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| 中島俊郎氏:1949年に生まれる。甲南大学大学院人文科学博士課程英文学専攻単位取得。オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジ研究員(1997-1998)。現在、甲南大学文学部教授。著書に『イギリス的風景―教養の旅から感性の旅へ』(NTT出版)、『近代東アジア文化とプロテスタント宣教師』(共著、国際日本文化研究センター)、Lewis Carroll et les mythologies de l'enfance (共著、 Presses universitaires de Rennes)、編訳書キース・トマス『歴史と文学―近代イギリス史論集』(みすず書房)、翻刻書ビートン夫妻編『英国婦人家庭画報―1852-56年 全4巻』、マリオ・プラーツ編『イギリス文化・文学論集―歴史と芸術の饗宴 全10巻』(ユーリカプレス)など。 |
| オックスフォード古本修行第5弾!(過去の記事:Part 1 Part 2 Part 3 Part 4)洋古書収集家であるなら、一度はおとずれたい本の町、オックスフォード。掘り出し物は古本屋に眠っているとは限らない!今日もせっせと古本さがし。今回は6月の青空澄みわたる下、オックスフォードのバザールで遭遇した宝の山をご紹介。 |
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6月はイギリスでもっともしのぎやすい季節だ。ロンドンでの古書展の方もひと段落つき、静かな日常がもどってきたと思ったら、家の前の通りでストリート・フェアーが催されようとしている。前日、店舗をつくる専門業者がやってきて瞬時につくりあげて、また風のように持ち去っていってしまう。やはりバザール国か、露店づくりになれていてじつに早技だ。手慣れていて危なげなところがまったくない。たちまちのうちに、ロンドンで日曜日によくひらかれる骨董市のような露店が路辺の両側を埋めつくしてしまった。まだ早い初夏の陽が踊っている。
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バザールのにぎわい★
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夏の収穫を祈る伝統舞踊モリスダンスなどの古典芸能にまじって、「すもうレスリング」なる種目もある。何だろうと思い、見ていると、大きなクッションの上でトランポリンの上で子供が飛び跳ねているだけ・・・ただそれだけ。どこが相撲だ、と思わずつっこみを入れそうになる。べつに国技をけなされたなどとはまったく思ってもいないのだが・・・。巡業をさぼって非難をごうごうと浴びて引退に追い込まれた横綱がいたが、ここで行われている相撲の変形曲折ぶりからすれば、まだ許せるのではないか。
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おじいさんもがんばるおなじみモリスダンス★
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寿司が意外に健闘している。健康ブームで好まれるのだろう。ヨーロッパのスーパーの食料品売り場でも常連になって久しいが、今日も食べものを提供する露店でかなり出回っている。ここでも先ほどの相撲ではないが、かなり文化変容をうけた寿司にめぐりあう。
すべて形ではない中身である
と自分自身に言い聞かすのだが、具にジャムをべっとり塗りこみ、のりでごわごわに巻いてある。しかもご丁寧に「日本米使用」と大書を。それって、「ジャム巻き」だろう、と大声を荒げたくなるが、これまた口をつぐんだ。大人気ない、大人気ない、と呪文をくりかえす。行きつけの寿司屋の大将がみたら、包丁をもって乗り込むか、廃業するだろうな、きっと。
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日本米が泣いている・・・
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明治のころ和風に変形された肉料理のトンカツやすき焼き、肉じゃがをみたら、同じような感慨を西欧人も覚えたのではなかろうか。ソフィア・コッポラが主演した映画『ロスト・トランスレーション』のなかで、東京のレストランで「シャブシャブ」を前にした外国人が、「客に生肉を出し、しかも料理をさせた上で、このバカ高い料金は何なのだ!?」といぶかる場面があった。
文化変容なるものはかくのごとき過程をえて、
次の新しい形になっていくのだから、
なにも口を挟むことはない。
と、分かっているのだが、抵抗を感じるのはなぜだろう?お米にジャムって、それっていったい何なんだ!?
