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雄松堂Net Pinus 75>ゲスナー賞応募作品寄贈記念講演録と式典のご報告

Net Pinus 75号

記念講演録

2009/08/18

“目録・索引”“本の本”等、本に関する労作を評価、顕彰するため、雄松堂書店が1997年スタートさせたゲスナー賞は、昨年で5回目を迎えました。これまで600余点にのぼる応募作品の中からすぐれた30余点を授賞いたしました。
これら全応募作品を本の街、神保町にある明治大学中央図書館に寄贈し、オープン書架に「ゲスナー賞文庫」として公開していただくことになりました。ここに、これを記念し、7月7日に行われた高宮利行氏による記念講演を編集したものと、寄贈式典のご報告を掲載いたします。

今回の講演の前に思うこと

本のある人生
本日は「本のある人生」について堅苦しくないお話をさせていただこうと存じます。

今回このテーマで色々と考えました結果、2部に分けることにいたしました。第1部は「恥ずかしながら家族の話」として、私の家族がいかにして「本のある人生」を送ってきたのかをお話しようかと思います。

第2部は「若者に本との出会いの場を作っていこう」というのがテーマです。

私が色々な形で見聞した結果、困ったことに本を読まない世代が増えてきていると感じています。私は慶應義塾大学をついこの間退任したのですが、40年近くにわたって教えてきた経験から思うのは、正直なところ昔に比べると学生が本を読まなくなったということです。彼らは決して不真面目ではありません。むしろ昔の学生よりも授業はよく出ていますし、勉強もできます。そのかわり図書館には必要のない限り行かないようです。では勉強以外の時間を何に費やしているのでしょうか?彼らは携帯電話の支払いやファッションのために、アルバイトに精を出しているように見受けられます。学生達の間で本に費やす小遣いの額が年々減っていて、神保町でも若い学生の姿が見られなくなってきました。昔、私が学生だったころ、古本屋によく通い、そこで大学教授と出会い、喫茶店などに連れて行ってもらったものです。そこで実に色々な事を教えてもらいました。今、神保町の喫茶店に行っても、若い学生の姿はほとんど見当たりません。

字が読めるのに本を読まない学生を、私は第2の文盲と呼んでいます。今日のお話はここにいらっしゃる、本に深く関わりのある方々にお伝えするメッセージではありません。皆さんの周りの若い人をつかまえて、いかに本を読んでもらうかを一緒に考え、本のある実り多き人生を教えようというものです。私は皆さんと一緒に、若い人たちに本をどうやったら読んでもらえるかという事を考えてもらいたいと思っています。
ひとつ例をあげますと、村上春樹の『1Q84』という小説が140万部売れて話題になりましたが、私が今でも非常勤で教えている英文科の34名のクラスでは、この作品を買って読んだ学生は誰もいませんでした。購入した140万人はどこにいるのでしょうか。彼らは決して不真面目な学生ではありません。勉強もするし、成績もいい。でも何か不思議な感じがするのです。

もうひとつ、最近メモリーの外付け化が進行しているような気がします。これはコンピュータの用語を使った比喩ですが、コンピュータが現れたことにより、昔に比べると、人は頭脳の中にあるはずの記憶を自分の中に置かず、外に置くようになりました。人間の頭の中にある情報をコンピュータに移し替え、必要に応じて引き出す。典型的な例では、レファレンス・ライブラリアンという方の仕事の変化です。この仕事は、極端に言いますと、自分の記憶を持たなくても良くなってしまいました。質問がくれば、いくつかのキーワードを入力して検索して情報を出し、出てこなければそれでおしまいです。逆に言いますと、検索エンジンをいかにうまく使いこなすかが重要になってきているのです。

これから先、社会で成功する人はかなりの割合で、コンピュータ検索が上手な人ではないでしょうか。その代わり頭脳の中に記憶を貯める事がなくなってしまう。これは日本だけではなく、世界中で起きている現象です。パリの国立図書館の館長にこの話をしたところ、フランスでも同じことが起こっているとおっしゃっていました。昔、図書館には書物に関する情報を持っている年を召した図書館員の方がいて、学生が尋ねるとパソコンなど使わなくとも、どこに何があるのか答えることができました。そういう方が段々少なくなってきているように思えます。時代の趨勢で仕方がないことなのでしょうが、我々の頭脳の中にあったはずの記憶や情報が全部外付けになって、果たしてそれでいいのでしょうか。この世から電気がなくなったらどうなるのか、それを考えると夜も眠れないのは、私だけでしょうか。

