Pinus_logo Pinus_logo Pinus_logo
雄松堂Net Pinus 77>天理ときりしたん資料

Net Pinus 77号
YUSHODO FORUM 2009 PART II
2010/01/06

天理ときりしたん資料

東馬場郁生(ひがしばば いくお)氏
天理大学外国語学部英米学科卒業 。現在、天理大学国際文化学部教授

はじめに

【今日は、講演全体の流れをレジメに、また、話の中で補助的な内容をパワーポイント映像として用意した。また、これからの話は、普段図書館を利用する研究者の立場からの話であることを最初にお断りしておきたい。】

天理図書館蔵書は、現在、蔵書数約200万冊。4分の3が和漢書、残りが洋書であり、国宝6点、重要文化財84点がふくまれている。豊かな蔵書のなかでも、東西文化交渉史、カトリック東洋伝道史、古きりしたん文献、さらには近代のかくれきりしんたん文献までをも含む。これら一群のきりしたん関係資料は、質量ともに極めて充実している。その中に思わず息をのむほどの、質量ともに圧倒的なオリジナル資料がある。圧巻は8種10点の「きりしたん版」である。

これはきりしたん専門家の間では有名であるが、一般的にはキリスト者にさえほとんど知られていない。天理図書館の資料を紹介すると、「なぜ天理にそれほどのきりしたん資料があるのか」と聞かれることがある。

そこで、本日は、まず、天理にきりしたん資料が集まった理由を、天理図書館創設者、中山正善の思いを中心に紹介したい。また、天理図書館は、初版、原本など豊富なオリジナル資料の蒐集でよく知られている。きりしたん資料を通して、創設者のオリジナルへの関心について述べ、さらに研究者のために行われてきた複製本作製の意義についても話したい。後半では、「きりしたん版」コレクションの中から、『おらしよの飜譯』をとりあげ、比較宗教の角度からその意味を考察する。最後に、「心をつなぐ」をキーワードに、天理のきりしたん資料が今日果たす役割の一端を考えてみたい。

なぜ天理にきりしたん資料か

きりしたん資料の収集は、天理図書館創設者、中山正善によって始められ、積極的に推進された。彼は、天理教を統率する「真柱」という地位の二代目にあたり、生前はもとより、没後50年近い今日でも、天理教以外の人々からも「二代真柱」と呼ばれることが多い。彼の立場、人となりを最もよく表わしていると思われるので、ここでも天理図書館創設者を指して「二代真柱」という表現を用いたい。

【きりしたんへ】

二代真柱がきりしたん資料を蒐集した背景として、まず、彼の東京帝国大学時代の恩師、姉崎正治教授の影響がある。姉崎は、日本における宗教学の礎を築いた学者として、また文人としても有名だが、きりしたん研究においても、『切支丹宗門の迫害と潜伏』(1925年)から『切支丹宗教文学』(1932年)にいたる、いわゆる「きりしたん五部作」の著者として、不朽の業績を残している。

二代真柱が大学に入り、姉崎に師事したのは、1926年から1929年の間であるので、姉崎のきりしたん五部作出版の只中にあたる。また姉崎は、その時期、東京帝大図書館の館長もつとめていた(1923−1934)。このことは、のちに、姉崎が終生、天理図書館の運営、とくに蒐書に関して意見を寄せることにつながった。これは、長年京都大学図書館長をつとめ、きりしたん版に同様に強い関心をよせていた新村出博士にも言えることだった(「天理図書館蔵 きりしたん版集成 解説」、3頁)

二代真柱は、「私のはいったころは、(姉崎)先生はキリシタンの研究に没頭しておられまして、カトリックの思想を異国人である日本へ伝えるときの、いろんなトラブル、あるいは苦心というのが主になっていましたから、そういうようなものが知らず識らずの内に私に影響があったろうと思います」と語っている(中山正善『六十年の道草』、34頁)。

天理図書館と天理外国語学校
(1)天理図書館(中央下)と天理外国語学校、東側上空より 1930年
天理図書館と天理外国語学校
(2)天理図書館(左上)と天理外国語学校、西南上空より 1937年
現 天理大学キャンパス
(3)現在の天理図書館と
天理大学キャンパス

二代真柱がこのように姉崎の研究に関心を持った背景には、当時、活発化していた天理教の海外伝道があった。1925年には、海外布教師の養成を目的に、今の天理大学の前身天理外国語学校が創設されていた。この外国語学校を創立し、海外布教の先頭にたったのが、天理教を統率する管長に就任したばかりの二代真柱であった。長い異文化布教の伝統をもつキリスト教を研究し、天理教の海外伝道の参考としたいという思いがあった。こうして、キリスト教の東洋伝道資料が外国語学校図書館に集められるようになった。

