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雄松堂>Net Pinus 73>アメリカ文学ライブラリー「メルヴィル作品の中の実在した二人のインディアン」
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『ハーマン・メルヴィル事典』の翻訳を終えて苦労話を書くとなると、私の場合愚痴話、いいわけ話になりかねないので、別のこと、メルヴィルが作品の中で言及し、実在した二人のインディアンについて述べたい。 ブラントは事典において、項目「ブラント Brandt」で以下のように解説されている。 『ピエール』に登場。凶悪な、混血のネイティヴ・アメリカン。かつてピエール・グレンディニング将軍と戦ったが、のちには彼と食事をともにした。
この記述はメルヴィルの第7作『ピエール』のBook Iのiiに見える一節にもとづいている。そこでは、「あの紳士然とした、しかし凶悪な、混血のブラント」とあり、主人公ピエールの母方の祖父ピエール・グレンディニングが独立革命時に植民地軍の将軍として防衛した「ある重要な」「要塞[砦]」の攻囲戦に、ブラントは英軍側の一員として参画したが、のちに敵方だったグレンディニング将軍のもとを訪れ「食事をともにした」と書かれている。 Mohawkインディアンの首領;インディアン名Thayendanegea;フレンチインディアン戦争(1754-60)およびアメリカ独立戦争では英軍側で参加…… などとなっている。 『ピエール』に登場。……グレンディニング将軍はメルヴィルの母方の祖父ピーター・ガンズヴォート(1749-1812)を綿密になぞっている。…… とある。 メルヴィルの母方の祖父。……スタンウィックス要塞(Fort Stanwix)の指揮を任された(1776)。今日のニューヨーク州ロームに位置していたこの要塞は、後にスカイラー砦(Fort Schuyler)と呼ばれた。ガンズヴォートと彼の配下の750名の兵士は、この砦をバリー・セントレジャー将軍に指揮された1700人の国王派兵士と親イギリスのインディアンから防御(1776年8月3-22日)…… とある。 もう一人のインディアン、ローガンは小説『マーディ』の第127章に、語り手による以下の一節に言及される。 彼らは、種族の最後の者である、あの哀れなローガン(Logan)に似て、自分たちの種族の血を独り占めしていたように見えた。認知できる只の1人のいとこもいなかったからだ。 ローガンは『白鯨』にも、メルヴィル生前の最後の散文作品『詐欺師』にも出てくるが、登場人物ではないために、『メルヴィル事典』ではとりあげられていない。 そして春と夏が過ぎ去ってしまうと、あの無法な森のローガン(Logan)が木の洞に身をひそめて、おのれの掌を啜りながら、冬を生き抜いたのと同じように……。 『詐欺師』の第25章から第28章までは、故ジョン・モアドック大佐という、「インディアン嫌い」と呼称される人物像を扱っていることで知られ、論じられることの多い箇所である。第25章において、「世界主義者」の異名を持つ登場人物が以下のように発言している。 ……インディアンを嫌うですって? ……私には、インディアンは賞賛の対象です。インディンは原始的な種族のうちでも一番すばらしい種族の1つだし、沢山の英雄的な美質を持っていると聞いていますからね。高貴な、女性のインディアンだっていますよ。ポカホンタスのことを思い起こすと、私はインディアンが好きになるんです。それにマサソイト、ホープ山のフィリップ、テカムセ、レッド・ジャケット、ローガン(Logan)がいます――みんな英雄たちですよ。ああ、インディアンを嫌うだなんて。故ジョン・モアドック大佐はきっと頭がおかしくなっていたにちがいないですよ。 ローガンは、リーダーズ英和辞典で以下のように記述されている。 