今年は1月の初めからCNNのテレビ放送に釘づけになった。アメリカの大統領選挙で民主党の候補指名争いが、ヒラリー・クリントンとバラック・オバマの両連邦上院議員の間で熾烈に戦われていたからである。2004年に上院議員に選出されたばかりで、全米的にようやく知名度を確立したばかりのオバマ候補と、長年、政治の一線で、夫のビル・クリントンのそばに立ち、政治経験も十分に積みながら名前を知られてきたヒラリーとの格差は、問題なく大きいように思われた。民主党から他の男性候補が出なければ、ヒラリーが本選候補になる可能性はきわめて高かった。ヒラリー自身、おそらく昨秋まではそう読んでいただろう。
ところが1月のアイオワ州の予備選挙から、番狂わせの様相を呈し始めた。それは6月7日、ヒラリー候補が指名争いから事実上、撤退するという宣言を出すまで続いたのだった。
2008年度の大統領選挙が、アメリカの歴史に残る記念碑的選挙であるのは、民主党の候補者がヒラリー・クリントンとバラック・オバマという、いわゆるマイノリティの候補者だったことであり、さらに現在の共和党ブッシュ政権にうんざりしているアメリカ国民は、共和党離れが激しく、今度は民主党の大統領を望むだろうというのが世論の大勢であるからである。すなわち、かれら二人はただマイノリティの候補者だったのではなく、じっさいにホワイトハウスへ入る可能性が大いにあり、どちらが指名されても初の女性大統領、初の黒人大統領が誕生するという、アメリカの歴史始まって以来の大事件になるのである。
ヒラリーの「失速」は、個人的にはとても残念なことで、あの有能な政治家をアメリカ市民はなぜ選ばないのだろうか、そこにはジェンダーの問題がかなり深く食い込んでいるのではないかと私には思える。それとともに、オバマの「快進撃」に、アメリカ社会の変化を読み取りもする。
拙訳の『マルコムX事典』が、8月初旬に刊行されるが、今から半世紀前、革命的人道主義者であるマルコムX(1925-65)が生きていた時代に、オバマ候補の登場などまったく想像もできなかった。マルコムXが生きていたら、この状況をどのように読み解くのだろうか。オバマ出現の背景を知る上にも、50年代、60年代のアメリカ社会に潜んでいた、すさまじく苛酷な人種差別の状況を把握しておかねばならない。自画自賛になるけれど、アメリカ社会の黒人問題を知るために、そしてアメリカ社会を理解するためには、この事典はきわめて有益で、読み物としてもうまく構成されていると思っている。
というのもバラック・オバマはその自伝『父親からの夢』(1995年)によると、高校時代にマルコムXと「ネイション・オブ・イスラム」のことを知り、マルコムXの唱える「マンフッド(男らしさ)」、自信、アイデンティティの確立という考えかたに、強く影響を受けているのである。かならずしも「ネイション・オブ・イスラム」の教義には、心を動かされなかったが、「アメリカの黒人」として強い人間像を訴えるマルコムXは、十代のオバマには特殊な輝きを放つ存在だったのだろう。
マルコムXは人生において二度、名前を変えたが、それはすべて自分のアイデンティティ確立のためだった。マルコム・リトルとして生まれ、六年半の服役中に「ネイション・オブ・イスラム」のことを知り、釈放後、すぐに指導者イライジャ・ムハマドからマルコムXという名前をもらう。リトルという白人の主人の名前は、奴隷的姿勢を引きずることになり、またいっぽうで、強制的にアフリカの名前を剥奪された奴隷であることを示すために、未知を表すXを取ったのである。それはまた無限の可能性を秘める記号Xでもあった。
暗殺される前年の1964年に、マルコムXはイスラーム教徒として「イスラームの五柱」という義務の一つ、メッカ巡礼(ハジ)を成就する。正統派イスラームのスンニー派になったというマルコムXは、エル・ハジ・マリク・エル・シャボズという名前になった。ハジを行った者であるという証明が名前に組み込まれている。
1970年代、「アメリカの黒人」の間では、アフリカ名前に改名することが流行したが、改名の行為ひとつを見ても、いかにかれらがアメリカ社会で、自分たちのアイデンティティを曖昧にされてきたかが明らかになるだろう。奴隷時代に勝手に付けられた英語の名前は、ほとんど記号でしかなかった。ノーベル賞作家トニ・モリスンは、それを『ビラヴド』という作品の中で批判している。プランテーションで働く奴隷たちをすべてポールという名前にして、ポールA、ポールB等という命名にしたのは、アメリカ社会における黒人のアイデンティティ剥奪の歴史を弾劾するためであった。
1964年のアフリカ、中東訪問のさいに、ナイジェリアに滞在したマルコムXは、大学生たちからアフリカの名前「オモワレ」を贈られる。「戻ってきた子供」を意味するこのアフリカ名にマルコムXは感激したという。そのころからマルコムXは、アメリカの黒人解放の問題を、公民権の問題ではなく人権の問題として、広いパースペクティヴから捉えるようになっていった。人権問題としてアフリカン・アメリカンのみならず、アフリカ諸国の黒人の問題であると見なすようになった。そのような連帯意識を持ち始めていたマルコムXであったから、「オモワレ」というアフリカの名前を与えられたことに、とりわけ感動したのだろう。
このように名前は個人を特定する単なる記号ではなく、存在証明、存在理由と関わって特別の思い入れがあり、個人の人格を表すものだが、アメリカの白人の命名行為は、キリスト教徒としてのアイデンティティを示すことはあっても、また祖先の名前を踏襲し、血縁的つながりを主張することはあっても、たとえば私たち日本人が子供の名前を考えるときとは違って、記号的要素が強いと感じてしまうのは、私の偏見だろうか。
バラック・オバマは、成人するまでバラックではなくバリーという、英語で発音しやすいように崩して呼ばれていた。それは一つの記号化の行為であり、アラビア語で「祝福されし者」を意味するという、バラックの意味は消されてしまっている。
バラック・オバマは、初めて父親の故郷ケニヤを訪れたときの感動を自伝に記している。ケニヤ国際空港で、オバマという名前を告げただけで、自分の父親のオバマ博士との関係を尋ねられたという。名前がすぐにアイデンティファイされるという経験は、アメリカでは一度もなかった。それはオバマにとっての新しい体験だった。
選挙戦中、オバマ候補は自分の「変な名前」のことを話題にすることがあった。今ではほとんどミドル・ネームを置き去りにしているが、オバマのミドル・ネームは「フセイン」である。それがアメリカ国民に喚起する、アラブ=イスラーム=テロリズムという連想の展開を恐れている。その連想は根拠のない夢想ではなく、アメリカ社会に深くしっかりと潜在している。
アメリカ合衆国では、信教の自由が憲法で保証されているとはいえ、建国直後のマサチューセッツ州法に見られるように、キリスト教の安息日を守らなかった場合の罰則を取り決め、現実的にはキリスト教徒であることが要請されている。信教の自由とはいえ、キリスト教の各宗派を認めるという想像力しか、建国の父祖の間にはなかったのではないだろうか。イスラーム信仰など考えてもいなかった。「ゴッド・ブレス・アメリカ」という選挙候補者の連呼も、キリスト教の神を呼び起こしているのであろう。
バラック・オバマには、ケニヤにイスラームの異母兄弟が、インドネシアにイスラームの異父妹がいる。オバマ自身はキリスト教徒であると宣言しているが、本選挙に勝利して大統領になった場合、背景のイスラームとの関わりが大きな問題になってくるだろう。アメリカの「イスラーム恐怖」は決して容易に消えるものではない。