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尾形明子(おがた あきこ)
東京生れ。文芸評論家。前東京女学館大学教授。
専門は日本近代文学。 |
【主な著書】
「女人芸術の世界ー長谷川時雨とその周辺」(1980 ドメス出版)
「輝クの時代ー長谷川時雨とその周辺」(1993 ドメス出版)
「田山花袋というカオス」(1998 沖積舎)
「自らを欺かずー泡鳴と清子の愛」(2001 筑摩書房)
「川・文学・風景」(2002 大東出版) 他 |
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「青鞜」や「女人芸術」からの連想もあって、<女性雑誌>といえば、女性の手による、女性のための雑誌というイメージが強かったのだが、実際は男性編集者によってつくられた女性雑誌のほうが多い。そしてもしも、雑誌を読むことの目的が、自分の知らない時代へのタイムスリップということにあるなら、女性たちだけの雑誌よりも、男性が女性のためにつくる雑誌の方がはるかに面白い。
女性の知的啓蒙をひたすら意図し、女性を<改造>しようと企んだ「女性改造」全24冊を通して、当時の男たちの意識のありよう、さらには男と女のありようが浮かび上がり、大正末期がこれまでとは異なる様相で、私の中に広がる。
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「女性改造」創刊号表紙
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「女性改造」は、1922(大正11)年10月に創刊され、有島武郎と波多野晶子の心中事件、関東大震災、大杉栄と伊藤野枝の虐殺事件、疲弊する農村特集――いくつかの大特集を組んで、2年後の1924(大正14)年11月、突如として廃刊となってしまった雑誌である。山本実彦によって1919(大正8)年4月に創刊された「改造」の姉妹誌であり、「中央公論」における「婦人公論」を意識したのだろう。
創刊号の表紙は、白地に黒文字で縦に女性改造とあり、上にエスペラント語で<VIRINA REKONSTRUD>と記され、「改造」と同じデザインである。
10月の「改造」に、次のような広告が載っている。
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時は来る!!「女性改造」生る。
行詰れる現代女性の新生命を創造する為め婦人雑誌「女性改造」は生誕す。
現実の浮薄と因習を打破するため我誌は勇敢に戦闘す。我女性よ!未来と、理想と、反省に生き深刻なる精神生活に生きよ。
汝の横取りされたるものは奮戦して取返せ。
取戻す勇気がなかつたら舌を喰ひ切つて潔く屍を曝せ。 |
なんとも勇ましい筆勢だが、「女性改造」創刊号の巻頭言「創造したる新生命」もすごい。
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「あなたがたが社会に新しく生る上に新しい巨星が発見されました。不当なる忍従を強ひられ、奴隷として待遇されつつある幾百万姉妹解放のために率直で、正義そのものである言論機関が生れました。本紙の信条は規矩に囚はれません、因習を打破するために新しく強く光る星です。」 |
高所から女性を啓蒙しようという意図は、鬱陶しくなくもないが、当時の4大女性雑誌といわれた「婦人公論」「主婦之友」「婦人画報」「婦人倶楽部」に比べるなら、まず「女性」という命名そのものが革新的である。男性に対する女性である。
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「日本婦人はお雛様の如く床のおきものであつた。纏足同様であつた。しかし私どもは今日から皆さんを世界人として見ます。男一人と女一人、そこにどこに変りがありませう。」 |
という(校正室にて)の文章とともに、文字通り<女性改造>の熱い意気込みが伝わってくる。奥付の編輯発行者・印刷者は「改造」と同じく平田貫一郎である。
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雑誌で一番面白いのは「編集後記」ではないかと、私は思っているが、「女性改造」もまた面白い。「校正室より(にて・だより)」と題された編集後記は、毎回強烈である。
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「いふまでもなく『女性改造』は単なる雑誌屋の所有ではなく、飽くまで、凝固した歴史の殻層を破つて、この屏息せんとする男性文化を救ひ、更に新しき生命によつて、光栄あるたか至高き文化を仰いで飛躍しようとする、勇ましき女性前衛隊のひとびと群団の所有でなければなりません。」(1巻2号)
「我が『女性改造』は我が婦人雑誌界の一大燈明となり、一大先覚となり、何雑誌も模倣し得ざる大胆なる道を悠々と闊歩したいのです。粉々たる雑誌は鎧袖一触です。眠れる獅子は醒めました。今後の本誌を刮目して下さい。」(2巻4号) |
等々毎号紹介したくなる。無記名であり、編集者の実体も定かではないが、編集室の熱気と気負いが浮かぶ。「改造」の編集者と重なっていたようである。