James [John] Logan (c. 1725-80)《アメリカインディアンの指導者;インディアン名Tah-gah-jute;Pennsylvania植民地の長官James Loganの名を名のる;Ohio川流域のインディアンのリーダーで、白人に友好的であったが、家族が惨殺されると復讐の念に燃え、英人と協力するようになり植民地人30人以上の頭皮を取ったという;悲嘆に満ちた彼が語った白人への恨みのことばは、新聞およびJeffersonの引用によって有名になった》 ここで「Jeffersonの引用」というのは、ジェファソンが『ヴァージニア覚え書』(1781-82年に執筆)の「質問六」において、ローガンが語ったとされる「白人への恨みのことば」を、白人による家族の惨殺という、それが述べられるに至った経緯とともに、読者に紹介したことを指している。ジェファソンはここで同時に、ローガンの「ことば」の「雄弁さ」を賞賛しており、ジェファソンの意図はむしろローガンの賞賛にこそあったと考えることもできるであろう。ジェファソンがインディアンに加えられた白人の残虐行為を率直に語り、それに対して復讐の念を燃え上がらせたインディアンを賞賛してみせたとき、そこには、植民地人が独立戦争に勝利した際、インディアンとの和解のムードを醸成しようとする思惑が働いていたのではあるまいか。上でみた、『ピエール』(1852年)におけるブラントとグレンディニング将軍がともにした「食事」は、このジェファソンによるローガン賞賛とよく似た効果をもったのではないかと私は考えている。
Net Pinus 73号
「アメリカ文学ライブラリー」リレーエッセイ
アメリカ文学ライブラリー 「ハーマン・メルヴィル事典」訳者のエッセイ!

福士久夫氏 略歴:
主な著訳書:
『変容するアメリカ研究のいま――文学・表象・文化をめぐって――』(共著、彩流社、2007年)
『メルヴィル後期を読む』(共著、中央大学出版部、2008年)
メルヴィルの作品には実に夥しい数の人物が登場し、メルヴィルが作り上げた架空の人物もいれば、実在した人物もいる。『ハーマン・メルヴィル事典』は、主に作品名や登場人物の名前を項目として掲載しているが、作品の語り手や登場人物たちが言及しただけ、引用しただけの人物については解説されていない。
これら登場人物の中から、本稿では、二人のインディアン――『ピエール』に登場するブラントと、『マーディ』の中で言及されるローガン――について述べたい。

(Library of Congress, LC-DIG-ppmsca-15712)
ブラントはこの一節にしか出てこないが、「あの……」と書き始められることによって、読者も知っているはずの人物であることが示唆されている。そこで、種々の事典などで調べてみると、ジョゼフ・ブラント(Joseph Brant [1742-1807])と呼ばれた、実在した混血のインディアンに行きつく。ジョゼフ・ブラントは、リーダーズ英和辞典では、
私は『ピエール』のブラント(Brandt)は、実在したブラント(Brant)をわずかにフィクション化した人物であろうと考えている。彼は白人のもとで教育を受け、英語を話し、読み、書けるようになり、のちに英国国教会系のキリスト教徒となった。だから彼は『ピエール』に書かれているように「紳士然」としていたのだろう。
しかし彼は他方で、Cherry Valleyの虐殺を指揮するなど、「モンスター・ブラント」の異名をとった。だから彼は「凶悪」とされていたのであろう。実在したブラントが、「ある重要な」「要塞」、すなわち「スタンウィックス要塞」(のちに「スカイラー砦」と呼ばれるようになった)の攻囲戦に英軍側の一員として参画したことは、歴史的な事実である。
さらに『メルヴィル事典』でこのピエールの祖父「Glendinning, General Pierre ピエール・グレンディニング将軍」をひくと、

(Library of Congress, LC-USZ62-111117)
この記述に導かれて、さらに項目「Gansevoort, Peter ピーター・ガンズヴォート」を見てみると、
