吉田松陰の密航時の悲劇図書新聞2002年11月2日号掲載
新異国叢書第III輯第4巻 スポルディング日本遠征記/オズボーン日本への航海(島田孝右/島田ゆり子 訳)

 国のあり方が問われている、国債格下げは歴史の転換点か、大きな動揺が広がる。使い道を知らない貯金大国は海外より酷評されている。日銀・金融当局の無能は悲劇の幕開けか。150年前に外圧の高まりを感じ「めざめよ」と叫んだ人がいた。吉田松陰、彼はいち早く異文化理解の最前線に出たために、大悲劇がまっていた。「猛省録」に10日で10冊の本を読み「一日わずか一冊のみ」となげき、次の10日間で18冊、その次の10日間で23冊を、と読書量は超人的であった。「真に日本国を知らずして漫然と生きていてどうするものか」と自分自身を叱っている。
 松陰が言う「日本を知る」のにぴったりの書物が刊行中の新異国叢書である。この叢書は1549年のイエズス会の日本通信で始まる外国人の観察・記録した壮大なドキュメント集である。その一冊に松陰25歳の密航時の嘆願状事件の記録がある。開国に大きな役割を果たしたペリー艦隊ミシシッピ号艦長書記スポルディングの航海記『日本遠征記』である。その一節に「この不運な熱血漢たちが、彼らの閉ざされた帝国を超えた大きな世界を一目見ようとして、私の上着の胸に入れたものがあり、その手紙の丹精なはっきりと書かれた文字は、言葉の意味が理解できない者でさえ、知性と分別の人の手で書かれたことが良くわかる」と記述されている。
 この託された手紙は1854年のペリー再来時の富士山下田での松陰(瓜中万二(くわのうちまんじ)と偽名を使って)の密航計画を記したものである。「胸の中で悶々として、口にすることもできず、 ……法律を犯すことになっても、五大陸を周遊できるように、穏密にあなた方の艦隊に乗船し、航海する……どうかわれらの願いを軽蔑せずに実行できるようにしていただきたい……」4月11日付と「明日夜人がいなくなってから柿崎の海岸ちかくの人家がない所に小舟で行きます、会って下さいますよう」4月25日付の手紙の2通である。結局ペリーは受け入れず、大きな逸材を失うことになる。
 叢書について以前大仏次郎氏は「小説よりおもしろい」と、また最近では吉村昭氏は「日本の姿が鮮明に浮び上っている」と述べている。

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