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阿蘭陀宿長崎屋の史料研究(片桐一男 著)書評
「洋学史研究 第25号」(2008年4月刊)より

片桐一男著『阿蘭陀宿長崎屋の史料研究』(松本英治)


 この度、洋学史研究会会長の片桐一男氏によって、『阿蘭陀宿長崎屋の史料研究』が上梓された。著者は、すでに、『阿蘭陀宿海老屋の研究』(思文閣出版、1998年)、『京のオランダ人』(吉川弘文館、1998年)、『江戸のオランダ人−カピタンの江戸参府』(中央公論新社、2000年)、『レフィスゾーン江戸参府日記』(雄松堂出版、2003年)などを通じて、オランダ商館長の江戸参府と阿蘭陀宿の存在が、日蘭の人的・物的交流や蘭学の発展に大きな役割を果たしてきたことを解明してきた。これらの研究のうえに立って、最も著名で、果たした役割もひときわ大きい、江戸の阿蘭陀宿長崎屋を調査・追究したのが本書である。
 江戸の日本橋本石町にあった長崎屋は、あいつぐ火事によって一切の記録類を失っている。ここに長崎屋の実態が見えてこなかった理由があるわけだが、著者は、長崎屋自体に史料を求められない以上、その周辺に探索の手を広げて関係史料の収集に努めてきたという。その成果は、これまでにも、「長崎屋の類焼と転宅」(『洋学史研究』第8号、1991年)などで発表されてきたが、今回、著者が永年にわたって収集してきた関係史料の翻刻に加え、そこから読み取れる長崎屋をめぐる諸問題を考察して、一書にまとめられたわけである。

 本書は、I 史料、II 史料解説、III 長崎屋をめぐる諸問題、の三部構成をとる。「史料研究」と題するように、長崎屋に関する「史料」とその「研究」から成っている。

 まず、本書に翻刻・収録された以下の史料について、著者の解説をふまえて簡潔に紹介したい。なお、巻末には、行き届いた「人名索引」と「事項索引」が付されており、内容の検索に至便である。
  [史料一]江戸番通詞江戸逗留中勤方書留
  [史料二]蘭人参府中公用留
  [史料三]蘭人参府御暇之節検使心得方
  [史料四]参府之阿蘭陀人逗留中出役致候節書留
  [史料五]嘉永三戌年二月参府阿蘭陀人逗留中詰切出役書留
  [史料六]御用書留日記(嘉永三年分)
  [史料七]長崎屋娘の手紙二種
  [史料八]その他の史料にみえる長崎屋記事
  [史料九]史料に登場する主要人物一覧
  [史料十]レフィスゾーンの江戸参府行程図
 [史料一]は、オランダ商館長の江戸参府において、江戸番通詞が江戸滞在中に行うべき事柄を列挙したものである。オランダ人一行が江戸滞在中に行う概要が把握できる。[史料二]は、長崎奉行組与力であった小笠原貢蔵が筆録した、天保9年(1838)と弘化元年(1844)の江戸参府における警備記録である。蘭学者が長崎屋を訪問する手続きなどがわかって興味深い。
 [史料三]〜[史料六]は、嘉永3年(1850)にレフィスゾーンが江戸参府を行ったときの記録である。著者によれば、江戸参府の記録が最もそろっているのが、嘉永3年の事例だという。[史料三]は、長崎奉行の用人荒井太右衛門の控、[史料四]と[史料五]は、江戸の町奉行の同心加藤太左衛門の筆録にかかる書留で、レフィスゾーンの『江戸参府日記』とあわせて、それぞれを対比させることで、江戸滞在中のオランダ人一行の行動とその諸手続、警備の状況と取り締まりに関する諸事項などが理解できる。[史料六]は、京都の阿蘭陀宿海老屋の日記である。
 [史料七]は、文政2年(1819)、長崎屋の娘つるとみのがブロムホフに宛てた蘭文と和文からなる手紙である。オランダ商館長と長崎屋の家族ぐるみの交流がうかがえる。[史料八]は、主に長崎奉行所や江戸の町奉行所の史料に見られる長崎屋関係の記事を抜粋したもので、長崎屋の家業の実態や類焼と転宅の経緯などを把握できる。