以上の消息を伝える言葉として、この二代真柱の文章を引用したい。

こゝの学校、つまり外国布教という点から布教者を養成する学校の生徒を対象におく。そのための参考図書館とするのが目的で、その意図から本を集めてゆく。経営をやってゆく。そこでカトリックの人たちの移民と布教の記録、これに先ず興味をもった。ことに語学校の生徒がこれらの布教経験を読むことに意義があると考えた。同時に一面僕プロパーの性格から、布教ということに特別興味をもっていた関係からみて、この方面に進展さすことになった。(「天理図書館二十五年の回顧と将来を語る」『ビブリア』5、9頁、『天理図書館四十年史』18頁に引用)

先に述べた天理外国語学校の付属図書館としての揺籃期を経て、現在の天理図書館が竣工したのは、1930年のことである。中央が図書館、その上が外国語学校(1)。図書館中央の三角屋根部分(雨漏り対策)の下が書庫になっている。

昭和38年(1963年)東側に書庫が増築される。現在、周辺には、天理大学関係施設が立ち、キャンパスの一部となっている。(3)

フォペル地球儀 大砲 ティセラの日本図
(4)フォペル地球儀(ケルン、1536年)−天理大学附属天理図書館蔵−
(5)マードレ・デ・デウス号大砲−天理大学附属天理図書館蔵−
(6)ティセラ日本図 [部分 オルテリウス地図帳『世界の舞台』1595年版収録](アントワープ、1595年)−天理大学附属天理図書館蔵−

【天理図書館にはこんなものまで】

左から、世界で2番目に古いといわれているフォペルの地球儀(4)。近世初頭、大航海時代の産物。天理図書館には、これを含め約20の16−18世紀の地球儀が所蔵されている。当時考えられていた世界の様子がわかり興味深い。中央が、慶長14年(1609年)、長崎港で有馬晴信家臣団の報復攻撃をうけ、自爆自沈したポルトガル船マードレ・デ・デウス号の大砲(5)。この事件がきっかけとなり徳川幕府によるきりしたん禁令が出される。右が、ポルトガルのイエズス会士ティセラの日本図(6)。400年以上前に書かれたこの地図は、緯度経度が数度の誤差しかないという。多くの印刷物の表紙などに使われる人気の地図。

【オリジナルへ】

きりしたん時代の内外の書物は、徳川期の殲滅政策の影響もあって数が少なく、天理図書館所蔵の書物も「稀覯本」と称される珍しいものになっている。天理図書館において、写真版、翻刻版、復刻版ではなく「オリジナル」をもとめる姿勢は、蒐集の初期からあった。

原本や初版を見ることが大切であると思ったきっかけとして、二代真柱は、1929年に出版された天理教の原典(聖典)『おふでさき』を増版する過程で生じたできごとをしばしば語っている。

それによると、『おふでさき』の増版にあたり、万全を期して、新たに活字をひろって版を組むのでなく、原本を写真にとって版を作ろうとした。写真なのでまったく同じものができるはずが、できあがりをみると歌の番号が一部、左右逆の順番に打ってあった。原因を調べると、その部分だけ、職人が活字組みから作り直していて、その際順序を間違えていたという。その時の印象について、二代真柱は、写真なので間違いないという思いから、「不思議というか神秘的というか実に奇妙な感にうたれた」と語っている(中山正善『六十年の道草』、17頁)。二代真柱はこれを「人の手が通れば通るほど、そういう風な期し難いようなミステイクというものがどうしても起こりうるものだ」という教訓とし、本物に対する関心が深められていったと述べている(中山正善『六十年の道草』、38頁)。

また、二代真柱は、別の視点から、オリジナルのもつ価値を「徳」という興味深い表現を用いて語っている。

【オリジナルの「徳」】

古いものは、それが出現した時の苦労というものは、何かこう言うと少し神秘的な感じになりますが、知らず識らずの間に滲み出ているような感じがしますね。ですから、内容が何であるかということを見ることも肝腎でしょうが、その内容だけでなしに、姿をみるだけで・・・

紙一つにしても、現代の紙というものは、実にた易く手にはいりますが、昔の紙は、貴重品であったに違いないのですから、・・・印刷している本というものの価値というものは、おそらく今の人の考えている以上の何かがある。

それが、また時代を通じて残っていきたというものには、因縁、因縁といえばおかしいが、それだけその本に徳があったんじゃあないか。それだけ私たちに教えてくれる何かが多いんじゃないかと思っています。(昭和40年、2月12日、NHK第二放送「教養特集」番組)(『六十年の道草』49−50頁)

きりしたん版など貴重書のオリジナルが、見る人を圧倒するよう迫力を持つことは、経験のある方々なら首肯されるのではないだろうか。オリジナルは、内容のみならず、その在りように「徳」がある。独特の存在観がある。それ独自の「美しさ」があると言ってもよいだろう。その「徳」、その「美しさ」は、それがオリジナルであるがゆえに、「変わらない」、「動かない」ことと大きく関係しているに違いないだろう。

