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| 中島俊郎氏:1949年に生まれる。甲南大学大学院人文科学博士課程英文学専攻単位取得。オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジ研究員(1997-1998)。現在、甲南大学文学部教授。著書に『イギリス的風景―教養の旅から感性の旅へ』(NTT出版)、『近代東アジア文化とプロテスタント宣教師』(共著、国際日本文化研究センター)、Lewis Carroll et les mythologies de l'enfance (共著、 Presses universitaires de Rennes)、編訳書キース・トマス『歴史と文学―近代イギリス史論集』(みすず書房)、翻刻書ビートン夫妻編『英国婦人家庭画報―1852-56年 全4巻』、マリオ・プラーツ編『イギリス文化・文学論集―歴史と芸術の饗宴 全10巻』(ユーリカプレス)など。 |
| オックスフォード古本修行第4弾!(過去の記事:Part 1 Part 2 Part 3)洋古書収集家であるなら、一度はおとずれたい本の町、オックスフォード。今回は足をのばしてロンドンのキャロルパーティに出席がてらご所望の念願の『自転車百科大全』を入手。季節柄、イギリスはクリスマスムード一色。今回はそんな12月の英国の一コマを切り取っていただきました。 |
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気ぜわしい師走のある日、日本のある雑誌社から、「自転車の文化誌」について短い記事を書いてもらえないだろうか、という注文メールが届いた。依頼内容は自転車が考案されて英国社会に認知されるまでの動向を中心にまとめてほしいとのこと。すぐに取りかかるとしよう。 |
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イギリスの年末はパーティにつぐパーティで、予定表はパーティのオンパレードと相なる。パーティが仕事になってしまい、本来の業務が趣味になるような逆転現象が日々にわたり起きてしまう。そんなわけだから年越しの費用も乏しくなり底をついてしまい、小遣いを稼ぐしかない。今年はどうしたわけか、デヴォンシャーの蟹がはやっていて、プレゼントとして3回に1回はこちらがぶら下げていかなくてはならない。本当にもの入りである。
どうやら自らサンタクロースに姿をかえ、せっせと額に汗をするしかないようだ・・・。
だとすると、わが愛する自転車は「赤鼻のとなかい」のルドルフというところか、いやいやそれとも・・・。
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デヴォンの蟹はなかなかの面がまえ(拡大)
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緑陰の安らぎ
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自転車の文化誌を書くうえにはどうしても不可欠な文献がある。『自転車百科大全』がまさにそれだ。古書専門のインターネットで調べてみても出ていない。本には必要となって探しはじめると、必死になって逃げていき、姿をくらましてしまう一面がある。
美人の性悪女のような側面がある。
だから振り向いてくれなければくれないほど恋したものは首ったけになってしまう。入手できない本を求めてやまぬ気持ちを恋ゲームにたとえた通人がいたが、たしかにそれは言えて妙であろう。また手に入れてしまうとすぐに褪せてしまう感情までが恋愛の過程に似ていなくもない。
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ところが蛇の道はヘビである。旧知のロンドンの古書店に電話をかけると事もなげに「あるよ」とふたつ返事「さすがプロだなぁ」とお世辞を並べて、
少しでも安く売ってもらうべく交渉してみる。
すこし高いが探す時間を考えたら、その分、安いと考えなおし、値段は寄りあい、成立した。「近日中についでの折に、そうだ、ロンドンに出ていく日がある。英国ルイス・キャロル協会から招待されているパーティの日に、受取に寄らせてもらうよ」と応えて受話器をおいた。
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花よりパプリカ
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すぐにロンドンで開かれるルイス・キャロル協会主催のクリスマス・パーティ当日がめぐってきた。パディントン駅から近くの古書店主の個人宅へ直行した。京都で別れてから3年ぶりか。ヴェジタリアンの彼のために、露天商がいいパプリカを売っていたので、お土産にした。花より団子、腕いっぱいのりんごのようなパプリカをわたすと顔がくずれた。おたがいの久闊を叙し、健康を祝しあった。70歳を超えたというのに、ますます精悍さがみなぎっている。 |
