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本の世界は変な世界
高宮利行氏について

慶應義塾大学名誉教授、イギリス好古家協会フェロー(FSA)、シェフィールド大学名誉博士。古書体学、書物史、中世イギリス文学、アーサー王文学の領域で多くの業績がある、国際的に知られた学者であり、日本中世英語英文学会会長、新チョーサー学会理事、国際アーサー王学会日本支部長、POETICA編集委員長などを歴任。日本での西洋稀覯書研究において第一人者である高宮教授に隔月で古書に関するちょっと変わったお話をしていただきます。

ほんの世界はへんな世界 第二十八回
TAKAMIIYA ESSAY ON BOOK (No.28)
ジョン・ハーディングの『英国年代記』

15世紀後半のEngland
15世紀後半のEngland
現代のイギリス史研究家は、15世紀にジョン・ハーディングが英詩で著した年代記を、歴史資料としてどの程度用いているのだろうか。全11巻の翻訳で出版が続いている最新の『オックスフォード ブリテン諸島の歴史』第5巻「14・15世紀」(慶應義塾大学出版会、2009年)でも、わずか2,3ページしか紙幅は割かれていない。一方、英文学史ではどうかと言えば、概説史にはまず登場しない。それは、へぼ詩だという評価が定まっており、文学的な価値はなしとされているからである。イギリスの年代記なら、百年戦争や薔薇戦争、16世紀の国家主義を反映した『ブルート年代記』、フロワサール、フェビアン、グラフトン、ホール、ホリンシェッドらの年代記の方がよほど知られている。
 ところが、15,16世紀のイングランドでは、ハーディングの年代記が写本と印刷本で実によく読まれ、現存する多くの本には読者による書き込みが見られることが、サラ・ぺヴァリー博士によって報告されている。また15世紀の文人トマス・マロリーや16世紀の詩人エドマンド・スペンサーは、自作の種本としても用いた。

 さて、肝心のJohn Hardyng (1378-c.1463)は、スコットランド国境に生まれ育った年代記作家で、2種類の英国年代記を著した。当時は献呈する王侯貴族から経済的な庇護を受ける目的で、序文や内容を変えることは不思議ではなかった。ハーディングは、ひとつの写本にのみ現存する最初の年代記を1457年にランカスター家のヘンリーVI世に献呈、改訂第2版はヨーク家のヨーク公リチャードに献呈した。最終版は1464年にはまとまったようである。
いずれの場合にも、当時のイングランドの為政者にとって重要なのは、スコットランドがイングランドの一部として帰属する否かの問題であった。14世紀スコットランドの民族主義者ジョン・オブ・フォーダンが、自著でスコットランドの独立性を主張していたからである。ハーディングは、国境地帯の状況に詳しかったので、スコットランドがイングランドの一部だと主張できる歴史的な証拠(文書や地図)を次々と公にして、イングランド王に取り入り、一部は自らの年代記に取り入れた。かくして『オクスフォード国民人名事典』(Oxford DNB)は、ハーディングを年代記作家と同時に贋作者と規定している。

 ブリテンの起源から説き起こすハーディングの年代記には、アーサー王の事績に関してもかなりの記述が見られる。その一部はサー・トマス・マロリーの『アーサー王の死』(Le Morte Darthur, 1470年)にも採用された。マロリーはフランス語と英語で書かれたアーサー王伝説を集大成して、アーサー王の誕生から死に至る一代記をまとめあげた。19世紀以降のアーサー王伝説復活に、大きな影響を与えた騎士ロマンスである。『アーサー王の死』には、「フランスの書いわく」といった表現で、ここは種本に準拠していることを明示しているように見受けられる箇所が20以上ある。これらをすべて原本と当たってみると、マロリーは種本から脱線してオリジナルなことを言うときに、あえて「フランスの書いわく」を用いた事実が分かる。
それらのほとんどがフランス語の種本への言及であるが、一箇所だけ「ロマンス曰く」という表現が見られる。それはアーサー王が、ローマのルキウス皇帝が朝貢を要求した報復に、彼を征伐するためローマ遠征を企て、その結果「ロマンス曰く、アーサー王はローマ教皇によって皇帝となった」というのである。このエピソードはフランス語ではなく英語で書かれたロマンスに準拠して書かれている。しかるに、この一文は種本の英語ロマンスには見当たらず、ハーディングの年代記にのみ現れるのである。『アーサー王の死』にはこのエピソードがあるため、また他の部分にもハーディング年代記からの引用が散見されるため、マロリー研究者たちは20世紀半ばからこの年代記に注目してきた。
 1543年、反スコットランドの傾向を強く持っていた印刷出版業者リチャード・グラフトンは、ハーディングの2種の異版に、直近の歴史的記述を自ら著した散文を付加して、ロンドンで出版した。1812年に大英博物館のサー・ヘンリー・エリスが編集したのは、2番目の年代記である。

John Dee (1527-1608 or 1609)
John Dee (1527-1608 or 1609)
 2009年秋、サザビーズでのローズベリー伯爵旧蔵書の競売に現れたハーディングの年代記第2版(1543年、STC 12767)が、研究者の耳目を集めた。標題紙の頭に「ジョン・ディー、1577年」という所有銘があったからである。英語のウィキペディアは、エリザベス一世の顧問だったこの不可思議な人物に、何と20ページを割いて詳述している。16世紀後半のイギリス人で現在もっとも注目されている一人といえよう。John Dee (1527-1608 or 1609)は、数学者、天文学者、占星術者、オカルト信奉者、航海者、帝国主義者などといった多様な肩書きをもつ。彼は「イギリス帝国」British Empireという言葉の生みの親だという。
 世の森羅万象に関心を持った人物だから、万巻の書を集めて、研究三昧の生活を送った証拠に、1583年に彼自身が残した蔵書目録が実在する。本書はその1686番として登録されている。今回再び日の目を見た本書の重要性は、ディーのイギリス史への関心を示す証拠として、時期こそ異なるが、多くの下線や書き込みが残されていることである。例えば、「フリースランド」や「グリーンランド」の地名に色濃く下線が施されているのは、スコットランドと同様に、彼がイングランド王室により支配されるべきと主張していた地域である。ディーは「ここに注目せよ」という意味の指を立てたマーク(マニキュル)を、全編で少なくとも6箇所書き残している。
本書のもうひとつの特徴は、巻末の製本の内側に綴じこまれた、ハーディングがでっち上げた1458年11月15日付けの偽造文書の存在である。これに注をつけた18世紀のイギリス人は、王立協会の会長を務めた好古家ジェームズ・ウェスト(1703-1772)であると考えられる。ウェストは1770年3月15日にロンドンの好古家協会の会合で、この文書に関して発表し、その内容は機関誌に印刷された。前述のサー・ヘンリー・エリス編纂の『ハーディング年代記』(1812年)は、現本に言及しているほどだ(p.xiii)。

◆中世イギリス文学の内容豊富な入門書◆
中世イギリス文学入門―研究と文献案内 中世イギリス文学入門―研究と文献案内 門―研究と文献案内 中世イギリス文学入門
高宮利行・松田隆美 編

B5判 上製 454頁 2008年12月刊行
ISBN 978-4-8419-0490-1
定価10,500円(本体10,000円+税5%)

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