【資料の公開と複製版の作成】

オリジナルが、書物の内容を最終的に正確に知るために不可欠であることは、研究者の立場から痛感されるところだ。「きりしたん」など古文献を扱う分野での研究者のアプローチを考えると、学生や経験の浅い研究者が最初から古資料を読みこなすのは難しく、翻刻されたものを手にすることが多い。国字きりしたん資料であれば、有名な日本思想体系25『キリシタン書 排耶蘇書』や、キリシタン研究シリーズの翻刻本などが好例だ。

しかし、翻刻版の表記は、翻刻者によって変わることがある。その場合、それを読む研究者の多くは、いずれかの翻刻に妥協するか、あるいは、せいぜい表現の違いがあることを注記する程度であろうが、関心の強い研究者であれば、「オリジナルはどうか」と尋ねる。

しかし、相手は貴重書だ。本の保存の上からも、そう簡単にオリジナルを閲覧できないことは、研究者であれば、その価値がわかればわかるほど、理解できる。せめて、セカンドベストとして、オリジナルとは同じではないが、限りなく近いと思われる写真版があれば、と思うのは当然である(普通、先に紹介した二代真柱の経験したようなことは想定していない)。天理図書館はそれに応えた。昭和46年に始まった、貴重書の印影複製版シリーズ、天理図書館善本叢書の刊行だ。

【「天理図書館 善本叢書」:刊行の主旨】

天理図書館は、今を去るおよそ半世紀前、本教が図書文献類の蒐集をとおして、人を育て、道をひろめ、世界文化に貢献することを旨として創設された。 (中略)

この図書館は、本教初代真柱のもとに発想され、二代真柱によって大成し、現真柱に受け継がれた。これら三代の示教―蒐集、善用、保存―にしたがい、ここに和漢洋の複製シリーズを刊行し、江湖に送るものである。

これまでにシリーズで和漢書80巻、漢籍12巻が発行されており、きりしたん版(国字本)も、38『きりしたん版集一』(1976)、49『きりしたん版集二』(1979)として含まれている。さらに、よりオリジナルに近い原装影印版として、『天理図書館蔵きりしたん版集成』(1976)もある。ここでは、原装影印版をいくつか紹介する。

きりしたん版集成 3冊
きりしたん版集成 3冊
左より:『ぎやどぺかどる』(上巻);
『こんてむつすむん地』;
『おらしよの飜譯』
きりしたん版集成 2冊
きりしたん版集成 2冊
左より、『太平記抜書』
『ぎやどぺかどる』(下巻)
国字本「きりしたん版」複製本
原装影印版『天理図書館蔵きりしたん版集成』
『ぎやどぺかどる』(下巻)は、原装影印版作成に当たり、ローマ・イエズス会本部文書館所蔵本の使用を許されたもの。

「おらしよの翻訳」表紙
『おらしよの飜譯』表紙
ケースから取り出すと、オリジナルを再現したデザインの表紙がでてくる。
「おらしよの翻訳」内部
『おらしよの飜譯』
「くるすのもん」と「ぱあてるなうすてる」が見える。

収蔵する貴重書の複製を作り研究に寄与する天理図書館の姿勢は、海外資料も同様である。洋書複製版は、「クラシカ・ヤポニカ」CLASSICA JAPONICA(天理図書館善本叢書洋書之部)のシリーズに収められ、現在まで11期にわたり、48点が刊行されている。きりしたんに関するものは14点数えることができる。その一部を紹介しよう。

クラシカ・ヤポニカ 6冊
クラシカ・ヤポニカ 6冊
クラシカ・ヤポニカCLASSICA JAPONICA(天理図書館善本叢書洋書之部)シリーズ
きりしたん関係資料複製本(一部)
左より
イエズス会士日本通信 エボラ 1598
1622年日本殉教記 手書本 グチェレス
カテキズモ ウァリニャーノ リスボン 1586
ザビエル聖人伝 トルセリニ ロ-マ 1594
日本遣欧使節記 グワルチェリ ロ-マ 1586
日本諸島実記 キサトゥス フライブルク 1586
イエズス会日本書簡集 表紙見開き
イエズス会日本書簡集 見開き

これらは、主にきりしたん伝道に関する宣教師側の資料で、宣教師の思想と動向を伝える書簡、報告書などを含んでいる。天理図書館には、合計2000冊以上の古洋書のオリジナル伝道資料があり、「よろづよ文庫」として整理されている。昭和初期以降、欧州資料の邦訳事業が進められてきたが、その際、天理図書館の資料が原書テキストに使用された場合が少なくない。

