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雄松堂書店出版事業部日欧交渉史>復刻版「プティジャン版集成」

プティジャン版集成

[復刻版]本邦キリシタン布教関係資料
プティジャン版集成

全23 点 1865(元治2年)−1873(明治6年) 分売不可
定価472,500 円(本体450,000 円)
第1回配本 12 点(2011年12月)
定価236,250 円(本体225,000 円)
第2回配本 11 点(2012年春予定)解説(高祖敏明 著)付
定価236,250 円(本体225,000 円)

*本書は一般書店では取り扱っておりません。ご注文・お問い合せは小社に直接お願いいたします。

 フランス人宣教師プティジャン(Bernard Thadée Petitjean 1829−1884)が、大浦天主堂で隠れキリシタンと出会ったのは1865年(元治2年)のことであった。来たる2015年にこのいわゆる「信徒発見」から150周年を迎えるにあたって、「秘密出版物」と言われ、今日では入手困難の貴重書である「プティジャン版」をできる限り原典に近い形で復刻した。禁教下での迫害と潜伏の時代に信仰を継承してきた、キリシタンたちの信仰生活のために出版されたこれらは、旧来のキリシタン版を手直ししたり利用して刊行したキリスト教入門書や祈祷書、要理書はじめ、プティジャン司教の書簡等が含まれる。今回は、信徒発見の1865年から禁教令が廃止となった1873年(明治6年)までに出版された23点を刊行する。

キリシタン版・プティジャン版 刊行年表

プティジャン版集成第I期 刊行予定
第1回配本(2011年12月)
No.
書  名
発行年
1 聖教要理問答 1865
2 Niffon no Cotoba ni Yô Confesion 1866
7 御久類寿道行のおらしよ 1869
10 王攵瑰花冠記録 1869
11 夢醒真論 1869
12 弥撒拝礼式 1869
13 聖教初学要理 1869
18 聖教初学要理 1872
19 煉獄説略 1872
20 くるすのみち行 1873
21 御婆通志与 1873
22 洗滌之秘跡之事 1873
第2回配本(2012年春)
No.
書  名
発行年
3 聖教初学要理 1868
4 聖教日課 1868
5 天主降生千八百六拾八年歳次戊辰瞻礼記 1868
6 御出世以来千八百六十九年明治二己巳歳御祝日付 1869
8 胡無知理佐旡の略 1869
9 とがのぞき規則 1869
14 ろざりよ十五のみすてりよ図解 1871
15 聖教日課 1871
16 プティジャン司教の司牧書簡 1871
17 教皇ピウス九世書簡 1872
23 聖経〔教〕理証 〔1873〕

*1865年から1873年までの23点を第I期とし、配本は2回に分ける。
*解説は、第2回配本に入れ、I期の内容を網羅したものとする。

「サンタ・マリアの御像はどこ?」(プティジャン司教の信者発見報告の書簡より)
―― 禁教下の幕末日本で隠れキリシタンたちと奇しき邂逅を果たした神父による最後の“キリシタン版”

第I期 収録内容

1 聖教要理問答 1865年 横浜 木版刷和装本

カトリック教会再宣教後最初の刊行物。ムニクーが、中国カトリック教会で使用していた教理問答書『聖教要理』を底本に日本語に読み下して編纂したもの。内容は「天地始マルの事」ほか、『ローマ公教要理』(1566年)に基づく。

2 Niffon no Cotoba ni Yô Confesion 1866年 パリ 洋装本

ドミニコ会のコリャドが1632年にローマで刊行したものの再刊。ローマ字邦文とラテン語の対訳形式で、信徒に質問する司祭、それに答える信徒の具体例をあげ、信徒にゆるしの秘跡を与えるための方法を教えている。

3 聖教初学要理 1868年 木版刷和装本

キリシタン版『どちりいなきりしたん』などに基づきプティジャンが編纂したカトリック教理の入門書。内容はキリスト教の歴史、使徒信経など。キリシタン用語を継承しているため、復活キリシタンの間に広く流布した。