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最近、購入した古書を見せてくれ、ほしいものがあったら、どれでも好きに抜いていいよ、と言ってくれる。目録を作成するまえだから何ら遠慮はいらないよ、とやさしい声をかけてくれるが、目録を待ちのぞんでいる愛書家の亡霊がやおら浮かんできて、後ろめたい気持ちに襲われてしまう。
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うれしいけれど・・・
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この店主は「日本は遠いから」と言って、1週間早くハンディをつけて目録を送付してくれるほどのフェアな精神の持ち主である。世界中同時に行きわたった発行されたばかりの、湯気が立った目録をチェックして、愛書家は瞬時をあらそって注文を飛ばす。目録は郵送されてくるのだが、注文を手紙で書くものはいない。
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メール以前は1週間の時間がかかっていたのである。手紙を書き、送るという優雅な時代が過去にはあったのだ。もう甘美な昔にはもどれない。熾烈な競争が繰り広げられるのだが、それだけに仲間を裏切ることはできない。相手を出しぬくことしか頭にない仲間なのに、それでも変な友情がある。顔も合わせたことがない連中だが、愛書家という靱帯で結ばれているのだ。こんな考えって、つくづく時代遅れだと悲しくなってしまうが、仕方がない。 |
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取りおきしておいてくれた『自転車百科大全』を受けとった。濃い緑のなかに金色であしらわれた文字と模様があざやかだ。ヴィクトリア朝中期の典型的な装釘である。時代がかっていてなかなかいい。彼の好意に報いるためにも啓発的な、いい文章を書こうと心に誓う。
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がんばるぞ!
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『自転車百科大全』(拡大)
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キャロル協会のパーティは、ラッセルスクエア駅の近くにあるロンドン・アーテイスト協会の建物で催される。会場はヴィクトリア朝に設立された美術ギルドのような組合で、挿絵で有名な画家アーサー・ラッカムが会長を務めていた時期もある。夕方のとばりのなかに溶けこんでいるたたずまいは、さながら妖精が出現してもおかしくない。じつに風情がある。
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だが、一歩なかに入るとそんな悠長な気持ちは吹っ飛んでしまった。参加者一人ひとりが力を合わせ、会場設営にいそしんでいたからである。そうだ、お客さん然としていてはいけない。開場予定の時刻に向けていっしょに設営を手伝ったが、これが思わぬイギリス式お迎えの作法を学ぶことになった。ありきたりのテーブルがたちまち輝く式台へと変貌していく。コーティングした紙を張るだけでこんなにも変わるものなのか。すぐに不思議の国ができあがってしまった。
供される料理も当然、お手製である。お爺さん直伝レシピの秘訣を耳もとでささやいてくれる。「美味しくなれ」と口のなかで呪文を唱えればいい、とウィンクしている。毎日曜日のローストで鍛えた腕を披露とばかりに、みごとな包丁さばきでターキーを切り分けてくれる。ソースが抜群だ。こちらは祖母直伝とかでなかなかの味だ。
どこの誰だ、イギリス料理がまずい、とうそぶいた奴は!!
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七面鳥をもつ悪魔(拡大)
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イギリス飯でもおいしいぞ!
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「何かすることは?」と志願すると、ワイン係を仰せつかった。「いかに美味しくたくさん飲んでいただくか工夫をしてください」との御下命。右手に赤ワインを、左手に白ワインをもち会場せましと回ったがこれがじつに好評だった。「グッドタイミング!」を連発された。なかには「みごとなトヨタ方式ですな」というわけのわからないコメントも交じっていた。
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なんでもトヨタか?