「善用」を目的にした資料の公開は、利用者の立場からは大変ありがたいことだ。むろん、複製本が作成されても、オリジナルの存在価値が薄れることはないだろう。あくまでも公開目的、研究目的の複製本である。オリジナルに忠実に印影複写されたものも、光線の当て具合で、印影がかすむこともあるかもしれないといわれる。複製によって、中身の変わらない、動かないオリジナルの価値は寸分も軽んじられるどころが、逆にその重みが増してくるようにされ思われる。また、貴重なオリジナルであるほどその複製本が求められることを考えるなら、オリジナルと複製の双方が互いの存在意義を高めているように思われるのだ。

天理図書館のきりしたん資料

現在天理図書館に収蔵されている数々のきりしたん関係資料、そのなかで特筆すべきは、やはり、先ほどから何度も触れている「きりしたん版」である。1549年、イエズス会士ザビエルの来航以降きりしたん信仰は発展を続け、17世紀はじめには、信徒数30万人を超えたといわれる。同修道会の東インド巡察師ヴァリニャーノは、1590年、ヨーロッパから一台の活版印刷機を持ち込んだ。その目的は、膨大な書物を手書きで複写する宣教師たちの負担を軽減することや、日本人信者のために教化用書物を印刷することだったという。一般に、イエズス会が主としてこの印刷機を用いて印刷した日本国内での出版物を「きりしたん版」と呼ぶ。印刷は、きりしたん禁令によって停止されるまで約20年間続けられ、この間合計約100種の本が印刷されたとされるが、現存するのは30余種にすぎない。

そのうち、天理図書館は国字本6種8点(2点の断簡を含む)、海外印刷を含むラテン語本2点を含むと8種10点を所蔵している。オレンジ色6点が国字本。赤字が世界で天理図書館にのみ存在する「天下の孤本」であることを示す。一番下の断簡2点を含む国字資料(6種8点)すべてが重要文化財に指定されている。

1. 『遣欧使節対話集』(ラテン文)(1590年、マカオ)
2. 『ばうちずものさづけよう』(天草、文禄2[1593]年頃、病者の告解、洗礼手引書)孤本
3. 『精神修養の提要』(ラテン文)(天草、1596年)
4. 『落葉集』(長崎、慶長3[1598]年、日本語学習用辞書)
5. 『ぎやどぺかどる』上巻(長崎、慶長4[1599]年、ルイス・デ・グラナダ「罪人の導き」ポルトガル版からの抄訳)
6. 『おらしよの飜譯』(長崎、慶長5[1600]年、祈り・教義書)孤本
7. 『こんてむつすむん地』(京都、慶長15[1610]年、トマス・ア・ケンピ「キリストに倣ひて」の抄訳)孤本
8. 『太平記抜書』6冊(長崎、慶長年間、日本語教科書、流布本「太平記」から抜粋編集)孤本
9. 「落葉集断簡」
10. 「太平記抜書断簡」

国字本6点を簡単にみていこう。

『ばうちずもの授けやう』
『ばうちずもの授けやう』
ばうちずもの授けやう』1冊 孤本、重文。 文禄2(1593)年頃、天草で刊行か。

臨終の人に告解をすすめ、洗礼の仕方を説明したキリスト教の信仰手引書。表紙、扉紙失い、書名、刊行年、刊行地不明。巻初の言葉をとって名称とされる。

『落葉集』
『落葉集』
落葉集』 1冊 重文。慶長3(1598)年、長崎、イエズス会日本学林刊。

日本語学習用に編集された字書。音訓から字形をもとめる前編、字形から音訓を求める後編からなる。漢字・熟字の両側に、当時の発音による音訓を記す。わが国最初の半濁音(ぱぴぷぺぽ等)活字を用いた印刷本。塾字数は前編だけで、約12,000字。当時のことばを伝える貴重な資料。

『ぎやどぺかどる』
『ぎやどぺかどる』
ぎやどぺかどる』上巻1冊 重文。慶長4(1599)年、長崎、イエズス会日本学林刊。

スペインの高僧ルイス・デ・グラナダ(1505−1588)の名著「罪人の導き」の1573年刊ポルトガル語訳よりの抄訳本。信仰修養書。きりしたん文学最高傑作とも称される。

『おらしよの飜譯』
『おらしよの飜譯』
おらしよの飜譯』1冊 孤本、重文。慶長5(1600)年、長崎、後藤登明宗因活版所刊。

きりしたんとして信仰生活に必要な祈りとともに、きりしたん教理の要点を集録したもの。祈りの言葉には、和文付ラテン文、ラテン文のみ、和文のみ、の3種類ある。

『こんてむつすむん地』
『こんてむつすむん地』
『こんてむつすむん地』1冊 孤本、重文。慶長15(1610)年、京都、原田アントニオ印刷所。

トーマス・ア・ケンピ著の古典的信心、修徳書「キリストに倣ひて」を翻訳したローマ字本きりしたん版から、抜粋、国字表記したもの現存(げんそん)きりしたん版30余種のなかで、唯一の京都版。

