ゴヤ 銅版画集「気まぐれ」

─堀田善衛「ゴヤ」四部作を携えて─

「気まぐれ」とゴヤの知略
「全世界の画家」への脱皮
アルバ公爵夫人との恋愛によって
「気まぐれ」刊行へ
想像力と知略を携えて


■「気まぐれ」刊行へ

 大病から五年後の1797年、物語性をもった、「マドリード画帳」をまとめる。「気まぐれ」の母体である。いずれも、多少の変更が加えられて、「気まぐれ」に収録されてゆく。

「過誤と悪徳に対する批判は主として修辞学と詩の機能に属するものであるが、絵画の主題にもなりうるものであることを確信し、画家はあらゆる社会に共通する狂態と愚行、また習慣によって容認されている偏見や欺瞞、無知、利害などの内から、映像として忌憚なく、かつ人をして激発せしむるものを選んだのである。」(「マドリード日報」2月6日にのった「気まぐれ」刊行の広告)

「まことに堂々たる宣言である」と堀田はいう。刷り部数267部、誰が買いに来るのか、分かるように自宅の前の香水酒類販売店に委託する。だが、結果は無惨、売れたのは27部であった。

43番「理性の眠りは妖怪を生む」

43番 理性の眠りは妖怪を生む机の上に顔を伏せて眠っている男の上に無数の妖怪がうごめいている、この43番は本来、この版画集の冒頭に来るものであった。この版画のために描かれたデッサンのことば書きには「彼の唯一の目的は、有害にして卑俗な迷信をはらいのけ、真理の信じうべき証言を、この自由なる(caprichos)仕事のなかにおいて不朽のものたらしめんとするにあり」と書かれ、銅版画に刻まれてからの詞書には、「理性に見放された想像力はありうべくもない妖怪を生ぜせしめる、理性と合体せしめられたならば、想像力はあらゆる芸術の母となり、その驚異の源泉となる」と書かれてあった。

■想像力と知略を携えて

 理性と合体された想像力を駆使して、スペインの“妖怪”を告発するのだ、自由なる(caprichos)スペインのために、そう意気込んでみても、異端審問所がひかえている。冒頭には危ないから、とぼけた「自画像」をもってきて、主題の図は43番にしよう、という見事な知略が発揮された。だが、異端審問所は一枚一枚の詮索を執拗に行って、宮廷画家ゴヤの失墜がほぼ確実になったとき、われわれのゴヤは一か八かの大バクチを打つ。「諸外国人においてはこれを入手せんものとの熱意きわめて高きものあり、小生死後にこれが外国人の手に落つることを恐れ、拙者儀、これを王立銅版工場のために、わが主、王に奉献いたしたく存じ候」という手紙を出たのである。この奉献は王に受け入れられ、われわれのゴヤは終身刑を免れたのである。何という知略であり、ふてぶてしさか、想像を絶するのである。

 以後、周知のようにすばらしい数々の作品、ウィリアム・モリスの言葉を借りると、人類の富(ウェルス)とも言うべき傑作の数々、「巨人」、「着衣のマハ」、「裸のマハ」、版画集「戦争の惨禍」、「五月二日」、「五月三日」、「黒い絵」、そして死ぬ前年の1827年に描かれた、あの清冽な「ボルドオのミルク売り娘」などである。

 あとは堀田善衛の「ゴヤ」四部作を携えて、一点一点の現物の前に立ち、しばし感嘆のあとに頭をたれ、ある時は目頭を熱くし有るときは人間として、ゴヤのように憎悪を腹の底に蓄えて、私たちの「現実」にもどり、その「現実」を凝視してみたい、そんな夢想をみるだけである。

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