4 聖教日課 1868年 長崎 石版刷和装本

教会の祈り37篇を集成したもの。キリシタン版『どちりいなきりしたん』や『おらしよの翻訳』などに所載で潜伏キリシタンが伝えてきたものをプティジャンが編纂し、キリシタンの伝統語を平仮名で示している。

5 天主降生千八百六拾八年歳次戊辰瞻礼記 1868年 石版刷 一葉

再宣教後最初の教会暦(典礼暦)。陰暦慶応4(1868)年のもの。「正月一日 さんぱうろあぽすとろのたちかへり」(陽暦1月25日)から「十二月廿九日 かなしみ節ニ入」(陽暦1869年2月10日)まで。

6 御出世以来千八百六十九年明治二己巳歳御祝日付 1869年 木版刷 一葉

明治2(1869)年の教会暦。前年同様プティジャンによるキリシタンの伝統語を用いたもの。「二月大五 日本きりしたんのしそんながさきの御どうにてはじめてみだし」(陽暦3月17日 信徒発見)など日本関係の祝日が記されている。

7 御久類寿道行のおらしよ 1869年 石版刷

「十字架の道行」は、キリストの受難、すなわち、キリストが十字架を担って歩んだ道を黙想しながら行う信心業。本書は潜伏キリシタンが伝えてきたラテン語やポルトガル語による、その信心業のための手引き書である。

8 胡無知理佐旡の略 1869年

「こんちりさん」(痛悔)の心得を記した同名のキリシタン版(1603年刊。伝本なし)の写本をプティジャンと阿部真造が復刻したもの。仮名書きを適宜漢字に当てるなど字句を改め、構成にも変化を与えている。

9 とがのぞき規則 1869年 〔上海〕 唐紙石版刷

プティジャンが1868年にローマの図書館で発見した、ゆるしの秘跡についての解説書・キリシタン版『サルバトールムンヂ』(長崎、1598年刊)を筆写して日本に持ち帰り、翌年「校正再刻」として出版したもの。

10 王攵瑰花冠記録 1869年

ドミニコ会員フアン・デ・ルエダが1623(元和9)年マニラで刊行した『ビルゼン・サンタ・マリヤの尊きロザリヨのハルヂン〔園〕とて花園にたとゆる経』(ローマ字本)を底本にプティジャンが漢字仮名交じり文に編纂したもの。

11 夢醒真論 1869年 上海 石版刷

長崎の唐通詞の書役からキリスト教に帰正した「帰正痴士」こと阿部真造による護教書。明治維新政府のキリスト教弾圧が日本の将来を誤るものと批判し、キリスト教こそが新しい日本の国民教化に貢献すると主張する。キリスト教禁制下にあっての知識人の入信動機とその思想を語るものである。

12 弥撒拝礼式 1869年 唐紙石版刷 和装本

ミサ聖祭にあずかる心得を式次第に従って解説し、オラシヨ(祈り)を添えたもの。
アニマやガラサなどのキリシタンの伝統語、冥加や功力などの仏教語、弥撒や神父などの中国キリスト教系の言葉が使用されている。版下は阿部真造筆。

13 聖教初学要理 1869年 〔上海〕 唐紙石版刷

『聖教初学要理』(1868年)の再刊本。
冒頭に「日本国切支丹宗之為に教皇より御免之事」として日曜日と守るべき祝日の遵守および大斎と小斎の日の飲食物の制限に関する説明が新たに加わっているが、大きな変化はない。

14 ろざりよ十五のみすてりよ図解 1871年 長崎

王攵瑰花冠記録』(1869年)のなかからロザリヨの祈りの観想すべき要点をまとめたもの。口絵に聖母子を囲む天使像、それに15の玄義(ミステリヨ)の要文と『王攵瑰花冠記録』と同じ挿絵15図で構成されている。

