「ボワソナード民法典資料集成」刊行の意義

編集顧問           

星野英一 (東京大学名誉教授)


 民法典施行100年を迎えこの年に、ボワソナード民法典資料集成の発刊が開始されることは、私ども民法学者にとってこの上ない喜びである。私どもは、既に幾つかの学会における記念シンポジウム、そしてフランス、ドイツ、オランダ、アメリカの4人の学者を招待して行われた1998年11月12日、14日のいわば公式の国際シンポジウムを持った。出版としても、11月4日には、記念事業である、『民法典の百年』I〜IV(有斐閣)の一挙全冊刊行という快挙を見た。本刊行はこれに続く大事業である。

 現行民法典の起草作業を行ったのは、明治26年に設置された法典調査会であるが、その仕事が白紙からの起草でなかったことは、現在の民法学者にとっては常識に属する。それは、明治23年に公布されたが法典論争の結果施行が延期されていた、いわゆる「旧民法」の修正作業だった。

 旧民法は、財産法の部分をボワソナードが起草し、身分法の部分を数名の日本人起草委員が起草し、法律取調委員会、元老院、枢密院における検討を経て正式に公布された。修正作業の際、 新しい立法としてドイツ民法の草案が最も多く参照されたが、旧民法の内容がそのまま残っている所も多い。「旧民法」は、時に「第一草案」と呼ばれるが、そのようなものではなく、公布されたところの、まさにわが国最初の近代民法典そのものである。

 実定法学者にとり、ボワソナード、広く旧民法典に遡る作業には、 三つの意義がある。

 第一は、民法解釈学上のものである。今日においては、 解釈に際してまず立法者や起草者の考え方を探求するものとされている。直接的には、法典調査会における、 起草者の説明に始まる議論、そして議会における討議が参照される。進んで、旧民法典に遡って起草の理由を調べることも多い。この際、ボワソナードの起草した部分については、その著した理由書を手がかりにして検討がなされるのである。『民法典の百年』のうち、重要条文を検討する各論部分(II〜IV)においても、このような作業がまず行われている。

 第二は、 民法典の改正や、その特別法の立法における意義である。 現代は明治の法典編纂期、 第二次大戦後の法律改正期に次ぐ「第三の法制改革期」とも呼ぶべきものであって、民法典改正や特別法の立法作業やその準備作業が進行している。そのような立法が今日必要なのは、 民法典の規定では不適当だからである。しかし、そのためには、現行民法典の規定の意味が明らかであることを要する。「改正」とはなにを改めることかがはっきりしていなければならない。 立法者や起草者の考えを知ることが出発点になる。

 改正とはやや異なるが、民法典の現代語化においても同様の問題がある。 現代語化とは、一つ一つの用語や表現を分解して現代語に置き換えることではない。民法典の各条の意味を明らかにし、それを的確に表現する現代語の文章を作ることである。外国語の翻訳と同じく、逐語訳は翻訳の名に値しない。そこで、条文の本来の意味を明らかにしなければならなくなる。現に、民法典現代語訳の作業は数年を費やして終了したが、その際、ボワソナードの起草理由が調査された条文は少なくない。

 第三は、日本民法を外国に紹介する際の必要性である。今日、世界各国で日本法の知識が求められている。特に、アジアの旧又は現社会主義国で、市場経済を導入しようとしている国は、民法・商法・民事訴訟法の立法を企て、わが国に協力を求めてくることが多い。この際、日本法を正しく紹介するために、立法後の判例・学説による発展と共に、まずその本来の趣旨・意味を知ることが基礎となる。

 このように、法史学上の意義のほかに、実定法学の立場からも、民法典の意味内容をボワソナードに立ち返って明らかにすることは、緊急の重要性を持つ。広中俊雄教授が進めておられる、法典調査会を中心とする民法典修正過程の資料の集成とともに、この資料集成の持つ意味はきわめて大きい。

刊行にあたって

ボワソナード民法典研究会     

代表 大久保泰甫(名古屋大学教授)