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楽しいお祭りにもひとつの影が色濃く落ちている。運河の再開発をめぐり、マンション業者と地元住民が激しく対立し、「この土地からサメは出ていけ!」と大きな垂れ幕がぶら下がり、署名運動が展開されている。
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運河の情景;子供から水遊びを奪わないでほしいワン★
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すでに裁判で係争中である。開発か保存か、たえず突き当たる難しい問題だ。軽々に与することもできない。でも「子供たちにいつまでもこの水環境を」という訴えには耳を傾けざるをえない。水は人間の想像力を強く育むからである。小さいころの水遊びは終生忘れられないだろうから。この子たちの笑顔はいつまでも消えないでほしい。(と、ここで写真を撮ってくれといきなりひとりの女の子が割り込んできた。まぁかわいいから許すとするか♪)
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美人ピエロ;私きれい?★
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いつもは黙々と通っているだけの道だったが、
何か大きな一冊の本に拡大されているような気がした。
人生の断片がすべて封じ込められているような気がしたものだから。人生が旅というならば、踏みしめているこの道は一冊の本であってもおかしくはないだろう。
ではどんな本なのだろうか。今からこのページをめくってみよう。
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どの露店にも読み捨てた新書版、文庫本がわずかでも並んでいるが、本だけを扱っている露店は一店のみ。並んでいる本を見てもどれも役目を終えたような疲労感をかくせない。ふっと足元の段ボールを見ると、山のように雑誌が積まれている。「箱のなかの本どれでも5ペンス」と値段の表示がある。それはないぜ、(と、なぜか急に山口瞳になる)食パン1枚の値段にもならないじゃないか。どうせ・・・と大儀そうにしゃがみこみ、一冊を手に取ると、目が点になった。
そして次には瞳孔が全開した。

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なぜこのような雑誌や本がここに、と思わず座り込み動けない。あふれている雑誌のなかでも、『アンティクアリィズ・ジャーナル』を抱えこんでしまった。グランドツアーのことをかつて出した本のなかで書いたが、ナポレオン戦争のためこの大陸旅行はおおむね休止になったというのが通説で、その後のことは紙幅もあり、書けなかった。じつは終息したのではなく、現地に学校を設立し、その精神は受け継がれていたのである。ディレッタント協会とアンティーク協会との連携が具体的にどのような形になって展開していったのか、そのものずばりの論文("The Society of Antiquaries and the British School at Athens, 1886-1986: The Cemeteries of Knossos and Mycenae" )が掲載されている。ありがたい。これをもとに考えがさらに広がっていくはずだ。
思考の踏み石をあたえられたような気がする。
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アンティクアリィズ・ジャーナル★
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もう一冊の方はさらに刺激があった。ウィリアム・モリスのケルムスコット商会の椅子をめぐる論考("Kelmscott: Exoticism and a Philip Webb Chair" )である。日本の民芸運動にも大きな影響を与え、今日でも商品化され、逆輸入されて日本の風土に違和感なく溶け込んでいるケルムスコット商会の作品について、どのようにしてひとつの感性が具体的な形になったのかが、詳しくとりあげられている。「影響」という問題を考えるうえでじつに示唆的なアプローチを提供してくれる。
そして同時に軽々に「影響」という言葉を用いてはならないことをも教えてくれるはずだ。
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真紅のタペストリを背景にした写真に、まず注目してほしい。
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モリスの椅子★
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1862年に発表された椅子で、中世的モチーフと従来は考えられていた。ところが、これまでのイギリスのデザインにはない意匠を感じるはずだ。残されたロセッティの下絵からもわかるのだが、背の直線の棒状のデザインは古代エジプトにあった椅子の模写である。1850年前後、ラファエロ前派の仲間内ではエジプトがちょっとしたブームであった。同人のホルマン・ハントは何度も行っているし、あのナンセンス詩人エドワード・リアもトマス・セドンをともないエジプトまで旅している。ハントも、このセドンもロセッティと大親友なのである。この椅子の出自の大きな源はまずエジプトにあったわけだ。ところがそれ以上に、日本の影響、つまりジャポニズムの影が深くしみこんでいるのが後ろから写した写真を見れば一目瞭然である。畳、障子の桟などなど。当時、何度も展覧会に出展されていた日本の工芸品。ロセッティに日本美術を教えたのは浮世絵の画家ウィッスラーであったという生々しい証言まで飛び出す。 |