『太平記抜書』
『太平記抜書』
『太平記抜書』6冊 重文。慶長年間、長崎で刊行か。

日本語、日本史の教科書として、流布本「太平記」より抜粋、6巻6冊に編集されたもの。第1巻の扉紙が失われており、刊行年、刊行地は不明。抜粋に関しては、キリスト教的立場からの改編の形跡があり、独自のきりしたん文学として評価するべきか。

「きりしたん版 おらしよの飜譯」をひもとく

きりしたん版『おらしよの翻訳』を繙く
きりしたん版『おらしよの翻訳』

さて、これまできりしたん版の研究といえば、書物の成り立ち、形式、文字等に注目した書誌学的研究、また内容の面からは、キリスト教神学ないし文学の枠組みの中で捉えられることが多いといえよう。ここでは、比較宗教の立場、つまり対象となる宗教現象を、中立的価値観から比較検討し、その独自性と普遍性の意味を考えるという視座から考えたい。そのために、まず、きりしたん版、とりわけ国字本きりしたん版とは、日本で生まれ、日本においてその宗教的役割を果たしたという事実に改めて注目する。

そこで、今日紹介した6点のきりしたん版を眺めると、『おらしよの飜譯』が興味を引く。なぜなら、この本が刊行された「きりしたん時代」にかぎらず、それ以降の「潜伏時代」から、現代の「かくれきりしたん時代」まで、そこに記されたおらしよ(きりしたんの祈り)の大半が引き継がれ唱えられてきたからである。日本の社会において、徳川時代の長い過酷な弾圧を通り抜け、400年以上、それ独自の役割を途切れることなく果たしてきた。『おらしよの飜譯』の姿はまさに、この400年の厳しく深い時間を表わしている。修復されて色は薄くなっているが、見開き全ページにわたりに墨でバツ(×)印が大きく書かれていて、検閲の跡をうかがわせる書物だ。

おらしよについて、当時のきりしたん書は、「我等が念を天に通じ、御主でうすに申上る望みをかなへ玉ふ道、橋」と教えている(『どちりいな・きりしたん』、26頁)。おらしよとは、「神の臨在の意識を前提に出発して」おり、「人間は神の偉大さを認め、神への全面的な依存を認めて典礼という行為に導かれる」といわれるところだ(尾原悟編、『きりしたんのおらしよ』262−263頁)。

しかし、宣教師の報告によれば、すでにきりしたん時代に多く信仰者が「おらしよ」を、このようなキリスト教の深い神観念に基づいてだけでなく、ことばそれ自体、あるいは祈りの行為それ自体がもつ宗教的力、神秘的力(仏教語から、功力と呼ばれた)を信じて、その力をさまざまな目的に使っていた。

おらしよに対し日本人が抱いた神秘的イメージは、ラテン語でとなえられた場合にさらに高められたであろう。当時、ラテン語の祈りは「経文の唱え」と説明されているが、仏僧の読経や修験者の呪文からの類推によって、ラテン語のおらしよが特別な神秘的力を持っていると、一般信者が理解したとしても不思議ではない。『おらしよの飜譯』では、ラテン文の祈り言葉は全て和文訳が付されていて、日本語でおこなうことも許されていた。しかし、後世の潜伏きりしたんの資料から、日本人信徒がいくつかのおらしよを、すでにきりしたん時代からあえてラテン語だけで唱え、後世に伝えていたことが分かる。それは、ラテン語の響きの神秘さにより大きな宗教的力を感じたとしか考えられない。

ならば、きりしたんにとって、そもそもおらしよとは何だったのか。宗教的、神秘的力をもつと信じられたおらしよが果たした役割はなにか。ラテン文、日本文のおらしよが後世どのように継承されたかを見ることで、何かヒントはないだろうか。

具体例を見てみよう。『おらしよの飜譯』には「あべまりや」(「聖母マリアへの祈り」)がラテン文、和文訳で掲載されている。

「あべまりやのおらしよ」ラテン文、和文訳
「あべまりやのおらしよ」
ラテン文、和文訳

『おらしよの飜譯』(二ウ)

あべ まりや がらしや ぺれな ○ だうみすぬす てゑくん べ [ね] ぢた つういん [む] りゑりぶす ○ ゑつ べねぢつす ふるつす べんちりす つうい ○ ぜずゝ さんた まりや まあてるでい ○ おら ぽろ なうびす ぺかたうりぶす ○ ぬんく ゑつ いん おら も[る] ちす なうすてれ ○ あめん

○がらさみち・・給ふまりやに御礼をなし奉る
○御あ[る]じは御身とともにまします
○女人の中にをひてわきて御くはほういみしきなり
○又御たいないの御[身]にてましますぜず[ゝ]は
○たつとくまします
○D[の]オンはゝさんた まりや
○いまも我等がさいごにも
○われら悪人のため[に]たのみたまへ あめん