15 聖教日課 1871年

教会の祈りを集めた同名の書(1868年刊)の第2版。初版に比べて「聖母に向つて申べき誦」「聖霊よ来たり給え」など新たに六つの祈りが加わり、また、漢語の使用が増えているのが特色である。

16 プティジャン司教の司牧書簡 1871年2月5日付

1867(慶応3)年の長崎浦上の潜伏キリシタンに対する弾圧事件(浦上四番崩れ)、69(明治2)年の明治政府による信徒流刑に際し、プティジャンが信徒を慰め、激励するために送付した回状。
ローマ滞在中にキリシタンらの流配を知った悲しみ、日本26聖人に取り次ぎを頼んでいることなどを伝えている。

17 教皇ピウス九世書簡 1871年9月28日付 1872年2月印刷

教皇ピウス九世の在日宣教師および信徒宛ての激励状に司教の添書を付して印刷し、信徒に配布したもの。漢文調でありつつも、なお「聖神(※すぴりとさんと)のがらさの光りに導かれ」などとキリシタンの伝統語も駆使している。

18
聖教初学要理 1872年 〔横浜〕

「再刊」の角書が加えられているが、改訂増補三版で、横浜で刊行されたと思われる。内容においては再刊本とまったく変化がない。

19 煉獄説略 1872年 洋紙石版刷 洋装本

中国カトリック教会で使用の林問漁(ローレント)『煉獄説略』(上海、1871年)を抄訳したもの。漢語の「煉獄」は表題のみに使われ、本文にはプルガトリヨと見られるように、伝統のキリシタン用語が使用されている。

20 くるすのみち行 1873年 唐紙石版刷 和装本

『御久類寿道行のおらしよ』(1869年)の再刊本。プティジャンが横浜に移った後の刊行と思われる。初版本に比較して全体に黙想の仕方と祈りが詳しく、新たに編纂したものと思われる。

21 後〔御〕婆通志与 1873年 洋紙石版刷 洋装本

外題は「御苦難所之略」、内題は「後婆通志与」。プティジャンがマニラで入手したキリシタン版『スピリツアル修行』(長崎、1607年刊)の「四巻のエワンゼリヨを集めて翻訳したる御パツシヨンのテスト」を底本とし、多くの漢語を用い、キリシタン用語を振り仮名にして翻刻しなおしたもの。

22 洗滌之秘跡之事(※ばぷちずものさがらめんとのこと) 1873年 洋紙石版刷 洋装本

洗礼について解説したもの。漢語を多く用いているが、キリシタン用語の振り仮名を付しており、また「水方」などの用語の使用から、潜伏キリシタン関係者または彼らが伝えてきた写本の存在をうかがわせる書である。

23 聖経〔教〕理証 〔1873年〕〔上海印刷 横浜刊〕 唐紙石版刷

中国で宣教に従事していたラザリスト会の司教斯徳範(アルブラント)編の同名のキリスト教護教書を底本とし、和訓本として出版された。神の正義や霊魂の不滅など44の問題を中心に論じている。

復刻にあたって

 当社はこれまで「きりしたん版集成」「南欧所在 吉利支丹版集録」「復刻版 キリシタン版精選」など、キリシタン版の数々を復刻し世に送り出してまいりました。今回は、これらのキリシタン版から時を隔てること約250年、幕末に大浦天主堂で隠れキリシタンと劇的な邂逅を果たしたことで知られるプティジャン神父が手がけたいわゆる「プティジャン版」を復刻いたします。明治初期にまでおよぶ禁教令下、「秘密出版物」扱いだったプティジャン版はいまや入手困難ですが、キリシタン版との関連はもとより文化史的な側面からもこれからの研究が大いに期待されるところです。


