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雄松堂>ほんの世界はへんな世界 第12回

本の世界は変な世界
高宮利行氏について

慶應義塾大学文学部高宮利行教授(イギリス好古家協会フェロー(FSA)、シェフィールド大学名誉博士)は、古書体学、書物史、中世イギリス文学、アーサー王文学の領域で多くの業績がある、国際的に知られた学者であり、日本中世英語英文学会会長、新チョーサー学会理事、国際アーサー王学会日本支部長、POETICA編集委員長などを歴任してきました。現在、本に関する情報サイト『本のある時間』編集長。日本での西洋稀覯書研究において第一人者である高宮教授に隔月で古書に関するちょっと変わったお話をしていただきます。

ほんの世界はへんな世界 第十二回
TAKAMIIYA ESSAY ON BOOK (XII)
一見の価値あり!
モホリン製本

グリーンストリート
Green Street.
 1970年代後半に3年間の留学生活をイギリスのケンブリッジで過ごした私は、街の中心グリーン・ストリートにあったザ・ブックルームと呼ばれる小さな古書店に、連日通っていた。店の奥には、昔から知られたグレイという製本工房もあった。古書店主のエドワード・サール氏は70歳に近い老人で、ごま塩の口ひげがよく似合う紳士だった。ペンブルック・コレッジでマスターを務めた祖父ゆかりの奨学金をもらったサール氏は、ケンブリッジ大学を卒業すると外務省に入り、長く英領ウガンダに滞在した。あの暴君で知られたアミン大統領とも顔なじみだと言っていた。一生独身を通したサール氏は、外務省を引退後はケンブリッジに戻って、長年趣味としてきた古書収集の知識をもとに、ささやかな古書店を開いたのだった。私が留学する直前のことだった。
 ブックルームには雑多な古書が並べられていたが、付けられた値は総じて低かったから、私の古書仲間はよく通っていた。近くの古書業者が「あいつは養う家族が誰もいないから安くできるんだ」とうそぶくほどだった。現在はトリニティ・コレッジ図書館長のデイヴィッド・マキトリック博士や大学図書館のNo.2だったデイヴィッド・ホール氏なども、30歳を過ぎたばかりの収集家だったが、よくこの店で鉢合わせしたものだ。私たちは、昼食はサンドイッチで済ませ、残りの昼休みは書店から書店と飛び回るオタクだった。

 あるとき、ここで珍書を入手した。戦前のわが国でも江湖に迎えられた詩人ウォルター・スコットの『湖上の美人』に、挿絵としてたくさんの風景写真を貼りこんだ詩集で、1871年にエディンバラで出版されたものだ。別に値のはる初版でもなく、手沢本でもなかった。私の目を引いたのはその製本だった。表表紙の中央には、スコットの肖像が組み込まれ、裏表紙の中央にはエディンバラの目抜き通りに立つスコット記念碑の写真を配していた。地は緑のタータン・チェックで、表表紙にはそのタータン模様が許されたハイランド氏族名のひとつ、Forbesという苗字が金で打刻してあった。さらに、裏表紙の左上には、四方に置かれていたであろう貝殻製の鋲のひとつが残っていた。赤い革の背には、緑色の盾があしらわれ、中には作品名とスコットの名が金で印字してあった。しかも三方金だったから、製本された当時でもかなり値段の高いギフト・ブックだったと考えられる。それが証拠に、見返しには「心をこめてフォーブス夫人へ、1886年9月」というペン書きの献辞が添えられている。フォーブスといえば、あの経済雑誌で名高いフォーブス家を思い浮かべるが、長い家系図のどこかに位置するのであろう。
 今まで見たことのない製本だったので、サール氏に尋ねてみると、これはモホリン製本というそうだ。そこで製法について説明を受けたはずだが、詳しくは覚えていない。スコットと並ぶスコットランドの英雄詩人ロバート・バーンズの生まれ故郷モホリンで、1930年代までほぼ1世紀にわたって続いた工芸細工だという話だった。いささか擦り切れた感じの本書には25ポンドという値が付けられていた。まだポンド700円の時代だったから、かなり高額という感じがしたが、これを買い求めた(現在では同種の古書は10万円する場合もある)。そして、19世紀のエディンバラなどの都市にある書店では、タータン別のモホリン製本がずらりと並んでおり、それを買ったり贈られたりする人物は、次の間のテーブルにこの詩集を置き、来客がこれを愛でるのではないか、と勝手な想像を巡らせた。それは、裏表紙にわずかひとつ残る貝殻の鋲は、この本が書棚に立てられるのではなく、テーブルに置かれることを示唆していたからだ。