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「女性改造」2巻4号表紙
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それにしても「女性改造」とは、何という誌名なのか。第一次世界大戦後、世界中で「REKONSTRUO」というエスペラント語が流行する。分裂し崩壊した世界の秩序を立て直すには、「改造」を意味する人類共通語こそがふさわしかったのだろう。改造社という社名も、雑誌「改造」の発刊も時代の理想と要請だった。その雑誌の女性版として、女性も一緒に社会や政治の改造に向かおうということなのか。それならばわからなくはないが、編集者の情熱はどうやら「女性」そのものの「改造」を意図しているようである。
「女性」をどのように「改造」しようというのか。「改造 女性版」ではなく「女性改造」としたところに、進歩的インテリと呼ばれる男たちの、女性に対する意識が透けて見える。「女性改造」の評論の多くはラディカルな自由主義に満ちていて、「女性改造」が目指したものが、女性の地位向上であり、法を含めた政治・社会機構の改造であることは想像がつく。平林初之輔、厨川白村、長谷川如是閑、室伏高信,賀川豊彦、原田実等々、毎号、高いレベルの論攻が展開されていた。
その意味では、1920年代のはじめ、「女性改造」の編集者ばかりか、これだけ多くの男性評論家や学者が、男女平等をモットーに、リベラルな視点で発言しつづけていたことは、新鮮な驚きだった。もっとも多くは
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「自分を見出すことの出来ぬ女性には自由も、解放も永遠に訪れて来ないでせう」(1巻2号巻頭言) |
というような、上段からの物言いだったり、噛んで含めるような文章だったりもしたが、かなり自由な言論の時代が、大震災の前に、蜃気楼のようにあったことが思われる。
ここには、明治期とは明らかに異なった男たちがいる。立身出世を至上命題とした男の論理は、<明治>とともに消えてしまったようだ。妊娠したエリスを捨てて帰国した森鴎外「舞姫」の主人公・太田豊太郎とは対極の<新しい男たち>の出現でもあった。
第1巻2号の加藤一夫の長詩「乱舞する焔」は、裏切った妻への未練を切々と描き、「校正室から」では、編集者が「唯一読しただけで涙がこぼれます。われ等はかく真実の詩を喜ぶ」と書く。1巻3号の北川千代「結婚の幻滅」は、「改造」11月号に発表された江口渙の「結婚生活分裂の後」への反論であり、「改造」と「女性改造」が、ここまで江口渙、北川千代の離婚騒動を煽っていることにびっくりする。
しかし、くだくだしく書き続ける江口渙や弱々しくわが身をさらす加藤一夫こそ、まさに<大正の男>だった。<明治の男たち>とも、やがて国家の大義のもとに戦争に組み入れられていった<昭和の男たち>とも、明らかに異なる、ジェンダーフリーの男たちであり、彼らは「それから」の主人公長井代助の延長上にいる。 |
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残念ながら「女性改造」掲載の文学作品は、文学史に残る作品をきら星の如く発表していた「改造」とは比較にならない。評論家や学者、編集者が抱いていた時代や社会を改造しようという情熱も意思も、作家からは感じられない。明確な意思や理想のもとに、社会・政治・法・(女性まで!)の改造を掲げ、主張することはできたにしても、心の奥に張り付いた時代の価値観を変えることは難かったのだろう。
3巻3号(1924年3月)に、「女性改造の夕」と題し、「家庭に於ける文芸書の選択に就いて」の座談会が特集される。「婦人雑誌」をめぐって千葉亀雄が「どうも作家も婦人雑誌に書くとなると、一般に調子を下げて書くやうです。それだけセンチメンタルになりますね。殊によく売れる雑誌等は、惨酷なほど調子をさげてあります」と発言し、与謝野晶子も「私は以前から婦人雑誌と云ふものゝ必要を認めない一人です。男も女も同じ程度の物を読むが宜しい。読むやうにならなければ、女はいつまでも二次的存在者の地位に停滞します」と言い切っている。
「女性改造」のハイライトは大正12年の2巻8号、10号、11号である。
8号は、表紙に有島武郎の顔写真を載せ、「有島武郎氏追悼号」と記されている。「運命の殉教者」「時代の犠牲者」「死の賛美及び憧れ」等々の大仰な言葉が並び、どのように判断したらいいのかわからない混乱が伝わってくる。波多野秋子の側から、友人の石本静枝が、1000人を越す有島の葬儀の一方で、骨壷の横に線香1本とコップに入った花一輪という、あまりに淋しい波多野家の様子を伝え、「『不貞』の女の死はかくもつれなく払われねばならないのでせうか」と書いている。
改造社からの特派員としてヨーロッパにいた大橋房子(後のささきふさ)が、「テマの解けた気持」(大正13年4月号)を載せる。「学生時代からの唯一の同性の友」秋子と「パパサマ」と呼んで慕っていた有島の心中をロンドンで知ったショックから始まり、そこに至る二人の運命を、おそらくは同じような恋愛の苦悩の中にいた自らを重ねて解き明かした、貴重な記録となっている。