上の『ピエール』からの一節のポイントは、ブラントが独立戦争で英軍側につき植民地側に敵対した、「凶悪な」インディアンであったにもかかわらず、その後植民地側の将軍ピエール・グレンディニングと「食事をした」と書かれていること、つまり、インディアン側と植民者側との和解が示唆されていることにあるであろう。『ピエール』のこのあたりには、ピエールの祖父を「パトルーン」として、「サドル・メドーズ」と呼ばれるオランダ植民者系の「荘園」が成立した事情なども書かれているが、この「サドル・メドーズ」はインディアンから譲渡された土地の上に成立したとされている。インディアンから譲渡された土地であることを証明する「土地証書」も残っていると書かれている。この土地証書の存在はまっとうな売買契約が交わされたことを仄めかしているが、ピエールの父方の祖父はのちに「サドル・メドーズ」と呼ばれることになる地で、「植民地初期にインディアンとの戦い」に「部下」を持つ身として参戦したとも書かれているのであるから、土地証書は戦争による征服の結果として作成された可能性もある。(土地証書の存在がそのまま対等、まっとうな土地売買を必ずしも裏づけるものではないことが、今日、この方面の研究者たちによって主張されるようになっている。)そうであれば、独立戦争後に「サドル・メドーズ」の「荘園館」において「食事をともにした」ことによって、インディアン側と植民者側との和解が示唆されていることの意味は小さくはない。
『白鯨』の第34章に、語り手による以下の一節がある。
しかし、メルヴィルが1857年に発表した『詐欺師』において、母親と兄弟姉妹をインディアンに惨殺されて「インディアン嫌い」となった故ジョン・モアドック大佐のすぐ横に、白人に家族を惨殺されて白人嫌いとなったローガンを並置してみせたとき、和解が今なお達成されていない事態を読者は目の当たりにすることになったのだと言えまいか。
メルヴィルは1891年に他界するが、その2年ほど前の1888年に詩集『ジョン・マー』を私家出版した。そこに収められている詩「ジョン・マー」に付された散文の前書に、メルヴィルは「赤人たちが戦った、彼らの土着の土地と自然権のための戦い」という一句を書き込んだ。メルヴィルは最晩年に至るまで、インディアンの運命から目をそらすことはなかったのである。
(1)亡霊がひしめくアメリカ南部を巡って:前田絢子 氏(早稲田大学教授)「 F・S・フィッツジェラルド事典」訳者
(2)マルコムXの精神的遺産:荒このみ 氏(東京外国語大学教授)「トニ・モリスン事典」訳者
(3)カリフォルニア州カーメルのラングストン・ヒューズ:木内徹 氏(日本大学教授)「ラングストン・ヒューズ事典」訳者
(4)ウィスコンシンの休日:寺沢みづほ 氏(早稲田大学教授)「ウィリアム・フォークナー事典」訳者
(5)北の夢―シアトルからオリンガーまで:鈴江 璋子氏(実践女子大学名誉教授)「ジョン・アップダイク事典」訳者
(6)市場経済とエズラ・パウンド:江田 孝臣氏(早稲田大学教授)「エズラ・パウンド事典」訳者
(7)我流パソコン翻訳法:高尾 直知氏(中央大学大学教授)「ナサニエル・ホーソーン事典」訳者
(8)ラム・ハウスのヘンリー・ジェイムズ:別府 惠子氏(神戸女学院大学名誉教授)「ヘンリー・ジェイムズ事典」訳者
(9)エミリ・ディキンスン国際会議:鵜野 ひろ子氏(神戸女学院大学教授)「エミリ・ディキンスン事典」訳者
(10)ドライサー事典翻訳余聞―ポーの墓:村山 淳彦氏(東洋大学文学部教授)「セオドア・ドライサー事典」訳者
(11)異文化体験作家:ジェイムズとハーン:里見繁美氏(大東文化大学教授)「ヘンリー・ジェイムズ事典」訳者
(12)零度のエスニシティ?ロバート・L・ゲイル『ハーマン・メルヴィル事典』の余白に:巽孝之氏(慶應義塾大学教授)
(13)メルヴィル作品の中の実在した二人のインディアン:福士久夫氏(中央大学経済学部教授)「ハーマン・メルヴィル事典」訳者

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73号 2008/12/26