19世紀の製本所
19世紀の製本所
 2006年の秋、大学院の授業で慶應義塾図書館に眠っているフィリップ・ギャスケル蔵書の分析を行うさい、今年はイギリスの版元製本を取り上げることにした。蔵書には250点を超える版元製本の例が収集されていたからである。そして、2007年の1月にはこの主題で小さな展覧会を開催することにした。版元製本とは、書店に行けば、出版社の意向に沿ってあらかじめ製本された本を入手できる、その製本のことである。そんなこと当たり前だろうといわれるかもしれないが、実は1820年以前のヨーロッパでは、書物は印刷されたままの未製本シートのまま書店に並べられていた。顧客は未製本シートを購入し、書店にある製本見本に従って製本してもらうか、自宅の書斎にある皮革製本と同じ自分好みの製本にしてもらうべく製本工房に持ち込んだのであった。要するに、顧客の意向が製本に反映されていたのである。
 ヴィクトリア朝の版元製本は、材料からデザインに至るまで多種多様だった。折から進行中の産業革命の影響で、蒸気機関を用いた製本プレスが可能になったため、大胆な製本の形式が生まれた。慶應での展覧会でも、こういった例をパピエ・マシェ製本、レリーヴォ製本から取り上げることにしたが、ここで思い出したのが30年も前にケンブリッジで購入したモホリン製本だった。
 展示は5部門に分けたが、モホリン製本を担当したのは博士課程のTさんだった。家族そろってアンティーク趣味をもつ彼女にはうってつけと思われた。Tさんは早速モホリン細工の本を購入して調査を始めた。これは18世紀末に発明された蝶番つき嗅ぎタバコ入れの細工に由来する。木製の嗅ぎタバコ入れの表面にペンで装飾を描き、ニスで何度もコーティングしたものが、モホリン細工の嚆矢だった。この技術はスコットランド北東部から発生し、南西部に到達し、モホリンで栄えた。モホリン細工はすべて木製で、普通スズカケノキが使用される。嗅ぎタバコ入れ、紅茶箱、針箱など蝶番を用いたものから始まって、あらゆる小さな製品に発展したこの細工は、今日多くの収集家を魅了しており、1986年にはモホリン細工コレクターズ倶楽部が設立されたほどである。Google imageでMauchline wareの検索をかけると、驚くほど多様な例をカラー写真で見ることができる。
 幸いヴィクトリア朝の版元製本については、近年収集家や研究者が増えてきたせいか、参照すべき参考書も多い。特に今回役立ったのは、この領域の研究パイオニア、ルアリ・マクリーンの『ヴィクトリア朝の布と革の版元製本』(1974)とエレン・K・モリス、エドワード・S・レヴィン共著の『版元製本の芸術1815-1915』(マクリーンの序文つき、2000)だった。両方ともモホリン製本の例を挙げている。
 1月19日から3週間にわたって開催した展覧会は、今までのギャスケル蔵書に関する催しとしては、もっとも好評を博した。400部印刷した目録はほぼなくなってしまったが、幸いインターネット(http://www.mita.lib.keio.ac.jp/archives/exhibit/)でカラー版を見ることができる。

 面白い現象も見られた。会期中に東京製本倶楽部の面々がギャラリー・トークを聞きに来られたが、誰もモホリン製本について知らなかった。慶應で教えているスコットランド系のイギリス人教員も誰一人として見たこともないし聞いたこともない、と言った。1933年に火事で工場が焼けてしまい、この技術の伝承が途絶えてしまったのも一因だろう。1月初めに慶應に講演にやってきたグラスゴー大学の英語学の教授も、聞いたことがなかったという。スコットランドからの土産は何がよいか、という教授のメールに対して、何かモホリン細工があれば貸してほしいと返事したところ、ダイスの壷ふりを持参してきてくれた。教授が奥さんに言われて大きなアンティーク店に行ったところ、キャビネットにモホリン細工が並んでいた。その中からこれを選んで、店主に「土産にするから」と言ったところ、「日本に持っていくのか」と聞かれたという。さすが、もうわが国にはコレクターがいるらしい。
 不思議なことに、神田の洋書を扱う古書店でもほとんど知らなかった。ここでモホリン製本のすばらしさを宣伝すると、そのうち高値で古書目録に現れるのではないかと、私は気が気ではない。

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