恥ずかしながら家族のはなし

■父の「本のある人生」

その一方で昔の世代は本をよく読み、そして良く覚えていたように思えます。私事で恐縮ですが、ちょうど1週間ほど前に私の父が亡くなりました。父は若い頃、国学院大学の神道学部で学び、神主の家系であったため跡を継ぎました。ところが戦後間もなく予備校を始め、代々木ゼミナールの理事長を52年間務めて、現役のままあの世に行きました。87歳の時に大病をしたのですが、高齢だから手術は無理であろうという反対を押し切って、最初の手術をしてから亡くなるまで9回も手術を受け、その度に甦り、自宅療養した後、毎日オフィスに通っていました。

52年間も予備校の理事長をしていますと、学校の雑誌や新聞などにものを書く機会がありますが、父は一度として同じネタを使ったことがありません。何かで仕入れた知識を、誰にも気づかないような発想で書いていました。今考えてみますと、大学にいた時の知識が、ずっと残っていたのではないかと思われます。ある時、手術で死線をさまよった時、本人が言うには、三途の川を渡り向こう岸まで行ったが「お前はまだ早い」といわれて追い返されたそうです。その時、何らかの刺激を受け、突然昔学んだ哲学史の知識がふつふつと甦ってきたと言います。

たまたま病院に来ているお手伝いさんが向学心旺盛であったため、これは面白そうだということで、彼女に文学の教授を始めました。すると女性がとても興味を持つようになりました。段々図に乗ってまず西洋哲学の歴史をプラトン、アリストテレスと順を追って教え始めました。ついで、中国の思想の歴史に入っていきました。ある時私が病室に見舞いに行きましたら、老子のテクストが欲しいと言い出しました。どうもそのお手伝いの女性がどこかで学んだテクストと、昔自分が学んだテクストが少し違うようなので、確認したいと言うのです。90歳の老人が70年前に学んだことを覚えているとは思えないのですが、私が岩波文庫を買っていったところ、やはり本文が違うと言うのです。

私は小さい時から一度も父の口から哲学を勉強していたとは聞いた事がなかったので、大変驚きました。このように、父はいろいろなことを知っていました。軍隊にいましたから軍隊のことにも詳しいし、古い歴史もよく知っていました。英語は神道部ですからさすがにそれほどとはと思わないのですが、学生版で出ていた注釈付きの『チャタレー夫人の恋人』などをこっそり読んで勉強していました。このように向学心にあふれていたため、今の人たちとは違う書物体験を父は重ねてきたわけです。

■私の「本のある人生」

本のある人生
その父は、私が12歳で私立中学に受かった日の夜、神田の古本屋に連れて行き、何でも欲しい本を買ってやると言いました。そこで私は迷った末、平凡社が出している『外国人名事典』と『現代日本人名事典』を選びました。今考えても奇妙な選択だったと思います。これはゲスナー賞の対象になるような本ですから、私がゲスナー賞の審査員に選ばれるのは何か本質的な理由があったのかもしれません(笑)。最初に買った洋古書もロビンソン社という古書店で出している古い古書目録。私はどうも他の人たちとは違って、小説を読んで夢中になるタイプの人間ではありませんでした。

英文科の教授は退職したので告白しますが、私は例えばオースティンやディケンズなどの、登場人物がたくさん出てくるストーリーは覚えられません。でもアーサー王伝説に現れる膨大な数の登場人物はみな覚えられます。ちょっと普通の人とは違う精神構造を持っているようです。何しろ、カタログ・辞典と言った類いのものが大好きで、我が家には今でも中世西洋写本のカタログが相当な数があります。こういうものを一生置いていてもカタログの類いですからほとんど使わない。でも置いてあると心が安まるのです。夜中に研究上の閃きが出てくることも多いもので、夜中では図書館には行けませんから、やはり自宅にあると便利なのです。私は、何でも本は買って座右に置くべきだと思います。それが私にとっての本のある人生です。

また、このように私は目録・辞典を読むことが好きなので、最近オックスフォード大学のDNB、Oxford Dictionary of National Biographyといって、要するにイギリス人の伝記を網羅したデータベースにはまっています。その記述がすばらしいのです。古い本には前の所有者が自分の名前を書き込んであるものがありますが、私は古書を入手すると、古書店が確認できなかった名前をこの人名事典で探すことに異常な喜びを感じます。毎朝調べていますと、自分が検討をつけた人物でないこともありますが、それでもずるずると他の情報が手に入ります。

■息子の「本のある人生」

さて、父と私の書物体験についてお話しましたが、今度は長男の話です。今はもう35歳になりましたが、面白いことにやはり私立中学に受かったその日、本人が神保町に連れて行って欲しいと言い出しました。息子によると、吉村昭の作品の中に太平洋戦争を取り扱ったものがあり、その中に駿河台下から歩いて、靖国神社の鳥居がちょうど見えるあたりに太平洋戦争関係の資料が何でもそろっている文華堂という古書店があると書かれていたので、そこに連れて行って欲しいと言うのです。

