オックスフォード古本修業 Part VII

中島俊郎氏(甲南大学文学部教授)
1949年に生まれる。甲南大学大学院人文科学博士課程英文学専攻単位取得。オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジ研究員(1997-1998)。現在、甲南大学文学部教授。著書に『イギリス的風景―教養の旅から感性の旅へ』(NTT出版)、『近代東アジア文化とプロテスタント宣教師』(共著、国際日本文化研究センター)、Lewis Carroll et les mythologies de l'enfance (共著、 Presses universitaires de Rennes)、編訳書キース・トマス『歴史と文学―近代イギリス史論集』(みすず書房)、翻刻書ビートン夫妻編『英国婦人家庭画報―1852-56年 全4巻』、マリオ・プラーツ編『イギリス文化・文学論集―歴史と芸術の饗宴 全10巻』(ユーリカプレス)など。最近の著作に本HPの内容を発展させた『オックスフォード古書修行』(NTT出版)がある。また今春に刊行した翻訳書、ルーシー・ワースリー『暮らしのイギリス史』(NTT出版)は書評で「カルチャースタディーズの必読書」とうたわれた。

なにはさておき古書探し

ロンドンのはとバスか?

ロンドンのはとバスか?


ウォーラス・コレクションの展覧会『パリの発見』をみるためにロンドンへやってきた。その前にやはり古書展へは顔を出しておきたい。古書は足でかせぐもの、という金言が胸をよぎる。手間をおしむようでは古書の方から逃げ出していく。顔なじみの業者との古本談義も楽しみである。
 
いつものように地下鉄「ラッセル・スクエァー」駅近くのホテル「ロイヤル・ナショナル」へ向かう。パックツアー客ご愛顧のホテルとして有名で、ロンドン観光のバスもホテル近くに停まっている。宿泊料金表が麗々しく(?) 掲げられているが、ロンドン郊外にあるホテル料金と比べると2、3倍もする。
 
やはりロンドンの物価は高い!
 

不覚!エフェメラ即売展は宝の山

バーゲン熱はところかわらず

バーゲン熱はところかわらず


厳密に言うと、今日、古書即売会は開催されていない。古書ではなく「エフェメラ」中心の即売会である。絵ハガキやコイン、切手類が中心で、何の興味もこれまでなかったので、古書展の横で開催されていても入ったことはなかった。つまり「モノ」を「モノ」として見るだけの、子供の玩具集めじみたものにすぎないとエフェメラそのものを侮っていた。これは大間違いであった。加えてよくしたもので、エフェメラの即売展に古書が数多く出品されていたのである。
 
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いきなり半額!・・・いいの?うれしいけど。

いきなり半額!・・・いいの?うれしいけど。


これは不覚だった。
 
良質の古書が格安で手招きしているではないか。ラスキンの『近代画家論』(限定版)、『ブラックウッズ・マガジン』、ウィンダム・ルイスの地中海紀行記、パブリックスクールの『ハロー校史』などなど。
 
何だかお正月のおせち料理が詰まっている重箱のような気がしてきた。
ブロックかお重か・・・『ロモラ』

ブロックかお重か・・・『ロモラ』

 

「さすが…」と見るか?この買い物

勝負を決めた内容見本

勝負を決めた内容見本


この本は神保町で2、3度目にしたことがある。かなり高額がつけられていた。イギリスでも200、300ポンドはする。それでも買おうという気が起きない。限定本なのだが、ヴィクトリア朝の限定本は紙質を換えて大型本にしただけの、やたら部数が多い限定本が幅をきかせているのでもうひとつ触手が動かない。売値が急に10ポンド均一から半額の5ポンドに引き下げられた。「早く家に帰りたいから、売りさばいてしまいたいよ」と店番のおやじはこぼす。願ってもない、こちらは大歓迎である。
 
その時、ページの間で指にふれるものがあった。「内容見本」である。
 
これは珍しい。
 
出版社から読者へどのように本がわたるか思案していた時に、このパンフレットが舞いおりてきた。一読、これは買わねばならない。
たった1枚の紙片のために、1000ページ以上の本を求めるのを、「さすが」とみるか、「馬鹿」とみるかは判断の分かれるところであろう。ともあれ、
 
2冊で10ポンドは安い!
 

掘り出し物に頬ゆるむ

パンフレットには高名な印刷業者、製本者が最初に明記してあり、書物としての価値をまずうたっているのも好ましい。挿絵はロイヤル・アカデミー会長フレデリック・レイトンが描き、特別紙に印刷する。1000部の限定版で、1880年10月15日に予約順に限定番号を記入して、配布するとある。著者、書評用に数部作成するが、それらには限定番号を入れないとか、種々の情報を与えてくれる。
 
ところが「価格」はどこにも書かれていない。これは妙であるが、うまい価格操作である。価格は「本屋に問い合わせて欲しい」と書かれているが、書店によって、客によって価格が変わったのだろう。
 

絵ハガキの世界に踏み込めば

隣の部屋では「絵ハガキ」即売展が開かれている。驚いたことには、通常、古書展は朝10時開場と決まっているが、何とここでは8時開場である。しかも二重の入場料金が設定されているとは…。係員にこの二重価格の真意を聞くと「地獄の沙汰も金次第」とのこと。
 
妙に納得させられる。

地獄への道しるべ

地獄への道しるべ


入口付近では茶菓の用意もされている(むろん無料)。横でお茶をすすっている老人に収集している分野を尋ねると、エリザベス女王一本と即答。他は何の関心もないという、あっぱれな王党派!であった。
女王陛下万歳!

