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きりしたん版『おらしよの翻訳』
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さて、これまできりしたん版の研究といえば、書物の成り立ち、形式、文字等に注目した書誌学的研究、また内容の面からは、キリスト教神学ないし文学の枠組みの中で捉えられることが多いといえよう。ここでは、比較宗教の立場、つまり対象となる宗教現象を、中立的価値観から比較検討し、その独自性と普遍性の意味を考えるという視座から考えたい。そのために、まず、きりしたん版、とりわけ国字本きりしたん版とは、日本で生まれ、日本においてその宗教的役割を果たしたという事実に改めて注目する。
そこで、今日紹介した6点のきりしたん版を眺めると、『おらしよの飜譯』が興味を引く。なぜなら、この本が刊行された「きりしたん時代」にかぎらず、それ以降の「潜伏時代」から、現代の「かくれきりしたん時代」まで、そこに記されたおらしよ(きりしたんの祈り)の大半が引き継がれ唱えられてきたからである。日本の社会において、徳川時代の長い過酷な弾圧を通り抜け、400年以上、それ独自の役割を途切れることなく果たしてきた。『おらしよの飜譯』の姿はまさに、この400年の厳しく深い時間を表わしている。修復されて色は薄くなっているが、見開き全ページにわたりに墨でバツ(×)印が大きく書かれていて、検閲の跡をうかがわせる書物だ。
おらしよについて、当時のきりしたん書は、「我等が念を天に通じ、御主でうすに申上る望みをかなへ玉ふ道、橋」と教えている(『どちりいな・きりしたん』、26頁)。おらしよとは、「神の臨在の意識を前提に出発して」おり、「人間は神の偉大さを認め、神への全面的な依存を認めて典礼という行為に導かれる」といわれるところだ(尾原悟編、『きりしたんのおらしよ』262−263頁)。
しかし、宣教師の報告によれば、すでにきりしたん時代に多く信仰者が「おらしよ」を、このようなキリスト教の深い神観念に基づいてだけでなく、ことばそれ自体、あるいは祈りの行為それ自体がもつ宗教的力、神秘的力(仏教語から、功力と呼ばれた)を信じて、その力をさまざまな目的に使っていた。
おらしよに対し日本人が抱いた神秘的イメージは、ラテン語でとなえられた場合にさらに高められたであろう。当時、ラテン語の祈りは「経文の唱え」と説明されているが、仏僧の読経や修験者の呪文からの類推によって、ラテン語のおらしよが特別な神秘的力を持っていると、一般信者が理解したとしても不思議ではない。『おらしよの飜譯』では、ラテン文の祈り言葉は全て和文訳が付されていて、日本語でおこなうことも許されていた。しかし、後世の潜伏きりしたんの資料から、日本人信徒がいくつかのおらしよを、すでにきりしたん時代からあえてラテン語だけで唱え、後世に伝えていたことが分かる。それは、ラテン語の響きの神秘さにより大きな宗教的力を感じたとしか考えられない。
ならば、きりしたんにとって、そもそもおらしよとは何だったのか。宗教的、神秘的力をもつと信じられたおらしよが果たした役割はなにか。ラテン文、日本文のおらしよが後世どのように継承されたかを見ることで、何かヒントはないだろうか。
具体例を見てみよう。『おらしよの飜譯』には「あべまりや」(「聖母マリアへの祈り」)がラテン文、和文訳で掲載されている。
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「あべまりやのおらしよ」
ラテン文、和文訳
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『おらしよの飜譯』(二ウ)
あべ まりや がらしや ぺれな ○ だうみすぬす てゑくん べ [ね] ぢた つういん [む] りゑりぶす ○ ゑつ べねぢつす ふるつす べんちりす つうい ○ ぜずゝ さんた まりや まあてるでい ○ おら ぽろ なうびす ぺかたうりぶす ○ ぬんく ゑつ いん おら も[る] ちす なうすてれ ○ あめん
○がらさみち・・給ふまりやに御礼をなし奉る
○御あ[る]じは御身とともにまします
○女人の中にをひてわきて御くはほういみしきなり
○又御たいないの御[身]にてましますぜず[ゝ]は
○たつとくまします
○D[の]オンはゝさんた まりや
○いまも我等がさいごにも
○われら悪人のため[に]たのみたまへ あめん
それぞれにどのように継承されてきたのか、比較対比しながらみてみよう。
潜伏きりしたんの記録「天草古キリシタン資料」によると、天草の大江村で1801年に発見された潜伏きりしたんは、ラテン文の「あべまりや」を受け継いでいた。
| 天草 大江村、市蔵
文化2年(1805年)天草キリシタン資料「大江村宗門心得違之者御吟味日記」
(ラテン文)「あべまるや。やァかァさァべん。なァとうまんで、ゑれむれ・・ゑれすべれんつう。ふつつう。べんちりつうせのぜんつうの三太丸や。やまてる・・うらべすのふべす。とかィゑ。のミきり。ゑのつく。おやまのつく。のふつく。あんめんじんすまるやさま。」(『天草古切支丹資料(一)』九州資料刊行会編、1959年)、92頁) |