 「プティジャン版」刊行にあたって

上智大学キリシタン文庫所長 高祖敏明
 ここに復刻するプティジャン版は、「秘宝」と評価されてよい。
プティジャン(Bernard T. Petitjean)とは、幕末の開国直後に日本に渡来したカトリックのフランス人宣教師である。彼の名が歴史に刻まれているのは、1865年3月、長崎の、建築されて間もない大浦天主堂で潜伏キリシタンと劇的に出会った当事者だからである。いわゆる「信徒発見」、迫害下の信徒からすれば「神父発見」である。
 以来、潜伏キリシタンを「復活キリシタン」へと導く努力と、「切支丹御禁制」という政治的処置からの解放を勝ち取る闘いが始まる。後者は、明治新政府の岩倉欧米遣外使節が訪れた先々で強い抗議と批判を浴びるに及んで、1873年2月に禁制の高札が撤去され、限定的ながら信教の自由が認められたことによって成果を上げた。
 一方、前者の努力の一環で、司教となったプティジャンの認可を得て編まれた教書類がプティジャン版である。広義では、彼が死去する直前の1883年までに出版された約60種の図書・暦・手紙類を含むが、狭義では、高札撤去までに秘密出版された21種を指す。今回は、「秘宝」としての価値の高い、狭義の21種23点を復刻してその全貌を紹介する。
 ここには、潜伏キリシタンが250年にわたって伝写してきたもの、マニラやローマで探し出した往時のキリシタン版を改編したもの、中国のキリスト教書の系譜を引くものなど、多彩な宗教書が含まれている。これら秘められた歴史の証言は、キリスト教史や宗教文学にとどまらず、宗教社会学や文化交渉史、国語史、翻訳論、印刷文化史などからも注目されよう。

■復刻にあたって

カトリック長崎大司教区 大司教 ヨセフ 高見三明
 2015年3月17日に、日本の教会は浦上のキリシタンとプティジャン神父との出会い、いわゆるT信徒発見U150周年を迎えます。この記念すべき節目に向かう今、プティジャン版の復刻版が発行されることは、大変時宜を得た、意義あることだと思います。
 プティジャン版は、プティジャン司教が、260年におよぶ迫害と潜伏の時代を経て信仰を継承してきたキリシタンたちを教会に迎え入れるに際して、彼らの信仰生活のために新たに出版した書物です。今回の復刻版は、キリスト教入門書、要理書、祈祷書、ミサやゆるしの秘跡に関するもの、十字架の道行きやロザリオといった信心業に関するもの23点です。これらの書物は、キリシタンたちが代々信仰の遺産を命がけで生き受け継いできた軌跡を示すと同時に、キリシタンたちの信仰の遺産の本質的な要素を保持しつつ修正を加え適切な形に整えるために、プティジャン司教が、どれほど知恵と忍耐、そして喜びと希望をもって出版に情熱を注いだかをも物語っています。これからの日本の宣教を考える上でも生きた信仰の証しと有益な示唆を与えてくれるものと思います。

■プティジャン神父と隠れキシリタン

作家 加賀乙彦
 長崎の大浦天主堂の祭壇の右手に、プティジャン神父と隠れキリシタンとの出会いがあった場所が保存されている。それは1865年(慶応元年)3月17日のことであった。数人の村人たちが神父に向かって、「あなたの宗教とわれわれの信仰とは似ているが」と話しかけたのだ。それは1612年(慶長17年)の徳川幕府の禁教令が出て、キリシタン迫害が日本全国におよび、多くの殉教者をだしてから、実に253年後の出来事であった。隠れキリシタンとは、踏み絵を踏み、表面上は仏教徒として暮らしながら、自分たちの信仰を守っていた人々であった。
 私は大浦天主堂に行くたびにこの歴史的な邂逅を思い出し、隠れキリシタンたちの信仰の深さに頭を垂れるのだった。
 その時、プティジャン神父が、鋭く、隠れキリシタンが、キリスト教徒であることを見抜き、その後も続く、幕府と明治新政府のキリシタン迫害をやめさせるために全力を尽くす姿に、また日本への新しい布教が開かれていく歴史の歩みに感動を覚えるのだ。
 今回、貴重なプティジャン版の復刻再現を雄松堂が行うという。これによって、これまで「秘密出版物」として闇にほうむられてきた文書が明らかになることは、キリシタン史の真実を知るためには実に貴重な快挙だと言える。キリシタン禁制が撤廃されるのは、1873年(明治6年)であるから、日本は実に261年の間、キリスト教を弾圧してきたので、その禁止令を破る歴史が明らかにされるのは嬉しいことである。

