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アーネスト・サトウの生涯 −その日記と手紙より−

東西交流叢書 第10巻
アーネスト・サトウの生涯 −その日記と手紙より−

イアン・C・ラックストン 著
長岡祥三・関口英男 訳

A5判 上製 580頁 2003年刊 ISBN 978-4-8419-0316-4

定価8,925円(本体8,500円+税5%)


アーネスト・サトウ
外交官かつ一流のジャパノロジストであったサトウの生涯を、少年時代から45年に及ぶ外務省時代、引退後に至るまで、日記と手紙を中心に描く。
アーネスト・サトウ


日本への想像をかきたてたもの 

サトウ(左)とホウズ
(THE JAPAN PUNCH 1881年より)

 

 女性旅行家イザベラ・バードは、学者としてのサトウの評判を「日本人自身が他に追随を許さないと認めているほどだ」と書いている。彼の日本研究を駆り立てたものは何か?
 サトウがユニヴァーシティ・カレッジに通っていた頃、『エルギン卿遣日使節録』を偶然に読んだことに始まる。これほどサトウを魅了したものは他にない。
「空がいつも真っ青なこの国の、絵のような美しい色鮮やかな描写」「幸福な島国」、そんな日本を訪れる機会が来るとはサトウは夢にも思わなかった。
 この後、『ペリー日本遠征記』を読んだ彼は、日本に対する興味にますます拍車がかかり、「それ以来、他のことは何も考えられなかった」と記している。

サウサンプトンを出航―1861年11月4日

 サトウが出航する年の7月5日、江戸の東禅寺(英国公使館)が襲われ、『遣日使節録』の著者ローレンス・オリファントが重傷を負ったというタイムズの報道に、あこがれの国、日本に対して言い知れない複雑な気持ちを抱いたサトウは、荷物の中にそっと拳銃を忍ばせる。

1862年9月8日、日本へ

 「それはまさに日本的特徴である輝かしい日々の一日であった、江戸湾にそって進んでいくと世界中これに勝る景色はないと思われた」サトウの筆は喜びに踊る。さらに、1862年から69年までの日本駐在の初期の時代は「私の人生で最も活気に満ちた時代」と日本研究への情熱をつづる。
 本書はサトウの業績を跡づけるために、日本のみならずシャム、ウルグアイ、モロッコ、北京等に駐在した45年間におよぶ外務省勤務から、引退後の1929年までの生涯を日記と手紙でたどり、サトウ研究を通観する。


目 次
序 文

第一章

生い立ちと少年時代(1843〜1862年)
サトウの家族および子供の頃と学校時代−「幸福な島国」−清国で不本意に長く待たされる−やっと古き日本へ

第二章

日本駐在の初期(1862〜1869年)
日本における一外交官−日本語の勉強−リチャードスン殺害事件(生麦事件)−鹿児島の砲撃−サトウとウィリス−サトウとオルコック−故国からの手紙−下関(準備行動)−下関(海軍の行動と講和の締結)−砲艦外交−ボールドウィンとバード(鎌倉事件)−条約の批准−『英国策論』、明治維新の促進者か?−父からの電報−サトウとミットフォード−江戸への移転−長崎でのクリスマス−鹿児島と宇和島−サトウと西郷−門良院−最初の大坂訪問−サトウとワーグマン−大坂から江戸への陸路の旅−新潟−七尾から大坂へ−大坂と徳島−土佐と長崎−宿舎の変更−将軍政治の没落−サトウの昇進−伏見での交戦が始まる−備前事件−初めての京都訪問−切腹の儀式−京都(天皇の謁見)−江戸への帰着と大坂での謁見−若松城の攻略と天皇の江戸城への入城−1869年、江戸における天皇の謁見−サトウ、賜暇のため離日する

第三章

日本(1870〜1883年)
W・G・アストン−鉄道建設の計画−1870〜1871年、アイヌ民族−日本へ帰着−岩倉使節団−日本におけるキリスト教−1872年、旅行−日本アジア協会−1873年−征韓論−1874年−台湾出兵−1875年−1876年−二等書記官−薩摩の反乱−F・V・ディキンズ−B・H・チェンバリン−1878年−朝鮮への派遣−1879年−沖縄−1880年−朝鮮−1881年−英国の王子たちの来日−1882年−不平等条約の改正−1883年

