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ボワソナード創刊−19世紀末の日本総合研究誌
復刻版
ボワソナード創刊 日仏雜誌
ボワソナード肖像(法政大学図書館所蔵)

1re Année: Nos. 1-12 (Jan.-Dec. 1892) 423pp.
2me Année: Nos. 13-24 (Jan.-Dec. 1893) 447pp.
3me Année: Nos. 25-36 (Jan.-Dec. 1894) 544pp.
4me Année (Nouvelle Sièries): Nos. 1-12 (Jan.-Dec. 1895) 576pp.
5me Année (Nouvelle Sièries): Nos. 13-17 (Jan.-Mai 1896) 196pp.
(Troisième Sièries): Nos. 1-6 (Juillet-Dec. 1897) 203pp.

Publiée sous le Patronage de la société de Langue Française. Wa-Futsu Horitsu Gakko, Tokyo.
Reprinted ed. Yushodo Press, Tokyo. 2007

全59号、2,600頁  付解説・総目次 並製 函入(オンデマンド出版)ISBN 978-4-8419-3126-6
解説:村上一博(明治大学法学部教授)  定価162,750円(本体155,000円+税)
2007年刊行 発売:雄松堂書店/雄松堂京都  製作:雄松堂出版
日本の近代法成立に多大な貢献を果たした G.ボワソナード創刊・主宰の本誌は、法政大学の前身である和仏法律学校の機関誌として発刊され、同校の教頭ボワソナードが明治28年にフランスへ帰国するに当り、後任のミッシェル・ルボンによって刊行事業が継承されました。明治中葉にフランス語によって重要情報を満載した、数少ない月刊総合雑誌であるにもかかわらず、国内の研究機関においてほとんど原本が所蔵されておりません。現存している原本が少ないこともあり、本誌を参考とした学術論文などもほとんど事例の無い状態です。日仏文化交流史、日本法制史、近・現代史研究者などの専門家に広く提供し、学術研究における利用の便を図るため本誌の復刻版を刊行いたします。

仏文雜誌:解説及び総目次を見る(村上一博 解説)[Word形式:204K]

日仏雜誌1 日仏雜誌2 日仏雜誌3

推 薦 し ま す

名古屋大学名誉教授 大久保 泰甫

 Revue française du Japon(邦名「佛文雜誌」)は、全文フランス語で書かれた日本で(そして東アジアで)最初の雑誌である。刊行された期間が明治25年から31年までと短かったためか、その存在自体これまで広く知られていなかったが、一部の専門家は、早くからこれに注目してきた。
 この雑誌は、「仏学会」(現「日仏協会」の前身、明治19年創設、当時の事務所は和仏法律学校[現法政大学]内)の出版物であるが、フランス公使館の強力な後押しを得て、初めの3年間、実質上、その編集・刊行・会計の実務を一人でしかも無報酬で担ったのは、日本政府法律顧問G. ボワソナードであった。背景事情としては、当時の日本において、英語やドイツ語に比べて、フランス語(とフランス文化)の普及・浸透が遅れを取っているという危機意識もあった。 
 掲載された文章・記事の種類は、実に多彩である。日本関係では、まず編集主幹の専門を反映して、「日本の旧慣と新法典」、「日本の労働問題」、「日本の公式統計」等の多数の政治・法律・経済問題論説があるほか、日本の慈善事業、寺子屋、北海道旅行の印象、邦楽、同和問題(今日的意味の)、横須賀の海軍工廠、フランスの対日陸軍軍事顧問団の足跡など、社会・教育・文化・日仏交流史等をカヴァーする長短の寄稿がある。加えて、インドシナのフランス人、トンキン経済の現状、サイゴンの細菌研究所、上海居留地のフランス学校、アンチルの真珠ハイチなどなど、フランスの勢力圏地域についてのレポートやニュースも多い。
 ボワソナードの離日後、誌面は、文芸・芸術傾向に性格が変わるが、しかし次第に精彩を失っていった。かれの後継者と期待されたミシェル・ルヴォン(帝国大学法科大学外国人教師、後にソルボンヌの日本文明講座教授)が、本誌に何本かの寄稿はしたが、結局、編集主幹の就任を辞退したからである。このため、残念ながら本誌の「生き残り」は成らなかった。しかし、内容充実した興味深い雑誌として、今もわれわれの前にある。

推 薦 し ま す

国際日本文化研究センター・総合研究大学院大学教授 稲賀繁美

 仏文雑誌は、いわば幻の雑誌といってもよいだろう。お雇い外国人として著名な法学者ボアソナードが関与した、日本で最初の仏文による雑誌といってよい。だが、揃いを所蔵する図書館はなく、その全体に触れた読者も、けっして数多くはないだろう。
 パリ国際大学都市の日本館図書館でその破本を見つけたのは、いまからもう四半世紀以前に遡る。そこに含まれていた1895年の第10巻には、明治美術会第7回展覧会の記事が掲載されていた。久米桂一郎や黒田清輝の風景画とならんで、浅井忠が旅順戦役に取材した素描が、粗末ながら、きちんと複製されていた。さ らにそこには、会場の略図までが図示されていた。およそこの明治日本の展覧会に関して、知られるかぎり最も詳細な記事が、「仏文雑誌」にフランス語で掲載されていたわけだ。
 その記事の著者は、エマニュエル・トロンクワという。当時、どういう履歴の人物か、まったく不明だった。だが、その後あちこちで、同一の名前に巡りあった。パリ国立図書館の版画部特別室には、初期の日本趣味愛好家として著名なテオドール・デュレの浮世絵版画・画帳の収集が保存されている。トロンクワは、この目録に 手書きで詳細な書き込みを残していた。さらに1900年のパリ万国博覧会の際に日本政府が刊行した大部の著作Histoire de l'art du Japonの翻訳に携わったのも、同じトロンクワだった。この重要な東洋学者の初舞台が、ほかならぬ「仏文雑誌」だったことになる。
 この忘れられた日本学者については、近年、畏友クリストフ・マルケが詳細な伝記を公刊した。同様の発見の種が、「仏文雑誌」にはまだ未発掘のまま多く残されているだろう。今回の復刊を通じて、新たな発見への道が開かれることを期待している。

─ 仏学会 La Societe de Langue Française─について

 仏学会は1886(明治19)年5月に会長に辻新次、理事員に東京仏学校の初代校長に就任した古市公威ほか6名の理事によって設立されました。設立の背景には、独逸学協会学校(明治16年)、東京英語学校(明治19年)の創立の影響があるようです。明治憲法の発布や帝国議会の開催を間近にひかえた世相を反映したでき事です。
仏学会は「仏朗西学ヲ修ムル者ニ便利ヲ与フルノ旨趣ヲ以テ、一ノ完全ナル仏学校ヲ設立センコトヲ計画」の精神の基に、フランス語およびフランス学の奨励・普及を目的に設立され、フランス語による講演会の開催や雑誌の発行、特にフランス語で講義をおこなう法律学校を設立し拡張することを活動の中心におきました。
 この度、復刊となった『佛文雑誌』も当初、仏学会が雑誌発行に対して補助金を支出し、やがて雑誌を原価で購入し、会員に無償配布されました。本誌は6年限りの短期刊行でありながら、開会早々の帝国議会に対する意見や新民法典、日英条約などの社会事象や文化・芸術・教育・日仏交流などについてフランス学の視点から、ようやく近代国家として歩み始めた日本の諸相を網羅的に伝える貴重な資料となっております。

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