女王陛下万歳!


会場は古書以上に殺気立っている。売台はテーマ別に整理されて、チェックしやすい。見入るどの目も獲物を求める猟師のように数枚先を見据えているようだ。これはゆっくりと一枚一枚を吟味している場合ではない。
 
当方もテーマを決めて参戦しよう―
 
ヴィクトリア朝のツーリズム。これでもテーマが広すぎた。範囲をしぼらなくては何時間あっても足りない。ヴィクトリア朝において、ブライトンは人気の観光地で、絵ハガキは何万枚もあふれている。これまでリサーチも手垢がつくほど、入念にされているだろう。だが、その郊外はどうであろう。
 

悪魔よりこわいひと

悪魔も回りくどいことをする

悪魔も回りくどいことをする


「デビルズ・ダイク」という、ブライトンの中心街から鉄道で少し離れたところに、もうひとつの「観光地」があった。海岸部だけではない丘陵の対照もいい。最盛期にはロンドンからの観光客が日に3万人も押し寄せた。そもそも「悪魔の窪み」というようなおどろおどろしい名前がついたのは、このウィールドの地にあるすべての教会を、悪魔が英仏海峡の海を氾濫させて押し流そうともくろみ、短刀でこの丘陵を切り裂いたためであった。
 
10キロほどの窪地にすぎないこの地が注目に値するのは、環境破壊をえて、再び自然をとりもどした点にある。
 
悪魔以上にこの地を穿った者がヴィクトリア朝に登場した。
 
企業家ジェームズ・ハバードは、まずホテルで建造し、周辺に遊戯施設を乱造し、初年1887年には16万人ものツーリストを集めたのであった。この小盆地にケーブルカーまで走らせる蛮行をはたらいた。事業に失敗し、カナダへの逃避行を余儀なくされる1907年までブライトンと肩を並べる観光地がここにあった。こうした有為転変を、ハバードが経営するホテルで大量に売られていた絵ハガキは雄弁に語りかけてくるのである。
 

ふたたび足は古書へと向かう

「美しい英国」書影

「美しい英国」書影


“悪魔がつくった英国”?

“悪魔がつくった英国”?


エフェメラ展は二会場に分かれていたが、先の会場に出ていたトポグラフィーの大冊である『美しい英国』全4巻を買わねばと思い直して、会場へ逆もどりした。絵ハガキに触発されて本を買うなんて初めての経験である。文化の姿はいつも小さな形でしか現れてこないが、いざ隠れていた実態が明らかになると、急に巨大な姿へと変貌する。これが文化研究の醍醐味であろうか、
 
はたまた、苦痛であろうか。
 
ページをめくり調べてみると、悪魔が跳梁跋扈する土地、地名が英国にはあふれているではないか。英国地誌では、1920年、30年代に出版されたトポグラフィーがとりわけ目にうれしい。ナショナル・トラストの影響力が発揮されつつあり、自然が改めて新しい目で見られるようになり、カントリーサイドの求心力と遠心力のバランスがほどよいからである。
 

英国は悪魔の巣窟?

“悪魔の煙突”

“悪魔の煙突”


調べてみると、悪魔がつくりたもうた土地が続出するではないか。そもそも「デビルズ・ダイク」などは全国に10ヶ所以上もある。マルバラ付近にある巨石噴「悪魔の穴」(Devil’s Den)、ディー川上流にある「悪魔の尖頂」(Devil’s Point)、眩暈をおこす岩石の断層の後景「悪魔の台所」(Devil’s Kitchen)、スコットランドにある急な曲がり角「悪魔の肘」(Devil’s Elbows)、フライドル川に架けられた12世紀の橋「悪魔の橋」(Devil’s Bridge)など枚挙に暇がない。Devil’s Caves, Devil’s Mouth, Devil’s Throat、Devil’s Chairs, Devil’s Causeways, Devil’s Cauldrons…もうたくさんだ。最後にもうひとつ、デビルズ・ダイクとよく似た形状をしているところからか、レモネードなどを入れる大鉢の連想からか、山間の窪地、小沼沢地を‘Devil’s Punchbowl’ なる地名まである。これは同時に悪魔が根っからの大酒飲みであることも暗示していて、ユーモアあふれる地名だ。
 
本のなかをのぞくとグロスターシャーのレックハンプトン村にある奇岩「悪魔の煙突」(Devil’s Chimney)が堂々と載っている。地中深くに生息する悪魔の煙突が地上に出たものだと説明にある。地獄の煙を排出する筒だ。石灰岩が風化してできたものらしいが、ワイト島にも同名の奇岩があるという。
 
これは参考になるぞ!
 

絵ハガキの文化史とは…

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そもそも翻れば、絵ハガキ(絵+葉書)の「出自」を考えれば、このような豊かな文化内容が濃密に封じ込められている理由がよく理解できる。ルソーのみならず、サミュエル・リチャードソンの書簡体小説『パメラ』(1740)が文学史に占める位置を思い起こせば、手紙のもつ喚起力は文学を生む力を秘めているのだ。読者に直接的に語りかける力は、メール時代になっても衰えをみせない。この媒体に写真が付加された絵ハガキは、1890年代に全盛期をむかえ、何億枚も作られたという。
 
ひとつの文化史をさぐる糸口としては、絵ハガキは今日でもいささかも色あせていないように思える。今日のエフェメラ即売会は大いに反省を迫られた、
 
苦い出会いの場となった。