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雄松堂雄松堂出版国語・国文学>複刻版「歌舞伎」

日本のリトルマガジン」第5弾

複刻版 近代文芸雑誌稀少十誌


紅野敏郎(早稲田大学名誉教授・日本近代文学館常務理事) 編集・解説

歌舞伎創刊号 第1期 第1−43号(明治33年〜36年)
菊判 上製 全7巻 ISBN 978-4-8419-0538-0(set)
定価220,500円(本体210,000円+税5%)

森鴎外、坪内逍遙らが活躍した演劇雑誌
明治から大正期の演劇史の貴重な資料

歌舞伎発行所発行「歌舞伎」第1〜175号(明治33年1月〜大正4年1月)を全45冊(予定)に合本、7回に分けて配本。解説巻(宗像和重解説+総目次/索引)つき。

*全巻予約いただいた方に進呈!
「歌舞伎 総目次」簡易版(菊判三百頁予定)※ 最終巻に収録予定の総目次の暫定版

※ 「日本のリトルマガジン」既刊分については、お問い合わせください。

演劇雑誌「歌舞伎」のもつ意味

紅野 敏郎

 「歌舞伎新報」(明治12〜30)にひきつづいて、この「歌舞伎」(明治33〜大正4)一七五冊、さらに「演芸画報」(明治44〜昭和18)の三誌を一貫して眺めれば、明治から大正にかけての総合的な演劇史の現場が押さえられる。とくに「歌舞伎」は、森鴎外の弟篤次郎、筆名三木竹二(「三木」は、本姓の森をわかち、本名の冠を採って名づけたもの)によって創刊され、編集も三木が主軸。歌舞伎はもとよりのことだが、当時の演劇界全体の諸状況を把握。鴎外をはじめとする多くの人の協力を得て、泰西戯曲の翻訳も掲載され、劇界の指導的役割を果たした。
 創刊号の表紙の字は尾崎紅葉。歌舞伎の原点というべき阿国歌舞伎を示す絵の意匠は、中村不折が担当した。劇評と評論と考証を三本柱として、新富座、春木座、真砂座、市村座などの劇場上演の細評を、三木竹二・竹の屋主人(饗庭篁村)・大槻如電・伊原青々園・幸堂得知らが分担して寄稿。論説は春のや主人(坪内逍遙)、史伝は西田菫坡が担当。第2号より劇評、合評という新形式を導入、彼らのほかに右田寅彦・鈴木春浦・川尻清潭・鏑木清方・条野採菊らが時に応じて加わり、脚本、演出、演技などについて、然るべき発言をしている。それがこの「歌舞伎」誌上の伝統としてながらく続けられた。
 三木竹二は、東京帝国大学医科大学(のちの東大医学部)を卒業し、助手を経て、日本橋蠣殼町に内科医を開業。学生時代から役者評判記や錦絵などを集め、「歌舞伎新報」に劇評を連載、また兄鴎外主宰の「しがらみ草紙」にも寄稿。妻久子(筆名真如)も、芝居好きの家庭に生れ、女形の観察にすぐれ、「歌舞伎」のもうひとつの柱ともいうべき芝居の型の記録に協力した。団十郎や菊五郎の没後は、青々園らとともに劇談会を組織し、俳優も参加して、「寺子屋」や「忠臣蔵」などの型の保存、記録に力を傾けた。川尻清潭・鈴木春浦・杉贋阿弥らや人形遣いの吉田国五郎までこれに加わった。古典演劇演出の伝統保存の実態が、この「歌舞伎」誌上よりうかがえる。
 歌舞伎のみならず、新傾向の演劇、泰西戯曲にも強い関心を示し、川上音二郎の「オセロ」「マーチャント・オブ・ヱ・ニス」、鴎外の「玉匣両浦嶋」「日蓮上人辻説法」、逍遥の「桐一葉」などの上演については、多くの人の批評、当事者の談話なども掲載。やがて付録のかたちで長谷川時雨・川村花菱・北原白秋などの創作戯曲も載るようになった。イプセン作、千葉掬香訳の「建築師」はじめ、メーテルリンク、ストリンドベルグ、ワイルドなどの翻訳も掲載、鴎外は「ギヨウテ」を連載。舞台写真も多く、画報的要素と資料的要素を兼備。三木は明治42年1月10日に死去、そこで「歌舞伎」は百号記念と三木の追善をあわせた特集を編んだ。三木の遺稿「伊勢音頭の話」の写真をトップに、饗庭篁村・高安月郊・山崎紫紅・喜多村緑郎・関根默庵・田村成義・森久子の追悼文をはじめ、パリにいた上田敏の鴎外宛書簡、小杉天外らの手紙、平野万里の短歌なども掲載。西田菫坡は「芝居好きまた見巧者と今はたゞをしむばかりの評判記なり」の一首を手向けている。この特集号から三木の存在の大きさが伝わってくる。伊原青々園は「早稲田文学」や「新小説」などにも三木の死を悼んだ文を書き、その後は彼が編集の中心となった。

(早稲田大学名誉教授・日本近代文学館常務理事)

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