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本の世界は変な世界
高宮利行氏について

慶應義塾大学文学部高宮利行教授(イギリス好古家協会フェロー(FSA)、シェフィールド大学名誉博士)は、古書体学、書物史、中世イギリス文学、アーサー王文学の領域で多くの業績がある、国際的に知られた学者であり、日本中世英語英文学会会長、新チョーサー学会理事、国際アーサー王学会日本支部長、POETICA編集委員長などを歴任してきました。現在、本に関する情報サイト『本のある時間』編集長。日本での西洋稀覯書研究において第一人者である高宮教授に隔月で古書に関するちょっと変わったお話をしていただきます。

ほんの世界はへんな世界 第二十三回
TAKAMIIYA ESSAY ON BOOK (No.23)
―若くても書物収集家はいる!―
デイヴィッド・バターフィールドの場合

 9月の終わりにゲスナー賞の最終選考会に出席した後、10月初めには慌しく英国にやってきた。来年3月に定年を迎えるというのに、大学当局の好意でケンブリッジ大学ダウニング・コレッジに訪問研究員としてやってきたのである。30年もの昔、ケンブリッジでの留学生活から帰国したとき、このコレッジと本務校との連携の話が始まり、日本側からの寄付によって大きなフラットが改装されて、毎年一人慶應フェローがここに研究に来るようになった。「そもそもお前が始めた連携事業なのに、お前がフェローとして来ないのは変だ」という声に押されて、今回の事態になったのである。

ダウニング・コレッジ
 決して久しぶりのケンブリッジではないが、まず川のそばにあった古書店が姿を消していた。1896年創立で、代々の著名な書物収集家が育っていったG.デイヴィッド書店と向かいにある児童書の古書を高く売る店だけが辛うじて残っている。最初にやってきた1970年代後半には10軒はあったのだから、驚くやら情けないやら。古書を売り買いする人口が減ったのだろうか。ケンブリッジには私も所属していたエドワード・カペル協会と称する愛書家倶楽部があったが、ここ数年は冬眠状態、オクスフォードの愛書家協会も同じだという。
 古書を集める若者が減っていることを心配したアメリカ人学者ジェームズ・マロウ教授(西洋中世美術史)とエミリー・ローズ博士(西洋中世史)が提唱して、ケンブリッジ大学図書館にローズ古書収集賞を設けたのは2006年だった。アメリカの大学には以前から大学生や院生を対象にこの種の古書収集賞があり、クォリッチ書店のリチャード・リネンタール重役もアムハースト・コレッジ在学中に受賞したと聞く。そしてケンブリッジの2007年度受賞者は、弱冠22歳の古典学の院生デイヴィッド・バターフィールド君だった。彼は古書収集歴3年半の間に2400点の古典書を集めたという。毎日2点ずつ購入したことになる。ロンドン滞在中に書物を買いすぎて団長に叱られた福澤諭吉やロンドン留学時に大量の書物を買い込んだ漱石も真っ青だ。

ルクレティウス
 博士課程一年のバターフィールドの専門は、ルクレティウス(Titus Lucretius Carus, 紀元前99年頃 - 紀元前55年、ローマ共和政末期の詩人・哲学者。)の本文が時代を経ていかに扱われるかというもので、ケンブリッジの古典学者として著名だったリチャード・ベントリー、リチャード・ポーソン、A.E.ハウスマンの本文校訂も視座に置いて収集したという。彼の蔵書は主に19世紀の刊本だが、1515年に出版されたアルドゥス版も含まれている。
 提出された蔵書の内容とその意義に関するエッセイに関して、審査員(ケンブリッジに住み、クォリッチ書店に勤めるジョーン・ウィンタコーン女史など)はそこに独創性、知性、まとまりがあるかどうを審査し、蔵書規模や商品価値は対象としない。
 ヨーロッパでは唯一というケンブリッジの古書収集賞500ポンドを獲得したバタフィールドは、次に国際古書収集賞に応募し、シアトルで開催された最終選考で優勝した。次点は数学者エミール・アーティンの著作を集めたロスのアメリカ人学生と、オセアニアの演劇作品を収集したニュージーランドからのコーネル大学の留学生だった。

 ケンブリッジに到着して一週間後、クライスツ・コレッジのディナーに招待されたおり、このバターフィールド君に紹介され、古書談義で盛り上がった。ここは詩人のジョン・ミルトン(今年は生誕400年)や進化論(来年は出版150年)のチャールズ・ダーウィンの母校だから、古書の話をするにはもってこいの場所だ。彼はまだ博士論文を提出していないのに既にクライスツのリサーチ・フェローになっていたから、よほど出来る男なのだろう。
 彼の蔵書構築法は、競売目録や古書販売目録を熟読する、古書店を訪ね歩く、ネットオークションも利用する、という三つだった。古書収集家として犠牲にしなければならないのは何か、ファッションか、恋愛か、旅行か、あるいは何かと問うと、旅行は古書収集に必須で、特にプラハ、アムステルダム、コペンハーゲンにはラテン語の古書がよく出てくるよという返事だった。なるほど、かなり広範囲に網を張っていることが分かった。私が「その日届いた古書目録はその日に読む、場合によっては講義原稿が出来上がっていなくとも目録を読まないと、ライバルには勝てないからね」というと、彼もまったく同じだと答えた。24歳にして将来が楽しみな収集家である。
 ケンブリッジの関係者もこのコンペの結果には驚かされたらしい。予想外の数の応募と、質の高さがあったからだ。ちなみに2008年の賞に輝いたのはヒューズ・ホールの学部生で、コンピュータ・サイエンス専攻の3年生ダニエル・ヘイゴンだった。彼は18−20世紀の数学と物理学の歴史に関する古書を収集したのである。

 こういった話を聞いて、これはわが国でもやるべきではないか、と思った。音頭をとるのは国会図書館でも、日本古書籍商協会でも、あるいは大学図書館単位でもよいだろう。それによっていち早く若く熱心な収集家を発掘できるだろうし、場合によっては国際古書収集賞の段階までいけるかもしれない。まず隗より始めよ、というではないか。

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