12歳になったころの息子は、何でも戦争に関するものが大好きで、軍国少年になりつつありました。彼が戦争の話を私の父にすると、父は大喜びで、私には決して話さなかった戦争体験を語り始めました。さて神保町のその古書店に連れて行ったところ、中学に入ってからも1週間に1度か2度通うようになり、軍隊手帳とか、戦車の操作法などの本を買ってきて棚に並べて喜んでいました。建国記念日などは友人を連れて靖国へ行くなどして、この先右翼少年になったらどうするのだろうかと私に思わせながらも、そういうことを2、3年やっていました。私は大変面白い息子だと思ったのです。

また私はラグビー観戦が好きで、ある日6歳になった息子を連れてラグビーに連れて行きましたところ、息子は試合の後、ルールブックを買って欲しいと言い出しました。話を聞いたところ、審判が一番偉い、笛を吹くとみんな止まる、彼はどうもルールブックを持っているようだ、と言います。普通の子供だったらボールでも欲しがるところ、ルールブックを欲しがるこんな子供は見たことないと思いました。

■家内の「本のある人生」

続いて数年前に亡くなった家内の話です。この人物は私と全く違った「本のある人生」を送りました。ペーパーバックで構わないのですが、ハーディ、コンラッド、ジェームズ、フォースター等毎年作家を決めて、隅から隅まで英語で読んで楽しむのです。もちろん田辺聖子や宮尾登美子も読みます。

それだけ読めば、さぞかしその作家について言いたくなり、分析もしたくなるだろうと思うのですが、そんなことには関心がないと言います。そして返す言葉で、偉い先生が小説をあれこれ分析するのは本当に面白いのだろうか、私のように本を読んで自分の人生では体験できないことを主人公に仮託して喜んだり、泣いたりする方がずっと面白いのに、と私や私の同僚が書いている文学評論にケチを付け始めます。なるほど私たちのように、本を研究の材料として使わざるを得ないと、面白くなくなってくるということもあるなと思いました。

若者と本との出会いの場を作りましょう

■「本のある人生」は点が線になる

高宮氏01
さて、今までは私の家族の少々普通の人と変わった「本のある人生」を紹介しましたが、今度は第2部として、若者と本との出会いを作ろうというテーマでお話させていただきます。一番てっとり早いのは学生の首根っこを捕まえて読ませるという手段です。若手教員と一緒にホメロス、ヴェルギリウス、ダンテから近代まで百冊以上の必読リストを作って課題として与えて読ませる。するとまじめな学生は読み始めます。読み始めると面白さに気付いて、感想を書きますし、研究発表にもよい影響が出てきます。

私は常日頃から自分の早い段階で文化的、文学的「点」をたくさん見つけなさいと勧めてきました。そうすればまたいつか「点」を見つけた時、それが結びついて「線」になるはずで、その喜びで人生が充実していくのです。それを繰り返せば「線」が重なって「面」になる。場合によっては「立体」になることもある。そこまで行けば大したものです。このためには、若いうちにたくさん本を読み、知識を仕入れて、「点」を作るべきだと学生達には話しています。そうするとたまには、点と点が線になったという学生が出てき、うれしそうに報告してくれます。

■神保町の楽しさを学生に

次に、神保町の古書ツアーを企画、実行します。神保町でお茶ぐらいごちそうするからと人参をぶら下げて、先着5名集まれとメーリングリストに送りますと、参加する学生が集まります。その連中を連れて神保町で私の好きなコースを回るのです。豆本専門店や児童書専門店、あるいは古書モールと言って文庫本なら4冊100円で売っているようなところに出かけ、そういう場で時間を過ごす楽しみを教えるのです。そうしますと、中には週に2回くらい通う学生も出てきます。

神田の古書店で顔なじみになっている学生は、かなり私のところの学生が多いようです。幸いなことに神田の古書店の主人には慶應の出身者が多いため、もし母校の学生がきたら少し割引してくださいと頼んでおきますと、やはり先輩ですからまけてくれるのです。そうすると学生は喜んで通い始め、そうした繰り返しによって古書の世界、本の世界にのめり込んでいきます。書物狂とは1回とりつかれたら永遠に治らない病と、『書物の敵』の著者ウィリアム・ブレイズは言っています。