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クイズがお盛んなお国柄、愚問から珍門、難問までクイズ、クイズの大洪水だ。せっかく日本から来たのだから、何かクイズを出題せよ、と命令がくだる。司会者は王様だから逆らえない。ああ、もう逃れられない・・・。背中を押されるように壇上にあがり――
「皆さん、日本へ行ったことがありますか?」
「あるぞ」といううねりのような轟音の返答がもどってきた。
「では、新幹線という弾丸列車に乗りましたか?」と、問いかけると、
「乗った!3回!」勇ましい声が帰ってくる。
「では、クイズといきましょう。東京を出て博多方面へ向かう新幹線は、最初にどこで停車しますか?」
「横浜」「京都」「名古屋」さまざまな答えが飛び交う。
「品川!」という日本通の答えが・・・。
「残念でした・・・。すべて間違いです。答えは・・・」
「なんだ? なんだ? ちゃんとここに出ているぞ!」とサイトで調べた携帯を高く掲げげながら異議を唱える人がいる。
「答えは『赤信号』です!」
言うやいなや会場が一瞬、どよめき笑い声がおきた。
英国のジョーク水準は低いので救われる。 |
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白いフクロウも汗をかく
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さらに会はビンゴゲームへと進み、佳境にさしかかったところで「仮装大会」、参加者が登場。今年、みごとに優勝をかっさらったのは「白フクロウ」。本物のフクロウの感じをよくつかんでいる。ただかわいそうに、お面で蒸れてしまい汗まみれだった。きっとお化粧もとれてすごい形相が飛び出してくるにちがいない。
面をとって仮装とまちがえられなければよいが。 |
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日本でのキャロル受容、アリスの人気、英国の印象、どこへ旅行したか、など質問が集中した。ここまでパーティが進んできて、どの趣味の会もが直面している問題が露呈してきた。若い会員の不足である。見渡してみると老齢化は否めない。この高名なクラブでさえ、若い人の気持ちをつかめないのか、趣味の多様化によりやむをえない現象なのか。現在は何もことさら趣味の会へ入会しなくても種々の情報は入ってくる。それに人とのわずらわしい接触に悩まなくてもすむ。どうも「同好の士」だけでより合うという時代ではなさそうだ。
アリスはどこへ行くのだろうか。
でもキャロルの寛闊(かんかつ)な微笑に見守られながら、ひとりひとりが手をたずさえていけば会は持続していくであろう。 |
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末永くね
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ゴミや空き瓶を参加者が各自持ち帰ったことも印象に残るいい会合であった。あまりに気持ちが和んだのでひとりでパブへ寄り祝杯をあげた。落手した『自転車百科大全』のページが何十年ぶりで開かれ、かすかな声をあげている。久しぶりの空気にさらされるのがうれしいのかしら。さぁ、オックスフォードへ帰ろう。
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さあ、仕事だ
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桃太郎石鹸
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ボドリアン・ライブラリィへ通い、「自転車の文化誌」を書きつぐ。図書館で関連資料を調べてみると、じつに多くの同好会雑誌が出版されていたことが分かる。雑誌の巻末にはせっけん広告が出ている。どうも変な日本人があしらわれている。王室御用通とあるが、広告はどうやら日本のおとぎ話『桃太郎』を踏まえているようだが、爺さん、婆さんが鬼ヶ島の鬼みたいに描かれている。ヴィクトリア朝中期から日本熱がおこり、日本人の精神性をより理解するために多くの童話、民話、おとぎ話が翻訳された。
文化の翻訳はいつだって屈折、曲解をもってなされる。
これくらいのズレはたいしたことではない。 |
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お腹がすいてきたので壁の大時計を見ると午後1時をとっくに回っているではないか。このまま続行してもいいのだが、後で疲れがくる。だから規則正しい食事は欠かしてはいけない。今日のランチは近くの市場でとるとしよう。マーケットに向かう途中で、ハリー・ポッターの魔術学校から抜け出てきたような学生の群れと遭遇した。何を学びどんな将来を夢見ているのだろうか。紅顔が木漏れ日に輝いている。若さがまぶしい。
