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雄松堂Net Pinus 82>ジェームズ・スミソンの足跡を探る

Net Pinus 82号
スミソニアン博物館を生んだ
「ジェームズ・スミソンの足跡を探る」
-スタッファ島とフィンガルの洞窟-
2011/09/20

『ハガキ文学』と絵葉書の時代

写真はクリックすると大きくなります。

 ワシントンにあるアメリカの知識の殿堂「スミソニアン」博物館は、イギリスの貴族ジェームズ・スミソン(1765-1829) の遺贈50万ドルを基に設立された。スミソンは名門貴族ノーサンバーランド公爵の庶子である。1784年スミソンはオックスフォード在学中に、フランス人科学者フォジャの学術調査団に参加した。調査団の目的地はスコットランドの西北部の小島スタッファ島であった。好奇心あふれる19歳のスミソンは、鉱物陳列室を完成させるために、珍しい鉱石類を収集しようとしていた。

□スミソンと学術調査

 ジェームズ・スミソン(当時はメーシー姓)が参加した学術調査団は、フランス人科学者、フォジャ・ド・サン・フォンの率いるグループで、イタリア人のアンドレアニ伯爵、アイルランド人のソーントンの4名に召使い達が加わった。当時の貴族の旅行は、召使いをつれ馬車でまわる旅である。地方の道路はせまく道中も現地で案内人を雇う必要があったり、生命の危険さえ伴う環境であった。またその頃は、地球の起源をめぐる論争が活発化する時期であり、スタッファ島はその研究対象であった。
 筆者は、2011年5月グラスゴーからバスと船を乗り継ぎ227年前のスミソンの足跡を追う機会があった。

□スタッファ島とは

 スタッファ島とは、スコットランドの西北部インナー・ヘブリディーズ諸島にある無人島で、現在はスコットランド・ナショナルトラストが所有する自然保護区の一部である。そこにある三つの洞窟は、六角柱状の柱状節理で形成され、まるで人工物のような特異な風景である。柱状節理とは高温の溶岩が冷える過程で、六角形の割れ目が生じるためにできる。これが後に波浪の浸食を受けて洞窟となった。なお、この地帯はスコットランドからスカンジナビアを貫くいわゆるカレドニア造山帯に属する。

スタッファ島近景と洞窟:揺れる揺れる

 この洞窟は1772年に自然主義者ジョゼフ・バンクスによって「発見」され、18世紀のスコットランド詩人のジェームズ・マクファーソンの叙事詩に歌われ「フィンガルの洞窟」として広く知られるようになる。

フィンガルの洞窟:六角の柱状節理

 一行は8月末ロンドンを出発、ニューカッスルを経て9月初めエディンバラに到着する。召使い達を含め3台の馬車の旅である。エディンバラでは、スミソンは著名な学者に会いその教えを乞う機会となった。化学者ジョゼフ・ブラックや、地質学者ジェームズ・ハットンなどである。ブラックは大学の名講義で定評があり、その後スミソンはブラックを師と仰ぐようになった。エディンバラからグラスゴー、さらにローモンド湖西岸ターベットで近くのアーガイル公爵邸に丸三日を過ごす。

 ここでガイドを雇いオーバンに向かう。オーバンに至る道の周辺は地質学的に特徴のある地で一同の興味をひいた。オーバンはこの地域の中心の漁港で、ここから漁船を雇いマル島経由でスタッファ島を目指すことになる。しかし、天候不順で船の調達にも苦労している。一行の中でも意見があわず、リーダーのフォジャはオーバンに残り、スミソンとアンドレアニ、ソーントンはそれぞれ別な船でスタッファ島を目指すことになる。
スミソンは、召使いや水夫と共にスタッファ島を目指す。一旦は荒海のため上陸を諦めようとするが、島の住民がロープを投げてやっと上陸できた。スミソンはアンドレアニとソーントンとともに、島にすむ一家族をたより15人が粗末な石造りの小屋で夜を明かすことになった。さらに翌日も足止めされてしまう。

□スタッファ島の収穫は

 翌日には、スミソンはスタッファ島からさまざまな標本を収集して、帰路のオーバンで標本を整理しエディンバラに送る。収集品は汚いと判断されたのか、宿の主人とひともめする騒ぎもあった。当時スミソンは総合的な「鉱物陳列室」を作ろうとしていた。その後スミソンはスタッファ島のゼオライト(沸石)の分析結果を、1810年にロイヤル・ソサイエティで発表している。スミソンのロンドンへの帰宅は一月後、11月の初めである。帰路、エディンバラの学者と過ごしたと推定される。スミソンにとって有意義な旅であったろう。
 やがてフィンガルの洞窟はロマン派時代の重要な聖地となっていく。この地を訪問した人物から、多くの詩や芸術作品が生まれた。1829年にはメンデルスゾーンが訪れた。彼が20歳の夏、ロンドン公演を終えてスコットランド各地を周遊した時のことである。洞窟のフィンガルとは、昔この地方に君臨したと伝えられる伝説の大王の名に由来している。洞窟の荘厳な景観に感銘を受けたメンデルスゾーンは、すぐさまその思いを21小節からなる楽譜にした。後に演奏会用序曲「フィンガルの洞窟」の主題となった。
 スミソンはこの旅行に参加している間に自然史振興学会会員に認められた。これは新会長ウイリアム・トムソンの推薦による。スミソンのスタッファの旅は馬車に乗り、帆船に乗る旅であった。悪天候では当時の旅はまさに冒険であった。しかしロンドンの学会人と、エディンバラの学会人とのコミュニケーションは重要であった。ちょうどスコットランド啓蒙運動の真っ盛りの時期であった。また、当時のロイヤル・ソサイエティで調査旅行や研究結果を発表することは、研究者として認められる重要なステップであった。