これは、彼らがきりしたん信仰を隠すために行っていた仏式葬儀で唱えられた経文の効力を消すためのものであった。葬儀のあと、信者たちは密かにきりしたんの葬儀をおこなった。そのとき彼らは、「あべまりや」を唱えて仏教の経の唱えを相殺し、きりしたんの祈りの力で死者の霊を守ろうとしたのである。
市蔵のラテン文のおらしよは元のものとは相当異なっているが、それは本人にとって問題はなかったに違いない。もとより、それは本人には知りようがないことであった。彼にとって大切なことは、そのラテン文の祈りの言葉が指し示す深いキリスト教の教えよりもむしろ、祈りの行為それ自体に含まれる、経消しの神秘的な力(くりき)であったと考えてよいだろう。
潜伏期には、ラテン文ではなく、和文の「あべまりや」を伝承したきりしたん集団もあった。その一部は、現代「かくれきりしたん」と称される子孫に継承されている。まず、昭和20年代に採録されたものを紹介する。
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まりやがらつさ導き給うまりやに御禮をなし奉る
御なるじは御身と共にましませば四人の中に於いて、あけてごはこはよにしきない
又御體内は御身にてまします
じぞーすはたーとくにてましますれーすの御母さんたまりや、今我等はさいぎよにて、我等悪人の為に頼み給いや、あんめいぞうすまりや(昭和27年生月島資料「舊キリスタン御言葉集」、4頁) |
ラテン語のおらしよに対して、日本語のそれは、はるかに正確に伝承されていたようである。漢字まじりで表意的であるが、記録者の理解が漢字などの表記法に表れていることを考慮しなければならない。多くの部分で、おらしよの教理的意味の脱落は明らかである。続いて、9年前に発表されたものを紹介する。
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まりや、がらっさ、みちみちたもう、まりや、おんみに、おんれいをなしたてまつりておんならじは、おんびととともに、かわします。
よにんのなかに、おいては、あけても、かをよにしきなり、またごたいないは、おんみてまします、でうすのおんはは、さんたまりや、われらは、これがさいごにて、われらは、あくにんなれば、つつしんで、たまう、たまいや。あんめーずす。(平成12年「ガラッサ みちみち」:「生月島 山田のオラショ一座」) |
今日の生月では、30近くのおらしよが40分ほどかけて一気に唱えられる「一通りのおらしよ」と呼ばれるものがあり、宮崎賢太郎教授によれば、それは、カトリック起源のものを含め、農耕行事、先祖供養など種々の恒例行事で、行事の中核として唱えられるという。
「あべまりや」もそれに含まれる。ほかに、単独で用いられるものとしては、かつて臨終のときや出征兵士を送るときに、あべまりやを1000回唱える「お千べん」と呼ばれるものがあったらしい(『カクレキリシタンの信仰世界』、90頁)。この死者を送ることは、潜伏時代の「経消し」と場面的につながるとも思われる。また、これまで和文に現れた「我等がさいご(さいぎょ)」とはもともと「死去のとき」を意味するので、きりしたん時代から、「あべまりや」は唱える言語にかかわらず、死去に関する場面で唱えられていたと言えるかもしれない。
おらしよ全体に目を向けると、宮崎の表現を借りるならば、今日、「日本文のオラショはその意味を理解しようと努力すれば可能であるにもかかわらず、まったくその努力ははなされていないといってよい。(中略)ラテン文のオラショはまさに呪文」である(『カクレキリシタンの信仰世界』、85頁)。つまり、語句が比較的正確に維持されている日本文のおらしよでさえ、その内容が理解されているわけではないということだ。ただここにおいて強調したいのは、にもかかわれず、彼らはそれを唱えている事実である。内容が分からないのであればおらしよを唱えることに意味がないのではなく、なぜそれを行うのか問うことが必要であろう。そこに、きりしたんにとっての「おらしよ」の意味が立ち現れると思う。
三つの時代を通じて、「おらしよ」は、それぞれの時代において、独自の宗教的価値をもって継承されたことを指摘したい。あるときは「経消し」として、あるときは農耕行事の一部として、またある時は、池の水が流れるためにおらしよが唱えられることもあった。彼らが守ってきたおらしよの意味は、キリスト教教義で定義される祈りとは全く同じではないかもしれないが、だから純粋ではない、無価値だというのではなく、他にはない独自の(sui generis)役割をもって、きりしたんの信仰生活をその根幹において支えてきたことを強調したい。この意味で、きりしたんには、キリスト教教義において定義される「祈り」とは連続しながらも区別されうる独自の実践として「おらしよ」が存在したのであり、その独自性を明確にするためにも、「祈り」というより、「おらしよ」と呼び続けることが相応しいのかもしれない。純粋教義の高見からのみ判断するのではなく、それを実際に実践している人々の視線にたち、彼らにとっての「おらしよ」の意義を見出していくことが、宗教学的には大切になる。
日本の宗教史において、16世紀半ばから今日まで唯一連続しているキリスト教的伝統は、この「おらしよ」を実践するきりしたんの伝統である。そして、書物としてそれを最もよく象徴するのが、『おらしよの飜譯』にほかならない。
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