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腹がへっては・・・
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市場には気のきいたイタリアンレストランがある。味もなかなかで安い。イタリア人の主人が今日のスペシャルを説明してくれた。野菜スープとバゲットを注文する。はさむ肉をイタリア発音の英語できいてくる。牛肉、豚肉、鴨肉、鹿肉はいつでも食すことができるので、冬の名物イノシシのパテを注文した。パンの表面にナイフで軽く広げて、ぱくつくとホッペが落ちてしまうくらいうまい。身体も温まり、お腹も満足、満足。 |
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いのしし様の大往生
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斜め前の肉店の店頭にイノシシの大物がぶら下がっている。最後はパテに代わり私たちの食欲を満たしてくれるのだ。やおら複雑な思いが胸をよぎった。日本の鯨やイルカをめぐる喧しい論議がここイギリスでも繰り広げられている。動物愛護家に言わせれば、イルカなどの断末の消えゆく声にたえられない、と訴える。悲しい鳴き声といえばイギリス最大の名物、ヒツジもひけをとるまい。ドーヴァーの埠頭でヨーロッパへ輸出されていくメリーさんの羊たちのうごめくような泣き声は耳を離れない。鯨と羊、同情心だけでは解決しない問題だ。
残虐性を感情だけで議論してはならない。
子供保護法よりも動物愛護法が優先された変わったお国柄も忘れてはならないだろう。 |
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クリスマス最大の受難者は七面鳥であろう。日本の正月の受難者が鯛という意味において。この受難の鳥を購入しに行くのは主人の役目である。一家の主人の仕事はこの買い出しである。ズラリと羽をむしり取られた七面鳥が天井高くつるされている。年末を彩る歳時記でもある。つくづく肉食の国だと思えてくる。アメリカ経由の儀式と思われるがすっかり英国のクリスマス風景に溶けこんでしまっている。
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七面鳥の群れ(おいしく食べられる)
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それにしてもクリスマスだけを目標にして邁進する不思議な国民がここにはいる。どんなに小さな町でも必ずクリスマスショップがあり、一年中クリスマス対応モードで日常をおくっている。図書館にもどっていく道にはなぜかサンタクロースが群がっていた。サンタさんのコンクール?いったいどこに違いがあるというのだ? でもどの顔にも笑顔が浮かんでいる。やはりクリスマス民族なのだ。
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サンタ群れ(おいしく食べる)
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翌日、目が覚めると身震いをした。寒い朝だ。雪がしずかに降りつんでいる。思わず、
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ
とつぶやきが口を突いた。どうしてこんな時に三好達治の詩句がでてくるのだろうか。やはり日本人なのだ、目の前に教会がそびえたっているというのに、そこからから流れてくる讃美歌を押しのけて、太郎と次郎がおどりでてきた。 |
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それから毎日、寒い日がつづき、オックスフォードは銀世界になった。空から降り落ちてくる雪片はこの学都でかわされた議論の言葉が雪に変わり落ちてきたものだと、降りやまない雪を説明しようとする人もいる。図書館を取り巻く壁のうえにおかれたギリシャ、ローマの哲人の彫像は、一気に老人になってしまった。いつも偉そうな風貌をしているから、「雪のつけひげ」は想定外で戸惑いを隠せないようだ。神々にも英雄にも雪がふりつもり、皆、ひげやかつらをつけ、さらに威厳をましたようだが、笑いを誘うひげ顔もある。
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自宅と図書館の往復も雪道をぬっていかなくてはならない。子供たちが庭や玄関先に雪だるまをつくりあげている。よく見ると日本の雪だるまとはちがう。どうやらスノーマンを雪だるまと翻訳してしまうのは早計かもしれない。イギリスの雪だるまはケーキのデコレーション技法で作られているような気がしないでもない。雪だるま日英比較論をしているうちに妙な雪だるまに遭遇した。