スミソンの旅、エディンバラ→スタッファ島へ

□スタッファ島の現在

 現在スタッファ島に行くには、オーバン(Oban)からマル島(MULL)、スタッファ島(STAFFA)、アイオーナ島(IONA)を巡るツアーに参加するのがよい。オーバンへは、あらかじめグラスゴーからの約3時間のバスで移動しておくことをおすすめする。天候に左右されるが、三島のツアーは朝9:30から夜8時と丸一日のコースである。まず、オーバンからマル島へ大型フェリーで30分、バスで2時間、フィヨンフォート(Fionnphort)につく、ついで高速船で60分、目的地のスタッファ島が目に入る。

マル島 左中沖にスタッファ島、右端にオーバン

 見れば見るほど奇妙な島である。3っの海食洞があるが、一番みごとなフィンガルの洞窟の横に小さな船着き場があり、波が高くなければ上陸もできる。通常は30分の自由時間に上陸、洞窟や島の頂に行くことができる。六角の柱状節理が見事だが、その間の細い道筋にはロープが張ってあって、つたい歩きができる。島の頂には、スコットランド・ナショナルトラストのプラークが置かれている。

スタッファ島の頂のプラーク …スコットランド・ナショナルトラスト

 帰路はアイオーナ島で初期のキリスト教の遺跡を見学し、再びフェリーでマル島にもどり、バスに揺られフェリーに揺られオーバン着となる。スタッファ島は現在は無人島であるが、スミソンが上陸した当時は一家族が住んでいた。スミソンがどんな資料を収集できたか、詳細の記録は失われてしまった。

□近代地質学へ

 イギリスは近代地質学の発祥の地である。岩石や結晶の調査は、全世界を対象にした地質調査と歴史研究、地球磁場の歴史の研究へと発展する。パトリック、ブラケット、スタンレー、ランコーン、ハットン、ホームズ達が活躍した。地質学の原典ライエルの「地質学原理」や、教科書としてエディンバラ大学のアーサー・ホームズ著「一般地質学原理」が長らく使われた。この中ではマントル対流論が論じられ、19世紀から20世紀へと古生代の造山活動から、大陸移動説が提唱される。さらに20世紀後半には古地磁気学、プレートテクトニクスと新しい地質学が展開されて行く。
 スミソン時代の科学・技術の環境は、どんなものであったか。スミソンはどの分野に関心をもったのか、興味を引く課題である。例をあげると[1]プリーストーリの脱フロギストン説(酸素の発見)(1774)、[2]ラヴォワジェの質量不変の法則(1772)、[3]ジェームズ・ハットンの地質学(1795)、また、[4]シャップの腕木通信(1792)、[5]ヴォルタの電池の発明(1800)から電気の応用がスタートし、やがて[6]モールスの電信機 (1835) の電気通信が始まる時期であった。

□グランドツアー(大修学旅行)へ

 1838年、ジェームズ・スミソンのアメリカ政府への遺贈50万ドルは、今日のスミソニアン博物館の基金となったが、実は彼は一度もアメリカを訪問したことがなかった。スミソニアン・キャスルに保管されていた彼の遺品が、南北戦争の最中に焼失してしまったこともあり遺贈の動機などは明確ではない。
 18世紀当時のイギリスの裕福な貴族は、学業終了時に子弟を大規模な国外旅行・グランドツアー(大修学旅行)に参加させた。フランスやイタリアを数年かけて従者つきの馬車で旅行する贅沢な旅でもあった。スミソンも1786年にオックスフォードを修了すると、6年間にわたってヨーロッパ中を旅行している。今に残るスミソンの話題を順次紹介して行こう。■

フィンガルの洞窟

スタッファ島へ

スタッファ島へ

スタッファ島への高速船
これに乗ってスタッファに行った

高速船運転席のレーダーとGPS

スタッファ島の頂は平らな草地

関連資料

スミソニアン博物館の誕生―ジェームズ・スミソンと18世紀啓蒙思想
The Lost World of James Smithson: Science, Revolution and the Birth of the Smithsonian

ヘザー・ユーイング 著/松本栄寿、小浜清子 訳
A5判 上製 416頁 2010年刊 ISBN 978-4-8419-0572-4
定価8,400円(本体8,000円+税)

イギリスから新大陸へ―
「知識の増大と普及」を遺贈した科学者が見た夢とその人生

82号 2011/09/20
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