 I. ボワソナード民法典研究会による資料集成を世に送るにあたり、その趣旨と意義を明らかにするため、まず、われわれが研究会を組織するに至った理由と目的を振り返ってみたい。「ボワソナード民法典」とは、ここでは旧民法典中の財産法部分(明治23年法律第28号、4月21日公布、財産編・財産取得編[第1章〜第12章]債権担保編・証拠編)を指し、フランス人法学者G・ボワソナードがフランス語で原案を起草し、その後、翻訳された草案が長い年月にわたる編纂過程において、種々の会議・機関で修正を受けたあと、完成・公布された。

 しかし、周知のように、旧民法典の全体(上の法律第28号のほか、明治23年法律第98号、10月7日公布、財産取得編[第13章〜第15章]人事編を含む)は、「法典論争」によって激しい批判の対象となり、結局施行されないまま「修正」を行うことが決まり、「法典調査会」が設置された(明治26年)。そして三人の起草者(梅謙次郎・富井政章・穂積陳重)による起草およびいくつかのレベルの会議における審議を経て成立したものが、明治民法典と呼ばれている。その前三編(総則・物権・債権)は、その後の若干の改正部分を除いて今日までその生命を保っており、本年、施行百周年の大きな節目を迎えた。

 ところで、現行民法典前三編の編纂は、「法典調査会」の発足を機としてまったくゼロから開始されたのではなく、そのスタートの時点はボワソナードが起草に着手した時に遡り、したがって、現行民法典は、形式的にも実質的にも、ボワソナード民法典の「修正」として出来上がったものであることは、今日では、学界において共通の認識として定着している。つまり、ボワソナード民法典編纂の時期は、日本の民法典成立史における不可分で不可欠の一部分をなすと考えられている。

 しかしながら、最近まで、ボワソナード民法典の編纂過程の研究および基本的立法資料の確定と位置付けの作業は、全く不十分なまま放置されてきた。つまり、民法典編纂史における重要な部分が未開拓のまま、極端にいえば、ブラック・ボックスのような状態にあった。このような状態のままでは、立法当初の正確な意味を明らかにするといっても、それは、たとえて言えば、設計図や基礎工事を欠いたままで家を建てるのに等しい。

 実は、この点の認識の共有が、「ボワソナード民法典研究会」の組織に向かわせた一つの大きな理由であった。そのメンバーは、実定法と法制史を中心として、専門の異なるそして共通の問題意識を有する研究者が全国から集まっている。今回の資料集成は、数年にわたる共同研究の成果に基づくものである。

 II. ボワソナード民法典の編纂過程は、大きく二つの時期に分かれる。この資料集成においては、これを前期および後期と呼んでいる。大づかみに言えば、前期には、民法編纂局が主たる編纂機関となり、大木喬任が主導した。これに対して、後期には、司法省法律取調委員会が主たる編纂機関となって、山田顕義が編纂を推進した。しかし、実際の編纂過程ははるかに複雑であり、種々の紆余曲折を経た。立法資料も膨大な量に上っている。

 この資料集成においては、それらの中から、法典内容の解明に不可欠という意味において、最も基本的で重要な草案・議定案・上申案を精選した。更に、各資料の冒頭には、研究会の会員がそれぞれ分担執筆した「解題」を付し、その資料の位置付けや内容等を明らかにすることに努めた。今後、民法典の種々の条文や制度が、立法当時どのような意味内容をもっていたのかを根本史料に基づきつつ明らかにすることを目指す研究は、ますます増加するであろう。また国際的に見ても、わが国の民法典が一体どのような性質を有しているのかを探究することは、重要な課題である。

 ボワソナード民法典資料集成が、その基礎を提供し、研究の進展に裨益することを願ってやなまい。

現民法を内在的に理解するための鍵

奥田昌道(京都大学名誉教授)


