| 1883 | 2月20日、宮城県石巻町に父直温、母銀の次男として生まれ、幼少時を東京麻布で育つ。 |
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| 1906 | 学習院高等科を卒業、東京帝國大学英文科に入学、のち国文科に転科。 |
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| 1910 | 武者小路実篤、有島武郎らと「白樺」を創刊。「網走まで」など発表。東京帝國大学を中退。 | |
| 1912 | 「大津順吉」を「中央公論」に発表。「暗夜行路」の前身「時任謙作」の執筆にかかる。 |
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| 1913 | 「清兵衛と瓢箪」を発表。第一創作集「留女」を刊行。 |
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| 1914 | 勘解由小路康(カデノコウジサダ)と結婚。この年以降3年間創作の筆を断つ。 |
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| 1917 | 対立していた父と和解。「城崎にて」「和解」などを発表。 |
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| 1920 | 「小僧の神様」「焚火」などを発表。 |
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| 1921 | 「暗夜行路」(前篇)を「改造」に連載。「灰色の月」を「世界」に発表。 |
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| 1937 | 「暗夜行路」を完結。改造社版「志賀直哉全集」(全9巻)を刊行。 |
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| 1949 | 文化勲章をうける。 |
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| 1955 | 岩波版「志賀直哉全集」(全17巻)を刊行。 |
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| 1971 | 老衰のため死去。青山葬儀場に於て無宗教による告別式を挙行。 |
「白樺」創刊号に「網走まで」を発表した初期から適確にして簡潔な短編小説の世界を構築、客観小説と私小説とをあわせて発表。寡作にして、芥川龍之介はじめ大正期の文学者より敬愛を受ける。唯一の長編「暗夜行路」は近代的苦悩を背負った人間の「潔癖な魂の発展史」をテーマに取り上げた、近代日本文学の代表的作品である。その完成後は身辺雑記的随筆が主となったが、文学史上において、強い倫理観、鋭い感受性、強靱な自我にささえられた作風は、大正・昭和を通じて多くの文学者の指標となった。
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