■復刻に寄せて

天理図書館司書 崎 順一
 プティジャン神父が日本教区長である横浜のジラールに宛てた1865(元治2)年3月18日付書簡によると、この前日12時半頃、浦上から男女小児十数名の集団が前月に公開したばかりの大浦天主堂にやってきた。中に入れると一人の婦人が「ここにいる皆」がプティジャン神父と「同じ心」であると語り、「さんた・まりあ様の御像」を訊ね仰ぎ見て、まりあ様が御腕に「おん子ぜずす様」をお抱きになっている、といったという。
 早くもこの年、『聖教要理問答』が出版された。二百数十年の間伝えられてきた隠れきりしたんの信仰を糺すためである。日本語への翻訳もさることながら、江戸時代の印刷故、墨書した原稿を版下にした五十三丁の整版本で、勿論秘密出版である。
 慶応3(1867)年に浦上四番崩れが起こり、プティジャン神父は事件の報告と援助を求めにローマへ赴く。3000数百名の隠れきりしたんが捕えられて、この問題は明治政府へと引き継がれ、江戸幕府以上といわれる厳しい拷問によって六百数十名が命を落とした。彼らが許されたのは明治6年になってからのことで、隠れきりしたんが棄教を迫られている間に『聖教日課』など20数種のプティジャン版と通称される出版物が作られ、配られている。
 プティジャン版の全体像は、未だ詳らかになっていない。本集成の出版を心待ちにするところである。


プティジャン版

プティジャンのもとで1868年(慶応4)年から1883(明治16)年にかけて横浜や長崎などで出版されたキリスト教布教用の出版物。約60種あるといわれている。キリシタンが秘蔵したキリシタン版や、彼らが口伝や写本で伝えた「おらしよ」、プティジャンがマニラやローマで入手したローマ字本を原本として、森松次郎や阿部真造(貞方良輔)らが筆写し、ド・ロの指導で石版印刷したもの(一部木版刷もあり)。過去に出版されたキリシタン版の手直し(『どちりいな・きりしたん』→『聖教初学要理』、『サルバトール・ムンヂ』→『校正再刻 とがのぞき規則』、『ろざりよの経』→『王攵瑰花冠記録』など)が多いが、なかにはキリシタン版刊行時の原本が現存しないものもあり、またキリシタンの伝統語と仏教語、漢語が混在した文体など、西洋語・西洋文化受容史、国語史、印刷文化史的にも注目される史料である。

ベルナール・タデー・プティジャン
Bernard Thadée Petitjean(1829−84)

フランス生まれ。1853年に司祭となり、1859年パリ外国宣教会に入会。1860(万延元)年那覇に上陸して日本語を学び、1862(文久2)年横浜に上陸。翌年長崎に転任し、1865(元治2)年大浦天主堂の献堂式を挙行。同年3月17日、大浦天主堂にて潜伏キリシタンと邂逅、これがいわゆる「信徒発見」である。1866(慶応2)年日本代牧に就任、1867(慶応3)年浦上四番崩れ(信徒弾圧事件)が起きると、教皇の援助を願うためローマに赴き、石版印刷術を修得したド・ロを伴って1868(慶応4)年に再来日、プティジャン版の出版を開始。1873(明治6)年禁教令が廃止の前後に、横浜に幼きイエス会、神戸にショファイユの幼きイエズス修道会を招聘するなど布教に力を注ぐ。1884(明治17)年死去、大浦天主堂の祭壇の下に葬られた。


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