜書』がいつ刊行されたのかは先述のごとく定かでないが、もしそれが1613年ごろに長崎の近辺で印出されたものであると仮定するならば、それは徳川幕府の禁教令が出されて1614年にキリシタンの名将・高山右近をはじめ宣教師ら多くのキリシタンが国外へ追放される直前の時期にあたるわけである。
 そうした非常事態の迫る厳しい弾圧の情況下にあって、大多数の一般信徒にとっては必読の信仰書でもない歴史文学の大部な日本古典をどうしてこの時期に長崎の地であえて刊行しなければならなかったのか、その必要性が大きく疑問として残るのである。
 なお、これは憶測にすぎないが、後藤印刷所で使用されていた鋳造活字類の一部が、諸般の事情で長崎から他所へ移されていたことがあるとするならば、その移送先ででもこの『太平記抜書』の印刷は十分に可能であったとおもえてくるのである。

 最後に、後藤版(存在不明の先行仮想本)の『こんてむつす・むんぢ』に基づく覆刻木活字を使用して、1610(慶長15)年に原田アントニオが刊行した京都の木活字キリシタン版と言われる再版の『こんてむつす・むん地』(天理図書館蔵)が伝存している。これは長崎版との関係もあるので、ここに触れるべきであるかも知れないが、本書に関してはまた別の機会にのべることにしたい。(平成19年12月27日記)

(注1)

新井トシ「きりしたん版国字本の印行について(三)」『ビブリア』No.11(昭和33年刊)

(注2)

片岡弥吉『印刷文化の発祥』長崎史談会(昭和38年刊)

(注3)

富永牧太「京都版「こんてむつす・むん地」の版式について」(天理図書館編『きりしたん版の研究』(昭和48年刊)所収)

(注4)

中根勝「『おらしょの翻訳』について」(『日本印刷技術史』八木書店(平成11年刊)

(注5)

新井トシ「きりしたん版その周辺(三)」『ビブリア』No.29(昭和39年刊)

(注6)

天理図書館編『天理図書館蔵きりしたん版集成解説』(昭和51年刊)

(注7)

高祖敏明校註『キリシタン版太平記抜書一』(キリシタン研究第44輯)教文館(2007年刊)

(注8)

森上修「キリシタン版『ぎや・ど・ぺかどる』(慶長4年・長崎イエズス会刊)<二字連鋳活字>印出字一覧(上巻・天理図書館本、下巻・上智大学キリシタン文庫本)」私家版(平成19年10月輯)

(注9)

森上修「キリシタン版『どちりな・きりしたん』(慶長5年・長崎後藤登明版)<二・三字連鋳活字>印出字字母調査資料(カサナテンセ図書館蔵・雄松堂書店複製本)」私家版(平成19年10月輯)


<参照文献>『長崎版 どちりな・きりしたん』海老沢有道校注 岩波書店 昭和25年2月刊


【付 記】
本稿をなすにあたり今回もまた、京都大学人文科学研究所図書室の松田博氏、神戸女子大学の小堀幸さん、八木書店の八木荘一氏には何かとご助力をいただいた。末筆ながらお礼を申し述べたい。また、上記の京都・木活字キリシタン版『こんてむつす・むんぢ』については、今年より、京都在住の八十田糸音さん(上智大学キリシタン文化研究会)が、その印出字を中心とした詳しい調査を進めておられるので、今後の成果を大いに期待したいとおもう。

『太平記抜書』の活版印刷方式に対する疑問点について、筆者はかつて大阪樟蔭女子大学名誉教授・木村三四吾先生にご教示をねがったことがあったが、その大恩ある木村先生が昨日急逝なされた。長年にわたる先生の学恩を謝し、謹んでご冥福を心よりお祈り申し上げます。(平成20年4月10日記)

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復刻版 キリシタン版精選
71号 2008/4/10
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