第四章

不毛の歳月(1884〜1894年)
概要−シャム(1884年3月〜1887年4月)−バンコクからアストン家に宛てた書簡−シャムにおける一外交官−シャムから日本を訪問(1884年10月および1886年6月〜8月)−サトウ、シャムを離れる−英国のヨーロッパでの賜暇−サトウ、英国国教会の堅信礼を受ける−ウルグアイ(1889年5月〜1893年6月)−F・V・ディキンズ宛の手紙(1891年1月〜1893年6月)−モロッコ(1893年8月〜1895年5月)−フェズからの手紙−スルタンの謁見−F・V・ディキンズ宛の手紙(1893〜1895年)

第五章

日本(1895〜1900年)
1894年の日英通商航海条約−下関条約と三国干渉−新しい日本−サトウの日記と手紙−英国におけるサトウ−内閣の変動−日本へ到着−ソールズベリー卿への手紙とその返事−「日本に向けた良い航海」−朝鮮での武力事件−1896年−カリュー事件、恋情の絡んだ犯罪−1897年−英国での賜暇−サトウの日本への帰国−1898年−隈板内閣−1899年−1900年、戦争が起こるのか?−ソールズベリー卿からの電報−日本への別れ−英国での賜暇−栄太郎の英国への到着

サトウ(左)は日本アジア協会の創立者の一人
(THE JAPAN PUNCH 1872年より)

第六章

清国(1900〜1906年)
義和団事件と最終議定書−義和団事件の起源−英国でのサトウ−日本経由で清国へ−満州問題−1901年−1902年−日英同盟−ロシア軍の部分的満州撤退−英国での休暇−1903年−日露間に衝突近し−サトウ、清国に戻る−1904年、日露戦争−1905年−駐清公使としてのサトウの評価−清国から日本経由で英国へ−サトウの最後の日本訪問−米国経由で英国に向かう−サトウとサー・クロード・マクドナルド

第七集

引退生活(1907〜1929年)
引退に関する記事『英国伝記大辞典』−同じくジャン女史の学位論文−新聞の紹介記事−1907年−『清帝国』への序文−ハーグにおけるサトウ(1907年6月〜10月)−ケンブリッジ大学でのリード記念講義(1908年)−発表した諸著作−『外交実務案内』初版の序文−『日本における一外交官』の完成−国際保証条約−『英人サトウ家の年代記』−オタリー・セント・メアリー−ボーモント・ハウス−アストン宛の手紙−F・V・ディキンズからの手紙−サトウとJ・H・ガビンズ−サトウとL・B・チャムリー−英国の家族からの手紙−武田一家−サトウの最後の日記の記載?−典型的な日記の記載例

あとがき アーネスト・サトウの再評価
     書誌学者としてのサトウ−不当にひどい取扱い−サトウ文書−サトウの個性


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NET PINUS 55より 
王子のみやげ ―アーネスト・サトウにまつわるエピソード―
オリファントへの襲撃(『描かれた幕末明治』より)

アーネスト・サトウ関連文献
THE JAPAN PUNCH 復刻版 ジャパン・パンチ 1862〜1887(文久2年5月〜明治20年3月)

金井圓 解説 B5判 上製 全10巻 総3,100頁 
定価178,500円
(本体170,000円+税5%)ISBN 4-8419-0263-5

『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の特派員画家として1861年に来日したチャールズ・ワーグマン(1832-1891)は、東禅寺事件などの政治・歴史的事件のみならず、風俗や日常生活を25年間も報道し続け、高く評価されている。彼が創刊した本書は、ポンチ絵といわれる独特のタッチに諧謔と風刺を織り込み、幕末・明治の動乱期を活き活きと伝えている。


THE FAR EAST 復刻版 ザ・ファー・イースト

所三男 解説 A4判 上製 全7巻 総1,932頁 
定価168,000円
(本体168,000円+税5%)ISBN 4-8419-0265-1

日本語新聞『日新真事誌』などの創刊や『ヤング・ジャパン』の著者として知られるイギリス人ジャーナリスト、ジョン・レディー・ブラック(1827-1880)が創刊した写真入り隔週刊新聞。560枚もの歴史的写真の大部分はオーストリアの写真家モーゼルが撮影。幕末・明治期の写真として貴重なもので、明治期ジャーナリズムの先駆として評価が高い。


  セーリス日本渡航記/ヴィルマン日本滞在記 ネズミはまだ生きている 幕末の駐日外交官・領事官 描かれた幕末明治 クラシカ・ヤポニカ