2008年6月初め、ロンドンはクリスティーズの古書競売に、珍しいインキュナビュラ(15世紀ヨーロッパの初期印刷本)が出た。フランスの都市ルーアンで、印刷業者マルタン・モランが書籍業者ジャン・リシャールのために1499年6月22日に印刷出版した、ジョン・マーク著『祝祭日の書と4つの説教』である。優れた印刷技術を持つモランは、1492‐1517年に多くのミサ典礼書をイギリスの市場に向けて印刷した。リシャールも1496年以降はモランと組んでイギリス市場を狙った。但し、そのほとんどはラテン語の書物だった。
珍しいといったのは、イギリス人が英語で書いた書物が、イギリスではなくわざわざフランスの都市で出版されていることだ。本書の初版は1483年にウィリアム・キャクストンが上梓しており、それ以後1501年までに14版を重ね、1532年までにさらに10版が印刷された。当然のことながら、宗教革命以降はない。いわば中世後期イギリスのベストセラーのひとつだったことは疑いない。あまりの売れ行きにフランスの業者が目をつけて、印刷させてイギリスに持ち込んだのであろう。1499年といえば、リチャード・ピンソン、ウィンキン・ド・ウォード、ジュリアン・ノータリーがロンドンを中心に踵を接して本書を出版しているのである。なぜそんなに人気が出たのだろうか。