それぞれにどのように継承されてきたのか、比較対比しながらみてみよう。

潜伏きりしたんの記録「天草古キリシタン資料」によると、天草の大江村で1801年に発見された潜伏きりしたんは、ラテン文の「あべまりや」を受け継いでいた。

天草 大江村、市蔵 

文化2年(1805年)天草キリシタン資料「大江村宗門心得違之者御吟味日記」

(ラテン文)「あべまるや。やァかァさァべん。なァとうまんで、ゑれむれ・・ゑれすべれんつう。ふつつう。べんちりつうせのぜんつうの三太丸や。やまてる・・うらべすのふべす。とかィゑ。のミきり。ゑのつく。おやまのつく。のふつく。あんめんじんすまるやさま。」(『天草古切支丹資料(一)』九州資料刊行会編、1959年)、92頁)

これは、彼らがきりしたん信仰を隠すために行っていた仏式葬儀で唱えられた経文の効力を消すためのものであった。葬儀のあと、信者たちは密かにきりしたんの葬儀をおこなった。そのとき彼らは、「あべまりや」を唱えて仏教の経の唱えを相殺し、きりしたんの祈りの力で死者の霊を守ろうとしたのである。

市蔵のラテン文のおらしよは元のものとは相当異なっているが、それは本人にとって問題はなかったに違いない。もとより、それは本人には知りようがないことであった。彼にとって大切なことは、そのラテン文の祈りの言葉が指し示す深いキリスト教の教えよりもむしろ、祈りの行為それ自体に含まれる、経消しの神秘的な力(くりき)であったと考えてよいだろう。

潜伏期には、ラテン文ではなく、和文の「あべまりや」を伝承したきりしたん集団もあった。その一部は、現代「かくれきりしたん」と称される子孫に継承されている。まず、昭和20年代に採録されたものを紹介する。

まりやがらつさ導き給うまりやに御禮をなし奉る

御なるじは御身と共にましませば四人の中に於いて、あけてごはこはよにしきない

又御體内は御身にてまします

じぞーすはたーとくにてましますれーすの御母さんたまりや、今我等はさいぎよにて、我等悪人の為に頼み給いや、あんめいぞうすまりや(昭和27年生月島資料「舊キリスタン御言葉集」、4頁)

ラテン語のおらしよに対して、日本語のそれは、はるかに正確に伝承されていたようである。漢字まじりで表意的であるが、記録者の理解が漢字などの表記法に表れていることを考慮しなければならない。多くの部分で、おらしよの教理的意味の脱落は明らかである。続いて、9年前に発表されたものを紹介する。

まりや、がらっさ、みちみちたもう、まりや、おんみに、おんれいをなしたてまつりておんならじは、おんびととともに、かわします。

よにんのなかに、おいては、あけても、かをよにしきなり、またごたいないは、おんみてまします、でうすのおんはは、さんたまりや、われらは、これがさいごにて、われらは、あくにんなれば、つつしんで、たまう、たまいや。あんめーずす。(平成12年「ガラッサ みちみち」:「生月島 山田のオラショ一座」)

今日の生月では、30近くのおらしよが40分ほどかけて一気に唱えられる「一通りのおらしよ」と呼ばれるものがあり、宮崎賢太郎教授によれば、それは、カトリック起源のものを含め、農耕行事、先祖供養など種々の恒例行事で、行事の中核として唱えられるという。

「あべまりや」もそれに含まれる。ほかに、単独で用いられるものとしては、かつて臨終のときや出征兵士を送るときに、あべまりやを1000回唱える「お千べん」と呼ばれるものがあったらしい(『カクレキリシタンの信仰世界』、90頁)。この死者を送ることは、潜伏時代の「経消し」と場面的につながるとも思われる。また、これまで和文に現れた「我等がさいご(さいぎょ)」とはもともと「死去のとき」を意味するので、きりしたん時代から、「あべまりや」は唱える言語にかかわらず、死去に関する場面で唱えられていたと言えるかもしれない。

おらしよ全体に目を向けると、宮崎の表現を借りるならば、今日、「日本文のオラショはその意味を理解しようと努力すれば可能であるにもかかわらず、まったくその努力ははなされていないといってよい。(中略)ラテン文のオラショはまさに呪文」である(『カクレキリシタンの信仰世界』、85頁)。つまり、語句が比較的正確に維持されている日本文のおらしよでさえ、その内容が理解されているわけではないということだ。ただここにおいて強調したいのは、にもかかわれず、彼らはそれを唱えている事実である。内容が分からないのであればおらしよを唱えることに意味がないのではなく、なぜそれを行うのか問うことが必要であろう。そこに、きりしたんにとっての「おらしよ」の意味が立ち現れると思う。

