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雄松堂>ほんの世界はへんな世界 第7回

本の世界は変な世界
高宮利行氏について

慶應義塾大学文学部高宮利行教授(イギリス好古家協会フェロー(FSA)、シェフィールド大学名誉博士)は、古書体学、書物史、中世イギリス文学、アーサー王文学の領域で多くの業績がある、国際的に知られた学者であり、日本中世英語英文学会会長、新チョーサー学会理事、国際アーサー王学会日本支部長、POETICA編集委員長などを歴任してきました。日本での西洋稀覯書研究において第一人者である高宮教授に隔月で古書に関するちょっと変わったお話をしていただきます。

ほんの世界はへんな世界 第七回
TAKAMIIYA'S ESSAYS ON THE BOOK (VII)
利用された裏切り者−書物史の中の情報操作
『ユダの福音書』について

5月の連休後半に、ウェスタン・ミシガン大学で開かれた国際中世学会に出かけた。出発の前日、新聞広告に『ユダの福音書』のチャコス写本発見を扱った月刊誌『ナショナル・ジオグラフィック日本版』が出ていたので、成田空港の書店で買い求め、機内で読んだ。30年ほど前に、ナイル上流で盗掘者によって発見された、パピルスにコプト語で記された冊子体の写本断片が、優れた写真で紹介されていた。

学会での昼食のときたまたま同席したアメリカ人学者が神学の専門家だったので、早速この福音書の発見について見解を求めると、「ああ、グノーシス派が絡んだものでしょう」とそっけなかった。それでも、新約聖書に含まれた4つの福音書以外にも、福音書と称するものはかなりの数があり、『ユダの福音書』もそのひとつで、後世には本文が伝わっていなかったも
のだと説明してくれた。

帰国するやいなやこの写本発見と修復、解読の経緯を綴ったハーバート・クロスニー著『ユダの福音書を追え』を購入した。一読すると、これは盗掘者、複数の美術商、窃盗団などを転々とし、最終的に破損から守るためにナショナル・ジオグラフィック社がチャコス美術財団と共同で購入した写本だと分かった。中には以前からとかく噂の多い旧知の古書業者の名もあった。おりから『ダ・ヴィンチ・コード』が封切られる直前で、それにあわせてBSのナショナル・ジオグラフィック・チャネルは、『ユダの福音書』に関する2時間のドキュメンタリーを放映した。この番組と契約していない私は考えあぐねた末に、畏友F氏に助力を求めた。こういったテーマには異常な情熱を燃やすF氏のこと、二つ返事で引き受けてくれて、一週間もせぬうちに各種の『ダ・ヴィンチ・コード』関係のドキュメンタリーを含めて20枚のDVDが送られて来た。

『ユダの福音書』に関するドキュメンタリーは、解説の大げさな言葉遣いを別にすれば、よく出来ていた。ほとんどミステ
リー映画だ。新約聖書にあるように、キリストへの裏切り者として悪名高いユダが、金に目がくらんで、キリストをユダヤ教徒に売ったのではなく、キリストがそうさせたのだと、そこには書いてあるという。『ユダの福音書』はエイレナイオスの『異端反駁』(紀元180年頃)に名を挙げられていることから、2世紀には成立していたと考えられる。このチャコス写本はギリシア語原本から古コプト語に翻訳されたものであり炭素放射線測定の結果、220-340年頃に筆写されたものと推定されている。
新約聖書によれば、イスカリオテのユダはキリストを裏切った後まもなく自殺したとある。それゆえ『ユダの福音書』は書かれた年代からもユダ本人が記したものとは考えられない。しかし、ナグ・ハマディ写本などとともに神秘主義的なグノーシス派を含む初期キリスト教の潮流を知る資料として注目されている。なお、『原典ユダの福音書』の邦訳も出版されている。

わたしが今回の発見に関心を抱いたのは、主に書物史の二つの観点からだった。3−4世紀に作られたとされるチャコス写本が当時多く見られた巻子本ではなく、両面ページに書かれた冊子体だった事実は、ユダヤ教の一派だったキリスト教が、現在も巻子本の聖典を用いるユダヤ教から離れて自立するための戦略だったというT.C.スキートらの説を裏付けた点。また、ユダがキリストを裏切ったのではなく、キリストに促されて彼を敵の手に渡したのだとすれば、キリスト教の布教の上で都合が悪いと判断した新約聖書の編纂者が、『ユダの福音書』を異端として封じ込め、4つの福音書だけを真正とした点である。その結果、ユダはその後ずっと悪者扱いされてきた。宗教を操る者が、正邪をはっきりさせるためにとったこの情報戦略は、彼らにとっては大成功だったといえるだろう。

最近、私が関心をもっているアーサー王伝説でも、これとよく似た情報操作が行われていたとする話を聞く機会があった。先日東京で行われた講演で、ウェールズ大学のイアン・ヒューズ博士は、アーサー王伝説のユダといわれる裏切り者モードレッド像が、1136年頃に歴史家ジェフリー・オブ・モンマスによって作り上げられた可能性を示唆した。ヒューズ博士によれば、ウェールズの古い伝承にはメドラウト(モードレッド)が叔父のアーサー王を裏切る場面は一度として描かれていなかった、一方『ブリテン列王史』の中でジェフリーがモードレッドを、ギネヴィア王妃と王位の両方を奪おうとしてアーサーを裏切る形で、最後の場面を描いた。その理由は、イギリスに来て歴史の浅いノルマン王家に対して、王族の中で仲良くしていないと、アーサー王伝説のような結末になるぞと、ジェフリーが警告するためだった。

 この説明は、若干迫力なしとしないでもないが、こういった政治的な戦略に用いられたモードレッド(英語の殺人者Murdererに通じる)は、その後ユダと同じように扱われて現代に伝わっている。しかし、20世紀後半にはモードレッドにも復権の兆しが見られた。東ドイツの反体制的な劇作家だったクリストフ・ハインは、アーサー王に反抗して円卓を破壊するアンチ・ヒーローとしてモードレッドを描いたが、この芝居『円卓の騎士たち』(1989)が書かれて数年もしないうちに、ベルリンの壁が実際に崩壊し、東西ドイツの統一が実現したのである。

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