 ボワソナードの起草にかかる旧民法の成立過程は、いかなる草案がどの順序で出てきたのかという最も基本的な事柄さえ、従来明らかにされておらず、不明確さに取り囲まれてきた。このような状況下で刊行される本資料集は、草案やそれに付せられた注釈等を編纂過程に即して体系的に配列することによって、各制度の趣旨と編纂の実態を原資料のレベルで明らかにしようとするものである。とくに旧民法にあっては法律取調委員会における議論(商事法務版所収)だけでは立法趣旨の断片しか見えないので、本資料集から研究者の得ることのできる便益は計り知れないほど大きい。

 今や100年を迎えた明治民法典であるが、それが起草当時、常に意識し対峙していたのは旧民法である。したがって明治民法典を真に内在的に理解するには旧民法の正確な理解が不可欠である。その意味からも本資料集の刊行はまことに時宜にかなったものであり、第一期分のみならず、予定されている全部の資料が刊行され、旧民法の全貌が明らかにされることを期待してやまない。

ボワソナードの「復活」を喜ぶ

奧島孝康(早稲田大学総長)


 わが国近代法の父、ボワソナードによる旧民法典関係史料がここに一 挙に復刻されることは、日本民法典のルーツを正しく認識し、日本の近代とは何かを知る大きな手がかりを与えるという意味で未曾有の快挙というべきであり、歓迎したい。

 私法の一般法としての民法は、商法を始めとするすべての私法の基礎であり、 さらに私法は市民社会のインフラである。したがって、ボワソナードに始まるわが民法の原理を知ることは、 商法をはじめとする私法全体の基本的構造を知ることであり、 市民社会の基礎法理を理解することでもある。 これを機会に明治初年にボワソナードがもたらした近代市民法の系譜に光があてられることは、 いったんは日本への帰化すら考えながら、失意のうちに母国へ去らねばならなかった彼の現代における「復活」であり、私たちにとっては、時代を隔ててこそいるが、その正統な「継承」を意味する。継承と発展とは学問の本質であり、私がこのたびのボワソナードの復活を喜ぶのは、 それがわが国の法律学の継承と 発展のために一度は通過すべき正道と信じるからである。

世界史のなかの『ボワソナード草案』

瀬川信久(北海道大学教授)


 この30年あまりの、『ボワソナード草案』の研究は目覚ましい。慣習法論、時効、対抗問題、所有権観念、附合、抵当権、自然債務、債権者取消権、債権譲渡、契約観、瑕疵担保責任、不動産賃借権...。これらの研究は、当時のフランス法をふまえたボワソナードの民法構想を明らかにしつつある。しかし、それは均斉のとれた静的世界ではない。所有権の尊重と経済的公益の強調、道徳の尊重と実定法の優位など、対立する要素がひしめく世界である。

 このボワソナードに、近年、フランスでも法学史研究が光をあてている。それによると、ボワソナードの背後には、19世紀後半のフランスがあった。彼は、自然法を基礎にしながら、社会進歩、法典化を説き、法のなかに経済学を導入した。契約の自由を強調しながら、労働保護立法を説いた。これらは王制・帝政と共和制、保護主義と自由主義の間を揺れる政治と経済、そのなかで台頭する古典派経済学と他方における社会政策学への動き、そして、前期注釈学派から後期注釈学派への移行と結びついたという。

 しかし、この多面性と動揺は、ボワソナードやフランスだけのものではない。先進諸国は、相前後しながら、似た状況を経験していた。ドイツでは、自然法思想が歴史法学、概念法学へすべりこみつつ、法典化に連なる。イギリス・アメリカでは、自然法思想に対し歴史法学・分析法学と法典化運動がからみながら展開した。これに、明治前期から後期への日本の法思想の転回が加わる。

 ボワソナードに残っていた多面性を削ぎ落として今日の社会が成立し、それがいま問題にされている。ボワソナードを、日本民法の父、19世紀フランスの一法学者にとどめてはならない。100年前の世界史的問題が、彼に凝縮しているのだから。『ボワソナード草案』を読み解くことは、明日を考えるヒントを与えるはずである。

[Return]