10号は、<大震災特集号>である。首の落ちた上野大仏の写真を表紙に、34ページの口絵写真が入り、リアルタイムで辿る東京の崩壊の凄まじさにあらためて息をのむ。11号の「女性改造」の表紙は、焼跡に立つビラだらけの電信柱の下で、それでも笑みを浮かべながら物を売る菅笠の若い女性の写真である。この号は、どこにも記されてはいないが、伊藤野枝の追悼号ともなっている。
野上弥生子「野枝さんのこと」は、染井に住んでいた頃の親密な交友が語られ、「可愛い女」だった野枝の本質を浮かび上がらせる。「7年前の恋の往復」は、大杉栄と野枝との間で交された書簡であり、ふたりの最後の写真が掲げられている。
圧巻は野枝の遺稿「或る男の堕落」であろう。「女性改造」文芸欄に載った女性作家による初めての本格的な小説でもある。
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「女性改造」2巻10号表紙
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「女性改造」2巻11号表紙
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※女性改造の廃刊についてご指摘下さいました高山様、お手数ですがご一報いただけましたらと存じます。
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「女性改造」は1924年(大正13年)11月号(3巻11号)をもって廃刊となる。気配も予告も弁明もない。関東大震災の痛手から立ち直れなかったということなのだろうか。3巻各号の編集後記を追うと、それぞれにかなりのブレがあり、編集方針が定まらなかったことがわかる。読者拡大を図り、「主婦之友」ふうな家庭欄を試みたり、そうかと思うと「改造」6号に、折込みで「『女性改造』の大飛躍」と題した広告を入れる。
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「『女性改造』は七月号より内容を全然一新します。そして我国唯一の高級雑誌として、学術、文芸、宗教方面に特に意を用ゐます。」「而し本誌は男子の読者にあまり好意を持ちません。願くは『女性改造』は女性のみの雑誌であるやうに今後は編集します。」 |
と宣言したりもする。その6号の「女性改造」編集後記には、「本誌の程度を引下げて幾万の読者を得やうより、却つて程度を引上ぐることとしました。堅実なる我が母性の創造にまたねば我国の前途は危ないものです」とし、「女性改造」の目的を「多難多事の国に生れて、そしてその多事多難を切り抜くべき有為の男児の母となるべき」女性の啓蒙とする、など編集者自身もだいぶ混乱しているようである。
しかしながら、試行錯誤は伝わってくるものの、3巻は充実している。3号の特集「文壇名家の夫人印象記」「文豪の家庭生活を追懐して」は、作家の側面を今に伝え興味尽きない。3号から芥川龍之介の文学論「僻眼」連載が始まる。「赤光」の連作にゴッホの太陽の絵を重ねて論じた斎藤茂吉論はすばらしい。柳原白蓮「鳳凰天に搏つ」の連載も始まる。自らの意志を持って、宮中での地位と力を手にしていく、則天武后の生涯が描かれ、スキャンダラスなイメージを越えたひとりの作家の誕生を見る。
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「改造」
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特記すべきものとして、与謝野晶子論(7月)、山川菊栄論(8月)、中条百合子論(9月)、野上弥生子論(10月)の特集がある。同時代の親交のある作家や評論家による人物月旦であるが、作家論としても本質をついていて今に通じる。
さらに3巻は表紙が実に美しい。藤島武二、有島生馬、竹下夢二、埴原久和代、木村荘八、安井曾太郎によって、華やかな季節の花が描かれてる。創刊号からカラー刷りの口絵が挿入され、ボッチェリー、ルノアール、ウイリアム・ブレーク、岸田劉生、梅原龍三郎、山下新太郎、正宗得三郎等々が紹介されてきた。
それにしても、表紙裏にほぼ毎回「良品廉価ハリキン石鹸」や「イージーおしめ 大和ゴム製作所」等の一ページ広告が出ているのは、何ともちぐはぐである。単行本の広告は「改造」と共通だから、女性読者を意識したのだろう。が、廉価な石鹸を使う階層や育児に追われる貧しい若い母親は、「女性改造」のイメージからはずれる。読者を絞り込む事の出来なかった編集方針が、突然の廃刊につながったのだろう、と思う。
もはや女性を改造するしか新しい時代の到来はない、生真面目に誠実に試行錯誤を繰返していた編集者たちの情熱を、どこかドンキホーテーの見果てぬ夢のように思うのは、まもなくやって来る酷薄な昭和の時代を、私たち自身がよく知っているからであろう。
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関連資料
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