三つの時代を通じて、「おらしよ」は、それぞれの時代において、独自の宗教的価値をもって継承されたことを指摘したい。あるときは「経消し」として、あるときは農耕行事の一部として、またある時は、池の水が流れるためにおらしよが唱えられることもあった。彼らが守ってきたおらしよの意味は、キリスト教教義で定義される祈りとは全く同じではないかもしれないが、だから純粋ではない、無価値だというのではなく、他にはない独自の(sui generis)役割をもって、きりしたんの信仰生活をその根幹において支えてきたことを強調したい。この意味で、きりしたんには、キリスト教教義において定義される「祈り」とは連続しながらも区別されうる独自の実践として「おらしよ」が存在したのであり、その独自性を明確にするためにも、「祈り」というより、「おらしよ」と呼び続けることが相応しいのかもしれない。純粋教義の高見からのみ判断するのではなく、それを実際に実践している人々の視線にたち、彼らにとっての「おらしよ」の意義を見出していくことが、宗教学的には大切になる。

日本の宗教史において、16世紀半ばから今日まで唯一連続しているキリスト教的伝統は、この「おらしよ」を実践するきりしたんの伝統である。そして、書物としてそれを最もよく象徴するのが、『おらしよの飜譯』にほかならない。

心をつないで

きりしたん資料は、宗教の別をいうのであれば、キリスト教伝道資料に他ならない。天理において他宗教の資料を収集、保管するだけではなく、その複製を作成して積極的に公開することで世界中の研究者に寄与し、また研究をおこなうこの事業が、今日のように宗教間対話や宗教の協調、相互理解が謳われるはるか以前、80年近くも前に始められたことは注目に値する。キリスト教伝道資料を、単なる書物としてではなく、それを著した人、学んだ人、迫害下にそれを守った人など多くの人々の心の軌跡が刻まれたものとして、宗教の違いを超えた人類の遺産として、まさに本に「徳」を見出して、収集、保存されてきた。

図書は、ひとをつなぐ。書籍を中心として、図書館員、研究者だけでなく、それにかかわった多くの人々の心がつながっている。天理図書館に収蔵されたきりしたん資料をみると、まさにそのような思いを強くする。

今年8月5日、カトリック教会の諸宗教対話事務局長官のトーラン枢機卿が在日バチカン大使や、日本のカトリック教会の要人とともに天理教を訪問し、天理図書館も見学した。天理図書館では、所蔵のきりしたん版オリジナルを一斉に展示し、その訪問に応えた。図書館員の方とともにきりしたん版を説明する役を授かった私は、おそらく生涯二度と目にできないであろうその光景に涙がでるほど感激した。枢機卿始め訪問団一行は、大変興味深く見学され、短くも、心にしみる言葉を残された。そのとき、私は、1998年、ローマのグレゴリアン大学で開催された「天理教とキリスト教の対話」の席上、グレゴリアン大学学長(元上智大学学長)が発した次の言葉を思い出した。「天理では、きりしたん時代の文献をどれほど熱心に集めて、それらを保存して、またそれらについて、どれほど深い研究をなさっているかを、私は日本でも、またここでもよく理解しております。そのことについて、心から感謝いたします」(「天理教とキリスト教の対話」組織委員会編『天理教とキリスト教の対話』、5−6頁)。

キリスト教の方に「なぜ天理のあなたがきりしたんを研究しているのか」とよく聞かれる。私は宗教学(比較宗教)を専門とし、事例研究としてきりしたん史に携わっている。以前は個人的な宗教的背景を切り離し、宗教学という純粋に学術的関心から研究をおこなっているつもりだったが、最近は、相手の宗教から学ぶという宗教間対話の精神に照らして、私にとってきりしたん研究は、広い意味でカトリック教会との対話の一環であると感じている。

天理大学できりしたん史の講義をおこなって今年で11年目になる。学部生が対象だが、たとえ信仰としてのキリスト教を共有しなくとも、ザビエルやヴァリニャーノなど宣教師の思想と行動は、人間的営みとしての宗教事例として大変意義深いと考えている。それは、彼らの事蹟が現在に生きる私たちにも宗派を超えて通じるテーマを持つからである。ザビエルは1549年1月14日付のローマのイグナチオ宛ての書簡で、二隻のうち一隻が日本に着けばよいという厳しい航海を覚悟しながらも、宣教のため日本に向かう決意を述べている。ザビエルの状況を今の時代に置き換えて学生に問いかけてみる。もし、二機に一機の航空機が墜落するかもしれない状況において、そして他に交通手段がない場合、いかなる目的であれ、その飛行機に乗れる勇気が私たちにあるだろうか。ザビエルや他の宣教師はなぜそれを選択したのだろうか。