いや、これは雪だるまではない。
大学の公園内につくられた彫像である。
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同行の友人によれば、これは「ピアノマンの像」だと説明してくれた。すでに忘却の彼方にある、ピアノマンの「伝説」 がよみがえってきた――風吹きすさぶイギリス海岸をひとりの男が亡霊のようにさまよい歩いている。無言で表情をくずそうともしない。ただ男は発見されて間もなく、病院スタッフから渡された紙にピアノの絵を描き、それから病院のチャペルで、「驚くべき才能でもって」ピアノを演奏したと伝えられた。以後、ピアノマン伝説ができあがり、まるでドラキュラ伝説かファウスト伝説のようにヨーロッパを席巻し、世界がピアノマンを注視した。
だが真実はあっけなかった。謎の男は、実際には、ひとつの鍵盤だけを繰り返し叩きつづけていただけであり、ピアノを描いたのも、ただピアノが最初に頭に浮かんだからだ、と述懐している。最後には虚偽罪で訴訟にまで至り、伝説が伝説でなくなり、ロマンの薫りが霧散してしまうと、もはや誰からも顧みられることもない「事件」になり下がってしまった。
デッサンがしっかりしているので春が来て溶けてしまうのは惜しい、と友人は言うが、この「スノーマン」も春とともに姿を消すだろう。
私たちは雪ではなく、「時」という衣を着た存在かもしれない、
と夢想しているうちに図書館に着いていた。
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自転車の文化誌は結構おもしろい。今日からみると信じられないが、自転車は、「路上の王者」と言われながらも、ほぼ半世紀以上、運転者の意思通りには路上を滑走してくれなかった。まず機械面で「安全性」がなかなか確保できなかったのだ。タイヤが外れて大事故に至ったことも珍しくない。こうした難題も1870年代には克服されていく。文明開化時期、日本は英国から鉄道の施設などで恩恵をこうむったが、反対にここで日本製自転車が空気を入れたタイヤを開発し、英国の自転車産業の発展に大いに寄与した。今ではブレーキなど自転車の部品まで見てみると日本製なくして英国の自転車は成り立たない。 |
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自転車は疾走する
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もっとも興味深いのは「女性と自転車の関係」である。自転車は女性の社会進出に大変な貢献をした。女性の社会進出といえば必ず「服装」の問題がまつわるが、自転車も例外ではない。服装に合わせて自転車が改造されるという、じれったい「歴史」がある。女性側は服装の工夫ばかりこらし、「急進的衣服の会」までたちあげて、乗車にふさわしい服を工夫するが、これがまた議論の種に――「品がなく、女性らしくない」と。
とどのつまり、女性が自転車に乗るのは、はたして是か非かと議論かまびすしく蒸しかえされていている最中に、ひとりの女の子が簡単に難題を解いてしまった。「男性用の自転車」に乗って、ブライトン・ロンドン間をあっさりと往復してしまったからである。16歳のレイノルズ嬢はたちまち「英雄」になった。歴史を変えてしまったからである。
歴史が変わる瞬間は、かくもあっけないものなのか。
プルーストは『失われた時を求めて』のなかで、自転車に乗る女性を、驚きの目で書きとどめているが、「人間のようではあるが、翼をつけたような姿で」疾走していく女性、それはペルシャ神話に登場する妖精そのものだ、と(第5巻「囚われの女」)。スピードに身をまかせた女性はかくも美しく映ったのであろうか。パソコンのキーをたたく指を止めると、図書館全体が湖の底のような静かさにおおわれているのに気づいた。 |
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クリスマスイヴは図書館が午後1時に閉館になる。静寂がおおう街へと変貌していく。これまで堆積された時がゆっくりと寝床にはいっていくかのように、あたり一面は木の葉が一枚ゆれても響くような静かさが空から下りてきた。図書館でリサーチをしていた人たちもすでに帰宅の途についたようだ。人影もない。窓辺から外を見ると雪道に何本かわだちが残っている。最初にズボン姿で自転車を滑走させた女性が走りぬいた跡なのか。果てしなき道を走りつづけるのであろうか。あの女性はどこへ行くのか。いや、どこへも向かわないであろう。きっと道は自分でつくるのだから。
では、道なき道はいったいどこまでつづいていくのだろうか。
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