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1860年代はジャポニズムがロンドン美術界を席捲していた。椅子全体の直線が支配する構図に注目していただきたい。障子、ふすま、たたみはいうに及ばず、このような直線が日本建築の基本、ことばを変えて言えば「粋」になっていた。また腰をかける部分の材質も見逃せない。結論すると、エジプト文化と日本文化が融合してこのような見事なデザインができあがったとみるべきであろう。
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モリスの椅子背面★
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犬も歩けば棒にあたる、そんなことはどうでもいい。
とにかく求めよ、さらば与えられん、である。
これが古本道の王道かもしれない。それにしてもと、いかに僥倖とはいえ、また値段のことは度外視せよ、と言われても、やはり関西の噺家なら、「ムチャしょーなー」とつぶやき、笑顔満面になるであろう。

宝の5ペンス均一段ボール箱からはまだまだ買い込んでいったが、店の人から本屋をするつもりかと笑われたので、このあたりで切りあげて次の話題に移りたい。
それでもこの冊子だけは取りあげておきたい気持ちがある。
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抗議の冊子★
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もうかなり前になろうか、アテネ・オリンピック開催の数ヵ月前、テレビを見ていたら女優のメリナ・メルクーリが画面にあらわれ、メッセージを発し出した。「美貌衰えず」とやにさがっていたら、たちまちそんな妄想は吹っ飛んでしまった。イギリスがパルテノン神殿からもち去った(イギリスは正規に購入した、と主張している)多くの大理石彫刻を返還せよ、と訴えている。
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イギリスではギリシャからもち帰ったエルギン卿の名にちなんで、エルギン・マーブルとよばれ、ギリシャでは所有の主体を明らかにすべくパルテノン・マーブルと呼称されている。歴史的事実はトルコに占領されていた当時の政府からエルギン卿が購入し、涙にまみれるような苦心の末、本国イギリスまで持ちかえり、その後、買い取られて大英博物館に収められている。
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放置されていたパルテノン神殿のレリーフから無理やりはがしたような大理石片もじじつ多い。一般人に依頼したため、かなり粗雑に切り取られ、処理された。
「でも、あの状態で放置いていたらどうなっていたであろうか、われわれが保存に努めなければ」
とイギリス側は主張する。むしろ感謝されてもいいくらいだと言わんばかりだが、この意見は今も根強くある。でも最近のイギリスでの世論調査では6割近くが返還に賛成し、イギリスでの保管に賛成するひとは1割にも満たない。
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復元された彫像;なさばなる!★
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ギリシャ政府は長期貸し出しという、大幅に譲歩した案まで出しているが、イギリス側はまったく聞く耳をもたない。いくつかの論拠を列挙しているが、「大英博物館に保存している」というところに、イギリス側の大きな誇りがあるようだ。つまりこの博物館はイギリスの英知を結集したものである、という考えが前面にでてくる。
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ヴィクトリア時代から返還要求はあった。でも英国側は一考だにしなかった。世界に冠たる帝国になった今、人類の叡智を象徴した彫刻は大英帝国の帝都ロンドンにかざるのがふさわしい、と。イギリスにしてみればこれで名実がともにそなわったことになるわけだ。
しかしこれは少々苦しい。
古典の素養がギリシャ・ラテンにあるとする伝統からすれば、本家を認定してしまうことになるからだ。否そうではなく、それは「古代ギリシャ」であって現代の「ギリシャ」ではないと強弁するのだろうか。
ここにかかげたギリシャ政府が発行したパンフレットは返還要求を実現させるため、説得力がある。大英博物館に展示されている大理石片、アテネに残っている大理石片、両者が合一させた図の順で、ハトロン紙をはさんで復元できるようになっている。各ページに返還が正当であることを訴える、「略奪された」同時代の声も収録している。詩人バイロンなどがその代表格である。
両国で激しい論議が巻き起こったが、「こんな要求に応じていたら、世界の美術館は空になるだろう」と主張するイギリス側の対応は正直すぎる反応である。ユネスコが認定する「世界遺産」のロゴはパルテノン神殿である、よって国境を越え、パルテノン・マーブルは世界遺産である。だから元にあった場所にもどしなさい、とギリシャも主張をくりかえす。
さて、来年、開催されるロンドン・オリンピックでも同じ議論が再燃するのだろうか。
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どうなることやら
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5ペンス箱のなかには思いもかけないものが充満していた。ロンドンはブルームズベリ、大英博物館に見学にやってきていた日本人の若者が
「ここが入場料タダなのは盗んだものばかりだからだよ」
とまことしやかに嘯いていたが、
「若者よ、ことはそんなに単純じゃないぞ」
と、今は亡き寅さんならきっと注意したであろう。と、ブツブツ言いながら歩いていると、大きな女性の写真に出くわした。同居人としてはどうかと思ったが、暖炉まわりには何も飾りがないので購入することに。こんな重たいものは誰も買わないよ、それにもう動くのは嫌だと言っているよ、と交渉するとあっさり半額で。
やはりバザールはこうでなきゃ!