禁制下には、殉教を選択した信仰者、棄教した信徒、あるいは潜伏したきりしたんがいた。もし仮に私たちが信仰かそれに代わる信念をもっているとして、信仰か生命かの選択を迫られたら、どう反応するだろうか。多くのきりしたんが殉教を選んだのはなぜか。また、棄教したのはなぜか、潜伏したのはなぜか。

宗教学の授業であるから、キリスト教のみならず、いかなる特定の信仰にもとづく規範的な理由付けや価値判断はできないが、何教であれ信仰ある学生ならば実存的な問いを自らに投げかけ、これらの史実がもつ意味を共感的あるいは批判的に求めるであろう。

自らの揺ぎない信仰信念に立脚し、深い敬意をもって他者から学ぶことで、互いに自己の信仰が深化、徹底する。そして、対話をする両者に一層豊かな宗教性が生まれてくる。これまできりしたん研究を通してカトリック教会の事例から学んだことを、どう活かしていくかが、研究によって対話する私たちにとっても大切な課題なのである。

貴重な書籍が保管され善用されることで、宗派をこえ、国をこえて、人々の心が触れ合い、つながる。それは対話を促し、他者をより深く、自己をより強く知ることができる。これは、天理のきりしたん資料が可能にしていることである。そして、それが天理にきりしたん資料があることの、ひとつの意味だと思う。

雄松堂出版刊の関連文献
[復刻版]キリシタン版精選 金言集
APHORISMI CONFESSARIORUM, in Collegio Iaponico [Nagasaki], 1603
解説:高祖敏明
原本所蔵:中国国家図書館 中国・北京
460頁 165×105mm(原寸大) 上製箱入り 解説付き
ISBN 4-8419-0419-0531-1
予価42,000円(本体40,000円+税5%)
復刻版「キリシタン版精選」

Facsimile edition of rare original volumes held by Kirishitan Bunko, Sophia University, Tokyo; The Japanese Province of the Society of Jesus, Tokyo; Tenri Central Library, Tenri and Biblioteca Nazionale Marciana, Venice.

定価173,250円(本体165,000円+税5%)
全3点 4冊 解説(高祖敏明 著 和文・英文)付き
2006年6月刊 ISBN 978-4-8419-0424-6

1 SANCTOS NO GOSAGVEONO VCHI NVQIGAQI』(サントスのご作業の内抜書)
全2巻 合本1冊 1591年 加津佐 日本語(ローマ字)(原本:マルチャーナ国立図書館蔵)
定価47,250円(本体45,000円+税)
分売可 ISBN 978-4-8419-0420-8

『サントスのご作業の内抜書』は、現在に伝わるキリシタン版のうち最古の書である。内容はいわゆる聖人伝である。十二使徒をはじめ、その他殉教者を中心に歴史的に名高い聖人の生涯を略述している。読み手を意識してのおそらく原文にはない中国の始皇帝や醍醐天皇を持ち出してまでの自由な翻訳がなされている。

2 ぎやどぺかどる』(GVIA DO PECADOR)
全2巻 1599年 長崎 日本語(国字)
・上巻 和装幀(原本:天理図書館蔵) ISBN 978-4-8419-0417-8 
分売不可(※「キリシタン版精選」全巻セットでの販売となります)
・下巻 洋装幀(原本:イエズス会日本管区蔵) 付「おらしよ断簡」 
下巻のみ 定価36,750円(本体35,000円+税)
分売可 ISBN 978-4-8419-0418-5

本書はキリシタン版の白眉と称され、日本語の活字で印刷された上・下2冊本で1599年前半に刊行された。スペイン人ドミニコ会士ルイス・デ・グラナダの名著Guia de Pecadores からの日本語抄訳である。本書の完本は、大英図書館およびヴァティカン図書館にあり、上巻だけが天理図書館ほか3機関、下巻のみがイエズス会日本管区他2機関に所蔵が確認されている。復刻にあたって、上巻は1976(昭和51)年に「天理図書館蔵きりしたん版集成」の1冊として複製・刊行された複製版を底本にしており、下巻はイエズス会日本管区所蔵本を底本にした初の複製である。

3 MANVALE AD SACRAMENTA ECCLESIAE MINISTRANDA』(サカラメンタ提要)
1605年 長崎 ラテン語・ローマ字(原本:上智大学キリシタン文庫蔵)
定価52,500円(本体50,000円+税)
分売可 ISBN 978-4-8419-0419-2

本書は、日本ではじめて出版された赤と黒の二色刷りのカトリックの典礼書である。日本における最初の二色刷版であり、グレゴリオ聖歌は五線および音符の活字で組んであって、日本で最初の楽譜印刷ともなっている。今日、世界中で8冊のみが伝えられる。「サカラメンタ」を執り行うときに唱えられる祈りに楽譜が添えられており、当時の会に共通のラテン語の祭儀用祈祷文や式文を主体としつつも、日本への適応方針が随所に見られる。

77号 2010/01/06
 [目次に戻る]  

Net Pinus