雄松堂書店
雄松堂>ほんの世界はへんな世界 第19回

本の世界は変な世界
高宮利行氏について

慶應義塾大学文学部高宮利行教授(イギリス好古家協会フェロー(FSA)、シェフィールド大学名誉博士)は、古書体学、書物史、中世イギリス文学、アーサー王文学の領域で多くの業績がある、国際的に知られた学者であり、日本中世英語英文学会会長、新チョーサー学会理事、国際アーサー王学会日本支部長、POETICA編集委員長などを歴任してきました。現在、本に関する情報サイト『本のある時間』編集長。日本での西洋稀覯書研究において第一人者である高宮教授に隔月で古書に関するちょっと変わったお話をしていただきます。

ほんの世界はへんな世界 第十九回
TAKAMIIYA ESSAY ON BOOK (No.19)
―ケンブリッジの奇書―
『ケンブリッジ夜の登攀者』

ケンブリッジ大学
 中世から続く大学には、そこならではの変わった出版物がある。例えばケンブリッジのコレッジで、正式なディナーの前後に学生や教員が読み上げるラテン語のお祈り(graceという)を集めた書物がある。これを見ると、歴史が長ければ長いほど、祈りの文章も概して長い。ヘンリー7世の母でヘンリー8世の祖母に当たるレディ・マーガレット・ボーフォートが創設したセント・ジョンズ・コレッジやクライスツ・コレッジでは、その長い祈りの中に必ず彼女の霊安かれという一文が入る。一方、戦後にできた大学院生用のコレッジでは、ほんの2,3の単語で終る。

 また、6月に行われる名誉学位授与式では、大学から任命された演説官がラテン語で学位授与の理由を朗々と読み上げる。演説に巧まざるユーモアを盛り込むことで知られた人気者の演説官が引退すると、ほどなくそのラテン語演説集が出版される、という具合だ。ともに、ケンブリッジの関係者しか関心がないものだろう。

 こういったケンブリッジ関係の著作で、奇書中の奇書と呼ばれ初版を入手しにくいのがThe Night Climbers of Cambridgeである。大学関係者なら誰でも聞いたことがあり、中身も知っているが、目にしたことがない、という代物だ。これは寒い学期中、夜陰に乗じてコレッジのチャペルの尖塔や建物の胸壁、煙突、配管を攀じ登り、写真を撮ってもらうという単純な行為だ。風の強い夜は、尖塔も揺れるそうだ。今ではタウン・クライミングというそうだが、むろん誰がやっても危険な行為だから、許可なしには禁止されている。ケンブリッジの夜の闖入者たちを警戒するコレッジの警備員(Porter、学生はBulldogと呼ぶ)に見つかれば、懲罰委員会にかけられて、まず退学を覚悟しなければならない。本書にはその実例の写真も掲載されている。

 やってもほとんど意味のないことをやる、というのは学生の特権でもある。ネットで調べるといろいろなことが分かる。http://cucc.survex.com/archive/jnl/1983/roof.htmには学部生が編集した雑誌の記事に、過去に出版された夜の登坂に関する文献19点が列挙されており、すべてが大学図書館で閲覧できることまで示している。そこでこの種の聖書として特に崇められているのが本書であり、ウィキペディアにも収録されている(http://en.wikipedia.org/wiki/The_Night_Climbers_of_Cambridge)。

 本書は1937年10月、ロンドンの一流出版社Chatto & Windusから出版され、翌月に改訂再版が、戦後は1952年と53年にリプリントが出た。私の手元にあるのは1953年版だが、それでも近年は入手が難しくなった。ところが再版を期待する声に応えてか、2007年に新版がケンブリッジの小さな出版社から公刊された。183ページだった初版の本文は、新たに18世紀のケンブリッジの印刷業者ジョン・バスカヴィルによるバスカヴィル体を用いて、たっぷりと227ページに組まれた。ネガが残っていた多くの写真はデジタル処理されて、ずっと明瞭になった。当然のことながら、正体が分からぬように顔をぼやかしてあった写真も、いまやはっきり識別できるようになった。

 それまではWhipplesnaithという匿名で知られていたが、新版で初めて著者の名前Noel Howard Symingtonと顔写真が発表された。既に故人となった著者に替わって、その甥が序文を寄せて、著者が明かさなかった仲間達の正体を紹介している。そのひとりWilfrid Noyceは、1953年のエヴェレスト初登頂の英国遠征隊の一員であった。

 Google imageで本書の標題を検索すると、写真も出てくる。多くの読者は、発見されれば退学を覚悟しなければならない蛮行に、なぜ学生達が夢中になるのか、疑問に思うかもしれない。私の知る限り、こういった違反行為にはチャリティの裏づけがある。私が留学していた1970年代後半でも、大学図書館の閲覧室で勉強していると、いずこからともなく奉加帳が回ってくることがあった。あるコレッジの学生がチャリティ目的で、今度の土曜日に橋からケム川に飛び込むが、成功して地方紙に写真が掲載されたら寄付してくれるか、といった文章が書かれている。それに応じる学生は所属コレッジと名前と寄付の予定額(当時は10pから50pだった)を記入する。そして、月曜日の新聞に写真が掲載されると、係りがそれを証拠にチャリティ用の寄付を集めにくるのである。

 チャリティに名を借りると、どんなくだらないことでも表面的には許されるよき時代があった。6月試験が終って、成績が発表される前の学生祭の時には、街の中心にある駐車場への狭い道にバリケードを築き、チャリティに寄付しないと通さないと、まるで中世の追いはぎ(まさにHighway man)のような行為をする学生もいた。おそらく今はできないだろう。

ケンブリッジの夜の登攀者たちは、きっと今でも機会を狙っていることだろう。

[バックナンバーを読む]

 [雄松堂HPトップに戻る]