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しっくりいってる美女との同居★
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自宅の横にあるオックスフォード大学出版局のことを無視しては申し訳ないので、露店に放置されたまま、誰も手をふれようともしない『オックスフォード大学出版局出版史』を買うことにした。それはそうであろう、近所の印刷所の歴史を誰が好んで知ろうとするのだろうか。だからこれまたただ同然で購入できた。日本でも辞書、参考書、研究書などでおなじみの出版局であるが、イギリス出版文化史の上からみても興味深い示唆を与えてくれる。
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ヨーロッパから何人かの放浪してきた学者がここオックスフォードに集まりはじめたのはかなり古くからではあったが、最初にオックスフォード大学出版局から本が出版されたのは、1478年のことであった。この書影は1978年に出版500周年を記念して出された、その歩みをしるす図録である。
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オックスフォード出版局史★
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イルカをあしらったエンブレムは出版局が順風に進んできたようにみえるが、そのかたちが整ったのは、およそ17世紀のころであった。いろいろな人物が志をかかげて、出版の理想を実現しようとしたが、現実のもろもろの壁に頓挫せざるをえなかった。
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大学出版局の基盤をきづいたのはクライストチャーチのジョン・フェルであった。1636年のことである。軌道にのるのはやはり18世紀までまたねばならなかったが、それでも今日の学術出版と聖書刊行の原型はフェルの手によってつくられたのである。
大学行政に手腕をふるったフェルは出版にこそ大学の理念を求めた。学内で使用されていない建造物を印刷局に変え、ロンドンの出版社とも提携をして、いよいよ本格的に出版にのり出そうとしたのだが、使用にたえる活字がみつからない。当時、ヨーロッパで最高の活字を鋳造できたのはオランダであった。遠路、オランダまで活字を求めたのはいうまでもない。最上の活字は入手できなかったものの、欲しかったフォントはとにかく得られたのであった。
それでも妥協を知らないフェルは再度、人をオランダに向かわせ、4種類のフォントを入手した。そのうちの3種類が今日でも出版局に保管されている。
ここにその一部を掲げておこう。
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フォント一つにも涙なくして語れない歴史がある★
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つぎの図版は、組版である。右端の細長い棒状のものに注意してほしい。これは職人が使ったロウソクである。冬は昼の3時ころから暗くなるような土地柄であるので、ロウソクは欠かせない。ただロウソクがともしたのは職人の手元だけではない。この灯はゆらぎながらもほぼ500年の歳月をえて、消えることなく、〈人間の知〉を確実に伝えてきたのである。そのように考えると、このか細いロウソクは、この出版局に集った出版人の理想を凝結した「ともしび」でもある。
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希望のともしび★
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パブでいつも集う悪友が、もうそんな汚い本はどうでもいいから、はやくビールを飲みに行こうとせき立てる。何でも新しいパブが近くにできて、暗くてムーディなところだという。
あぁ、かくも理想と現実はちがうものなのか。。
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われらがともしび・・・
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