 これらの史料を前提に、著者は、長崎屋をめぐる諸問題として、(1)長崎屋源右衛門、(2)阿蘭陀宿としての長崎屋、(3)蘭学者のサロンとしての長崎屋の3点について、組織的な考察を加えている。
 (1)では、長崎屋源右衛門は、家業として代々阿蘭陀宿を御用として務めるとともに、唐人参座と和製龍脳売弘取次所を営んでいたことを確認する。そして、「人参座用意金」と称する口座を持ち、長崎関係の出納業務も担うとともに、開国後には蘭書の売捌所としての指定も受けたという。長崎屋は阿蘭陀宿として知られるが、オランダ人を宿泊させるだけで生計が成り立つわけもなく、長崎との関係を前提に、薬種・蘭書といった輸入品とその販売に依存する本業のあり方が注目される。さらに、著者は、長崎屋の場所・敷地・家屋、類焼と転宅を追究する。そのうえで、長崎屋は再建費用を、主として幕府からの拝借金とオランダ商館からの贈砂糖による補助に頼っており、その年賦返済には役料を宛てていたが、借財額は嵩む一方であったことを明らかにする。
 (2)では、門にオランダ幕を掲げる阿蘭陀宿としての長崎屋の姿を取り上げる。まずは、対比可能な嘉永3年の諸史料を駆使して、オランダ人一行の江戸滞在中、警備の実態はどのようなものであったのか、長崎屋はどのようなことをしたのか、などを検討する。つぎに、長崎屋におけるオランダ人の買い物と売り物、すなわち商品を売り込みに来る「定式出入商人」と献上・進物残品の売却を考察する。とりわけ、進物残品が「定式出入商人」である越後屋を通じて売却されている事例の紹介が注目される。総じて、長崎屋をめぐるヒトとモノの動きと幕府の管理の実態が解明されたことは、大きな意味をもつだろう。
 (3)では、長崎屋を訪問した人々として、青木昆陽・前野良沢・杉田玄白・大槻玄沢・鷹見泉石らをとりあげ、長崎屋におけるオランダ人一行との交流の諸相を考察する。蘭学者のサロンとしての長崎屋の役割は、従来からよく知られてきたところではある。だが、本書においては、これらの人物についての専論のある著者ならではの見解が随所に盛り込まれており、長崎屋が江戸の蘭学界に大きな貢献をしたことが、より深く理解できる内容となっている。

 最後に、感想めいたものではあるが、私が偶々目にした長崎屋関係の史料をあげ、本書の内容をふまえながら、2点ほど私見を述べさせていただきたい。
 本書を読んで、まずもって私が驚かされたのは、長崎屋の警備に関係する史料が、幕府役人のマニュアルブックとして複数残されていることである。これは、長崎屋に出入りする人々を幕府が厳重に統制下におこうとしたからに他ならない。このような幕府の統制が、シーボルト事件以降に厳しくなったことは、梶輝行氏が明らかにしているが(梶輝行「江戸時代後期のオランダ商館長江戸参府に関する研究」『泉石』第6号、2002年)、事件以前においては、もっと緩やかなものであったのかもしれない。江戸市中の風聞を記録した『巷街贅説』には、文政13年(1830)の江戸参府に関して、「去年天文方高橋作左衛門一件故にや、此度は旅宿長崎屋源右衛門方にても、御制禁厳にして、猥りに見物人抔は勿論不入、滞留中御徒目付出役等、新規に被仰付たる由なり、此前蘭人参りたる節は、予も長崎屋へ行て見たり」といった記事がある(『続日本随筆大成』別巻近世風俗見聞集9、吉川弘文館、1983年)。
 今後、本書の成果によって、内容をより正しく解釈できる長崎屋関係の史料も増えるに違いない。私の気づいた一例であるが、『天保雑記』には、天保15年(1844)に、オランダ人が持ち渡ったモルモットを売却するために、江戸市中に町触を出して長崎屋で入札を行った記事がある(『内閣文庫所蔵史籍叢刊・天保雑記(三)』汲古書院、1983年)。これまで、私は長崎屋で入札を行うのは漠然とオランダ人に関係のある場所だからと思っていたが、本書で明らかとなった進物残品の売却と類似のケースで、幕府の「御用モルモツト」が不要となったので、「長崎屋源右衛門於宅御払」となって入札が行われたと理解できるだろう。ちなみに、このモルモットを長崎から江戸まで運んだ普請役は、モルモットが旅中で出産して世話に手間がかかったという理由で、長崎屋の「人参座用意金」から手当を支給されている。

松本英治氏 開成高等学校教諭


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