私は、その他に、慶應の文学部のカリキュラムの中で、書物の歴史に関する授業を組み込み、「書物の世界」「一冊の本」あるいは新しい技術を使った「デジタル書物」などタイトルを変えて講義やオムニバス授業を行ってきました。

高宮氏02
■図書館との連携

今までは図書館と学部の授業が独立してきました。私は週に何度も選書課に足を運び、予算の余りを目当てに、本の購入をお願いしていました。すると2月くらいになりますと電話がかかってきまして、少し予算があまっているとの連絡がきます。そうして買ってもらった良書を、ただ秘蔵することだけが図書館の使命ではないのではないと考え、例えば慶應義塾大学図書館のコレクション研究を大学院の授業に取り入れる試みをしています。古書カタログの読み方を教え、目録解題の取り方を教えます。また、今日のゲスナー文庫の展示会のように解説付きの小さな展示会をやります。そしてその解題は私の監修のもと学生にやらせる。そうすると学生も力が入ります。このように私たち教員と図書館が連携していくことが重要なのではないでしょうか。

■愛書家クラブ発足とブック・コレクティング・プライズの企画

それでもまだ足りないと思い、私は数年前に慶應義塾大学で愛書家クラブを発足させました。これはケンブリッジ大学でもオックスフォード大学でもやっています。講演してくださる方も関係者にお願いし、会費を無料にして教員、学生が一緒になって、本に関する話を聞きます。ここでは佳境に入るとワインを出します。すると普段見られない教授の顔が見られることに学生も喜びます。そして最後にオークションを開きます。大学の教授は大抵、重複本を持っていますからそれを供出していただき、学生にも書誌的なことを教えておいて競売の真似事をします。ここ数年で若干の基金ができました。それを使って学生のためのブック・コレクティング・プライズを作りたいと思い、図書館と検討中です。

このブック・コレクティング・プライズは、ケンブリッジ大学をはじめ、アメリカの主要大学にはあるものです。どういうものかと申しますと、学生に自分の好きなテーマでコレクション・ビルディングをさせて、そのカタログも作らせて審査し、一番面白いものにプライズとして賞金を与えます。費やした金額は問いません。そうすれば学生も就職の時に履歴書に書けますし、受賞した学生は賞金をもらっても、また本を買うはずですからよい循環にもなると思います。海外の古書店で活躍している古書業者の人で、アメリカの大学で学んだ時2度このプライズをとった人もいます。このようにして、生まれてから死ぬまで治らない古書熱にかかる人を早い段階で作りたいと思っています。

■本に出会えれば・・・

アメリカの図書館
そこでせっかく神保町に隣接しているのですし、明治大学でもこれらの仕掛けをやってもらえるなら、私たちもぜひ協力したいと思います。古書店の店主から面白い話を聞いて、若いうちに古書好きになってもらえれば、ずっと続くはずです。そういうことの最初のカリキュラムとして色々な物を組み込んで、書物のおもしろさを先生方にも教えていただく。経済史の先生だって西洋哲学史の先生だってみんな書物の知識があるはずです。今日のゲスナー文庫の展示にも明治大学が所蔵しておられるすばらしい稀覯書が並んでいます。そういうものを教材として使ってみてはどうでしょうか。学生をいかに盛り立てていくかを考えれば、古書店だって喜びますし、学生だって得をします。そして本のある実りの多い人生を送れるのです。

私が学生達にこのような本との出会いの場を作ったのはここ5年くらいの話です。退職前になにかやっておかないと、本好きの学生が出てこないのではないかと考えたからです。もちろん生来本好きの学生も中にはいるでしょうが、こちらが少し手を貸してあげると、彼らの関心はずっと伸びます。ここにいらっしゃる方でも私のような立場にある方がいらしたら、ぜひ学生達を激励してほしいと思います。

最後になりますが、慶應の国文科教授だったに池田弥三郎氏は「本に出会えれば、1人の一生で何人分もの人生を楽しめる」とおっしゃいました。ですから「本は手元に置いたほうがいい」ということを本日のお話の結論とさせていただきたいと思います。

ゲスナー賞応募作品寄贈式典ご報告
明治大学へ目録を贈呈 明治大学より雄松堂への感謝状
明治大学へ目録を贈呈
明治大学より雄松堂書店への感謝状
ご来賓、関係者の方々 多くの皆様にご出席頂きました
ご来賓、関係者の方々
多くの皆様にご出席頂きました

明治大学学長の挨拶 紀田順一郎氏の挨拶 ゲスナー賞文庫開設記念展
明治大学学長、
納谷 廣美氏の挨拶
ゲスナー賞審査委員長、
紀田順一郎氏の挨拶
ゲスナー賞文庫開設記念展も
開催されていました。

75号 2009/08/18
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