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『文藝文化』は、昭和十年代、日本固有の倫理意識に基づいて日本の古典美を謳歌した、独特の国文学雑誌といわれている。当時の国文学が考証一辺倒に堕していたのに対し、古典を自己の生き方において捉え直そうとした方法論が新鮮であった。創刊の辞冒頭には、次のように述べられている。「伝統の権威地に墜ちて、古典を顕彰するの醇風も亦地を払って空しい。日本精神の声高く宣伝せらるるあれど、時に現実粉飾の政論にすぎず。芸文の古典は可惜、功利一片の具と化して、無法なる裁断に任され、所謂国文学の研究は普及せるも、故なき分析と批判とに曝されて、古典精神の全貌は顕彰せらるべくもない。嗚呼、古典の権威は地に墜ちたり。今にして之が復活を想ひ、古典の黎明を呼ぶにあらざれば、我が古典の精神は終に喪はれんのみ。」
くわえて、『文藝文化』が今日注目されるのは、自決した三島由紀夫が作家として成長した因縁の雑誌であり、また敗戦直後自決した蓮田善明が国文学者として燃焼した同人誌であること、さらに若き日の棟方志功が表紙・カットを担当しているという浪曼的要素によるところも大きい。
『文藝文化』が国文学史上、どのような位置を占めていたのか、また日本浪曼派との関係はどのようなものであったのか、その内包していた思想はいかなるものであったのかは、今日でさえ、明らかにされていない。これまで『文藝文化』に対しさまざまな批判が寄せられてきたものの、その発生根拠にまで立ち入った内在批評は、試みられていないのが実状である。
三十年以上前に小社が復刻版を発行した折には、瞬く間に品切れとなった本誌をここに待望の再復刊がオンデマンドにより実現した。
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